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‘札幌本社’

7月に入社されたという美濱さん。入社して約1ヶ月が経った頃のインタビューでしたので、「まだお仕事のことは大きくは語れない」と言いつつ、しっかりとしたご自身の考えをお話ししてくれました。

 

パート面接で再トライ!画期的な取り組みにワクワクしました!

札幌出身で大学までは北海道にいましたが、就職で仙台へ。その後、福島に移り住んだ時に東日本大震災に遭い、また仙台に戻り、その後東京、広島、島根を経て、この度札幌へ戻ってきたのだそうです。札幌に戻って間もない頃に岩谷技研の正社員の面接を受けたという美濱さん。

「宇宙ってすごく遠いものだと思っていたんですけど、求人を見たときに誰でも行ける宇宙が実現できるって、この年齢になってこんなにワクワクすることには出会えないって思ったのがきっかけで、自分の気持ちを大事にしたいなと挑戦しました」

その時はお子さんがまだ小さく、働く時間の都合で不採用だったため、別の仕事をされていましたが、「今回パートでの募集があったので、もう一回受けてもいいですかって、再トライさせていただきました」と話してくれました。

お子さんがいても働けるよう、パートタイムでの働き方を可能にしているというのも、岩谷社長自身が子育て中で、子育て世代の事情をわかっていらっしゃるからなのだろうなと思いました。

 

採用面から岩谷技研を支えていけるようになりたい

「人事課/総務課では、みなさんにご依頼いただいたことをなんでもやる!みたいな感じなんですけど、小川さんのもとで採用のところも少しやらせていただいてます」と、前職で新卒採用の人事をやっていた経験があり、いずれ新卒採用を始めるようになったら、お手伝いできることが増えるかなと考えているのだそうです。

ご自身の目標としては、「今はパートで働いているので、短い時間でギュッと仕事してお役に立てるようにできるといいのかなと。お時給以上の価値を持って生産性よく働きます!」と力強い宣言をいただきました。

「今までにないことをやっている会社なので、夢を実現させるという希望と意欲を持っていらっしゃる方と一緒に仕事ができるように、採用の面から岩谷技研の挑戦の実現に向けて貢献していきたい」とお話ししてくれました。

 

密なコミュニケーションで頼られる自分になりたいです

江別気球工場に足を運んだ時には、製作中の気球を見て「これが飛んでみんなを宇宙に連れていくんだな」とワクワクしました。その時は、テンションが上がるノリノリの音楽がかかっているにも関わらず、みなさんが黙々と作業をされていたり、真剣に打ち合わせをしていた様子が、ちょっと楽しい♪と思ったそうですよ。

「メールでの文章ばかりのやり取りだと、気持ちがあまり乗らないやりづらさがお互いにあると思うので、エンジニアやメイトのみなさんともお会いしてお話できる機会があると、関係性ができていいのかなと思っています」

6歳と3歳の二人の娘さんのママさんでもある美濱さん。お休みの日は、家族で公園などに出かけて遊ぶことが多いそうですが、自転車に乗る練習をさせたり、あえてキャンプに出かけて、娘たちの虫嫌いを克服しようと思っているのだと話してくれました。

ご自身は最近サウナに興味を持ち始めたそうで、ちゃんとした入り方をすると、とても気持ちいいものだと気がついたのだとか。〝整う〟ってやつですね?美濱さんのお話を聞いていると、まさに整え上手な印象を受けます。

ちょうど同じ時期に新しく入ったメンバーも多く、会社として今は組織を作っている最中なのだと感じています。美濱さんの整える力を存分に発揮できそうですね!

経営企画部・三輪喬幸さんは、岩谷技研の共創パートナーであるJTBから2023年5月1日付けで出向されてきた方です。これまでのJTBでの仕事の話、今後の宇宙旅行のビジョンなどをお聞きしました。

 

JTBでの三輪さんの経歴

三輪さんがJTBに新入社員として入社したのは2014年。埼玉県にある川越の営業所で、8年ほど法人向けの営業を担っていました。営業先は一般企業の他に、行政や自治体などとも関係し、旅行の提案や自治体が運営するイベントなどをコーディネートしたりと、仕事は多岐にわたっていました。

その後、8年の営業経験を生かして2022年から本社に移動。岩谷技研に来る直前まで東京本社で、全国各地の営業支店を統括する部門で働いていました。

その際に、岩谷技研の「オープン・ユニバース・プロジェクト」の話がJTBの方に入り、正式にプロジェクトへの協賛が決まったのが2022年11月のこと。三輪さんはその時からJTB社内でプロジェクトを担当していたこともあり、岩谷技研との接点はもう1年ぐらいになるのだとか。

「岩谷技研に出向する以前から北海道に何度も足を運んで実験を見学したり、本社も何度も訪問してまして、出向することのイメージがかなり持てていました。ですので、今の職場には、すんなり入れました。」と三輪さん。

実際に出向するまで、1年近くに渡り入念な準備をしていたような展開になったのですね。

 

北海道は涼しい!

関東から札幌に家族一緒に移住してきたという三輪さん。娘さんはまだ1歳で、海を渡った先の北海道という地に、最初は大丈夫かなと不安があったのだそう。

「私は愛知県の名古屋市出身で大学の時に上京してきたので、関東圏に長くいました。妻は大阪が地元で、仕事の関係でずっと東京に住んでいました。ですので、私も妻も北海道の土地勘が全くないので、少し不安でした。」

でも実際来てみて札幌の暮らしはというと…。

「つくづく妻と話をしてるのは、やっぱり北海道は涼しいと(笑)。全然暮らしやすいです。それこそ私の実家・名古屋の両親や、大阪にいる妻の両親に、夜とか涼しいよ〜と話をすると、もう羨ましい羨ましいって。」

今年は道民も腹が立つくらいの暑さが続きましたが、やはり本州の方からすると全然涼しかったようで…。

「でも冬が初めてなので、それだけが心配ですね。」と、岩谷技研に転職してきた皆さん同様の不安を口にされていました。大丈夫、すぐ慣れます!そして1歳の娘さんと雪の思い出づくりがたくさんできると思いますよ!

 

JTBと岩谷技研が連携

――三輪さんの現在のお仕事を具体的に教えて頂けますか?

「JTBが協賛契約に入らせていただいた経緯として、要は宇宙遊覧旅行のサービスをお客さんに販売をして、満足していただける商品にするためには何をすれば良いのか?その辺りに対するサービス開発であるとか事業開発の要素を、JTBと協力して作り上げていくこと。やることはたくさんあります。」

「例えば、宇宙遊覧に参加されるお客様は1週間ほどの滞在が予定されているため、そうなったときの宿泊や寝泊まりのフォローやオペレーションも考えなければなりません。」

宇宙遊覧旅行は、ただ気球から宇宙を見るというだけでなく、その前後のサービスを含めたパッケージなのだなと改めて理解することが出来ました。

 

宇宙旅行の企画を提案していた三輪さんが岩谷技研の担当に

現在JTBから出向という形で岩谷技研の仕事を担っている三輪さんですが、岩谷技研の宇宙遊覧を知る以前からJTB社内で宇宙旅行に関する提案を行っていたそうです。

「宇宙の領域とかロケットを使って上空で何分間か無重力体験をできるみたいなことが、ここ最近話題になっているじゃないですか。JTBとしても進出していくべきじゃないかと思っていて…。JTBの社内では、新規事業の社内公募制度というものがあって、実際に提案を出してたんですよ。」

その提案を出したのが、岩谷技研が話題になる三年ほど前の話だったそうです。最終的に採択までには至らなかったようですが、その後に岩谷技研の「オープン・ユニバース・プロジェクト」の話を聞かされ、三輪さんは思わず「きたぞ!」と思ったのだそう。

「岩谷技研さんを私が担当させて頂けることになったので、なんというか、不思議な縁を感じています。私自身何か新しいことをやっていきたいとか、宇宙に対するポテンシャルも感じていたので、もう本当に〝お導き〟ですね。」と笑顔で語る三輪さん。

強く熱い想いが不思議な縁となって実現したのかもしれませんね。

 

今後の課題

――今後の課題や、宇宙遊覧旅行についてのイメージなどについて教えて頂けますか?

「まずもって安全性はもう本当に大前提で、それに伴って2,400万円という料金に見合う内容やサービス、そのクオリティはさらに上げていかないと!と思っています。より良く、心地よく、1週間の滞在の中での4時間の宇宙遊覧体験を含め、どんな要素で満足度を上げられるか。そこが課題ですね。」

今後どのように付加価値をつけていけるかという点は、今まさにいろいろ考えているところだそうです。

「宇宙遊覧旅行は、一生に一回あるかないかですからね。よくプライスレスって表現があると思うんですけど、お金を出しても経験できないような高い付加価値をどう創るか、みたいなところがポイントかなと思っています。」

そういった意味でも、JTBとの連携は宿泊・演出・その他トータル面で大きく貢献できると三輪さんは言います。

さらに、今後の重要課題の一つとして「インバウンド」を挙げていました。日本のマーケットに限らず世界に目を向け、より一層広いターゲットにアプローチしていくことも重要だとのこと。
実際にオープン・ユニバース・プロジェクトのホームページにも、海外からの問い合わせは多いのだそうです。

「日本人じゃなくても申し込めますか?という問い合わせもあります。なので、やっぱり海外の方に向けてプロモーションしていく必要性も感じています。」

行ったことがないところに行ける、見たことがない景色を見られる、そんな貴重な体験を提供する岩谷技研に世界中から注目が集まっています!

 

夫婦揃って趣味は旅行、道内各地を巡るのが楽しみ

最後に、休日の過ごし方や趣味についてお伺いしてみました。

三輪さんも奥様も、とにかく外出するのが好きで、旅行に出かけるのが趣味だとのこと。ですので、北海道の各地を気軽に出かけて見にいけることに喜びを感じているそうです。

「この間は旭川や富良野に行ってきました。気軽に富良野とかに行けたりするのは、すごい喜んでます。そのうち北海道らしさが満喫できる道東とかにも行きたいなと思ってます。東京から行こうと思ったら、それなりにお金や日数がかかりますからね…。」

三輪さんは仕事柄、札幌や函館には何度も来たことがあるそうですが、北海道に住むとなると、普段観光では行かないような場所にも行けるので、今までにない満足感を得られているようです。

「冬の北海道といえば雪まつり。JTBでも雪まつりは大変な人気でした。でも、お客さんの方でも飛行機が取れない、ホテルが取れない。本当に、なかなか苦戦する。そんな雪まつりも、自分たちはフラッと行けるんですよね…。絶対行かないと、と思いますよね。」

三輪さんの言葉や表情から、本当に北海道を満喫されているのだなという思いが伝わってきて、こちらも楽しい気持ちになってきました。

宇宙旅行に対する熱い思いと、いくつもの不思議なご縁が働いて、北海道の岩谷技研に加わることになった三輪さん。旅行会社での経験やノウハウを活かして、岩谷技研の名前が世界に広がっていく、それら壮大なビジョンをお聞きしながら、数年後の岩谷技研がどうなっていくのか…。きっと想像もつかないほどの素敵な未来になっていると思うと胸が高鳴ります。

我々、編集部が江別気球工場の竣工披露式に参加する際など、最初にコンタクトを取り、それからいつもお世話になっているのが仲取締役です。イケオジでお人柄も素晴らしい方だなと感じていたのですが、「社内では、このオッサン何者?と思われているでしょうね」と仲さん。それならば、我々が仲さんについて深掘りしましょう!と、岩谷社長に初めて会った時の話や、腐れ縁だという飯塚工場長とのエピソードなどを聞かせてもらいました。

 

Blackmagic Cinema Cameraの第一人者

ご自身のデザイン|映像制作の会社を持つ仲さん。グラフィックデザイナーとして写真を使ったコラージュの制作や企業印刷物のデザイン、ディレクションなどを行ってきましたが、やがて世を挙げて動画の時代が到来。Web動画の制作に乗り出す中、本場海外の映像制作術や、カメラ、レンズなどの機材に関する情報をわかりやすく紹介するブログを開設したところ、これが大当たり。一躍、映像業界で有名人に。

そんな時、『札幌の大学生が風船にカメラを付けて宇宙撮影に成功した!』というニュースで岩谷社長のことを知った仲さんは、共通の知り合いを通じて岩谷社長と出会います。初めて会った時の第一印象を、「すこぶる頭の良さそうな、痩せ過ぎの青年でした」と言う仲さん。もっと肥えさせねば!との親心(?)から『肉を食いに行こう!』と食事に誘ったそうです。

岩谷社長は、ふうせん宇宙撮影で確実に宇宙を撮影し回収できる装置を完成させたものの、当時はトイカメラを使用していたため映像の画質には限界と不満がありました。そこで仲さんが “撮影部” として撮影機材の選定を担当し、ご自身の映像ブログを通じて親交のあった豪・Blackmagic社から発売されたばかりの小型シネマカメラ(映画のような高画質で撮影できるカメラ)をバルーンに搭載することを提案します。

こうして制作したのが、2014年に公開した「FUSEN UCYU PROJECT – BMPCC GOES TO SPACE – 世界初、シネマカメラでの宇宙撮影」というドキュメンタリー作品です。

 


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デジタルシネマカメラによって撮影された宇宙から見る美しい地球の映像は、国内外の映像業界や撮影機器メーカーの間でも大変な話題となりました。

仲さんは、その後も岩谷社長のさまざまなプロジェクトに撮影アドバイザーとして参加し、記録映像を作るなど協力を続けます。…協力というよりも、仲さん自身も宇宙の写真を撮りたい!と、同じ夢を見ていたようです。

当然、2018年6月に宮古島で行われた、あの有名な「ふうせん宇宙撮影 生物プロジェクト」にも参加しました。

 


▶︎ 上の画像をクリックするとYouTube動画が開きます

 

実験の成功を受けて、「次は魚じゃなくてオレを飛ばして欲しい!」とお願いしてから二年。「準備できましたよ。そろそろこちらに来てください」と呼ばれ北海道に来てみると、岩谷技研はいつのまにか岩谷社長の個人事務所から立派な企業になっていました。すごいじゃん岩谷くん!と毎月様子を見に来るうち、今度は「本腰を入れて、このまま協力して欲しい」と言われました。

「気がついたら取締役になっていて。うまくはめられました」と笑います。

「岩谷くんは合理的ですからね、それぞれの専門分野で経験の積み重ねがある、ずっと歳上のぼくらのようなオトナに脇を固めさせることの利点に気がついてしまったんでしょう」なんて、この時は言っていましたが、いつか聞いた仲さんの言葉からは、新しい経験ができることを喜んでいて、超多忙ながらも楽しんでいる様子や、岩谷社長との仲良しぶり、感謝の気持ちが伝わってくるんですよね。

 

「え?雷ちゃん札幌にいるの!? いいなー」

仲さんが、札幌と東京と行ったり来たりしながら忙しくしていると「最近どうしてるの? 全然連絡くれないし」と、大昔からの友人で、ちょくちょく連絡を取り合っていた飯塚さんから電話がありました。

飯塚工場長と仲さんは小中学校の同級生。高校は別々だったものの、大学時代には今度は留学先のニューヨークで再会して、80年代はずっとあちらで一緒に遊んでいたそう。その後も付かず離れず、現在までずっとお付き合いが続いているのだそうですよ。

『岩谷技研の話をしたら飯塚が「そりゃ面白そうだ!いいな〜」と言うので、ちょうど工場長のポストを探してるんだけど、助けてくれんか?って話を振って、岩谷に会わせるいい機会だ、とちょうど出かけるところだった宮古島実験に誘ったんですよ』と笑う仲さんですが、その時に大事件が起こります。実験がうまく行き、全て終了したあと遊びで乗っていた船が大波に突き上げられ、甲板に叩きつけられた衝撃で、仲さんは背骨を折ってしまいました。そのまま現地の病院に緊急入院。

いっぽうの飯塚さんはそのまま札幌の岩谷技研に出入りするようになったものの、知り合いゼロ、周囲は二回りも若い社員たち、頼みの綱の仲さんは当分帰ってこれません。不本意ながら飯塚さんを放っておくことになってしまった仲さんは、身動きもできないベットの上で心配していました。

ところが約1ヶ月後、上半身を固定するコルセットを着けてようやく札幌に戻ってみると、飯塚さんはすっかり皆と打ち解け、頼りにされる存在になっていたそうで、「すげぇなコイツ!」と舌を巻いたそうです。

以前、大手百貨店で大勢の若者を統率して動かしていた経験を活かして江別の気球工場をまとめてほしいと仲さんからオファーし、飯塚さんは単身、北海道に移住して工場長を務めています。

 

自分はずっと一匹狼でやってきたので、今のように組織の中で自分のパートを認識して仕事をする経験は、今さらながら学びになっている、と言う仲さん。

さて、そんな仲さんについて、岩谷社長にこっそり聞いてみたところ「出会って10年くらいになりますか。『この歳まで生きたからもういいんだ、好きなものを食べさせろ!』なんて言ってますけど、健康には気をつけてほしいです」とおっしゃっていましたよ。

 

※仲取締役と腐れ縁?飯塚工場長のインタビューはこちら『北海道に来て本当に良かった!飯塚工場長インタビュー

今回は制作広報部/システム管理の松本大成さんにお話を伺いました。松本さんが担っている主な仕事は、IT・セキュリティ関連の管理。また仲取締役の指導のもとで広報関連のお仕事も担当されています。

 

岩谷技研・草創期にアルバイトをしていた松本さん

松本大成さんの岩谷技研入社は2022年11月ですが、実はそれより2年も前、まだ岩谷技研が岩谷社長と棧敷さんともうひと方の3人体制だった時期にアルバイトをしていたとのこと。岩谷技研草創期の頃を知る数少ない人物の一人!

ですので、しばらく離れていたとはいえ、入社前からどういうことをしている会社なのかは頭の中に入っていました。

草創期のことをお聞きすると、主要メンバー3人の他、松本さん以外にも北大生のアルバイトが何人も働いていたそうです。

「会社で使う備品から実験器具に至るまでいろいろ、岩谷さんが3Dプリンターなども使って作ったりして、会社が動くために必要なものをゼロから自分たちで作っていくのが楽しかった。カオスながらも良い経験でした。」と述懐。

当時の何もないところから作り上げていく過程が楽しくて、その体験をまたしたくて岩谷技研に戻ってきた部分もあったということでした。

 

岩谷技研に戻ってきたのは仲取締役の一言

「他に岩谷技研に戻ってきた理由とか、魅力的なことは何だったんですか?」と尋ねると、松本さんは「宇宙をやってみたかったというのもあるし、大学卒業後に就職した企業にいたときも、アルバイト時代に仲良くなっていた仲さんとはちょくちょく連絡を取っていて。それも戻ってくるキッカケになりました」と。

その戻ってくるキッカケとなった一言について、松本さんは克明に覚えていました。

「仲さんが僕に、『大企業の社員なんて、“パッケージツアーの団体客” じゃん』みたいなことを言ったんです。『松本、旅行と旅の違いがわかるか? 計画通り旅程表に沿って、予め決まっている見学地を粛々と回るのがパッケージ旅行。それに対して、目的地は決まってる、けど決して予定通りにはいかない毎日を楽しみながら進むのが旅だ。いい大学出て大企業に就職できて、おめでとう。だけど、人生の醍醐味は旅だろ!?旅!』って。
まさに大きな組織の中で歯車になりかけていたので、その言葉にグッと来て、よし!戻るかっ!? と決心したんです。

インタビュアーの私も旅行ではなく旅が好きなので、その意味していることにとても共感します。
一人一人が様々な思いをもって岩谷技研の仕事に関わっているのだなと思い、胸が熱くなりました。

 

親の猛反対、不安と涙、そして決意の札幌行き

岩谷技研へ転職してきた松本さんですが、前職は大手企業、実家のある東京に近い場所に住んでいました。その安定した道を捨て、実家から離れた札幌へ向かう際はかなり大変だったとのことです。

松本さんご自身も「前の会社を辞める時はとても怖かった。」そうで、さらには「親には泣かれました。」と当時の苦労話をしてくれました。

大学卒業後に就職で埼玉県浦和に住んで、実家も電車に乗って20分ほどで帰れる近場となったので、親族全員喜んでいたそうです。そんなご家族の喜びもつかの間、松本さんは岩谷技研への転職を決め、会社に退職届を出してからご家族に「来月から札幌に行くから」と伝えたそうです。

突然の転職と実家から遠く離れた札幌へ行ってしまうという話を聞いたお母様に「もう変えられないの?」と泣きつかれ、その後、ご両親と言い争いになり、喧嘩したまま実家を出てきてしまいました。

その後すぐに電話で話し合い、札幌に行く前にご家族で一緒にごはんを食べて仲直りしたそうですが、親御さんのことを考えると泣けてしまいますね。

でも松本さんは「前の会社よりもだんぜん岩谷技研が楽しいので」と、その時の決断は正しかったと教えてくれました。泣いて見送ったご家族のみなさんも、毎日やりがいを持って楽しく働いている松本さんの話を聞いてきっと安心して下さるのではと思います。

 

「たいへんだけど楽しい」入社してから息つく間もない、怒涛の日々と充実感

松本さんは久しぶりに帰省したような感覚で、2022年11月に岩谷技研に入社。晴れて岩谷技研の一員になったと思ったら、いきなりビジネスイベントでの来客対応や新型気密キャビンの製作、東京でのメディア発表会など、毎日が怒涛の忙しさです!と苦労話を聞かせてくれました。

前職で学んだプログラミングの知識を活かしてホームページ制作を勉強したり、上場に向けて大きく動き出した岩谷技研に必要なITセキュリティのシステム構築を担ったり、息つく間もない日々だそうです。

今後は、システムエンジニアとしてセキュリティの向上や、人手不足が解消できるようなITツール等を保守管理していきたい!と意気込みます。

また、「仲さん・唐津さんというスペシャリストの下で働いているので、広報の仕事にも携わっていきたいです。」と未来を見据えた向上心が溢れる松本さんでした。

ちなみに松本さんは北海道大学の恵迪寮出身とのことで(岩谷社長夫人も恵迪寮出身)、北大時代のお話や岩谷技研草創期の更なるエピソードなど、聞きたいことはまだまだ山ほどあります。今後も松本さんから沢山お話を聞いていきたいと思います!

誰でもいける、安心・安全で環境に優しい気球宇宙遊覧の旅を実現するためには、莫大な資金が必要です。ファイナンスの面から岩谷技研を支える取締役CFO 経営企画部の中園利宏部長にお話を聞きました。

 

北海道で働きたいと思いました

宮崎県都城市出身という中園さん。18歳で上京し大学を卒業後、三井住友銀行に就職します。三井住友銀行在職時に出向した会社でIPO(「新規公開株」や「新規上場株式」のこと)を経験されるなど、株式会社ぐるなび取締役IPO、IR担当、株式会社メディアフラッグ(現 インパクトホールディングス株式会社)取締役CFOを経て、2021年9月より岩谷技研に入社されました。

東京から出張で札幌・函館・岩見沢・望来(もうらい)や白老など道内各地に来ていたという中園さん。「少しでもいいから北海道の冬の暮らしをしてみたい」と考えるようになり、札幌に暮らす銀行時代の同期に相談したところ、気球による宇宙遊覧を目指す岩谷技研を紹介され、中園さんは岩谷社長に会うことになりました。

 

メイクセンスを感じた岩谷社長との出会い

北大でロケットについて学んでいたという岩谷社長が、ロケットに比べてパーツが少なく開発コストが低い気球は実現性が高いと、発泡スチロールで出来た手作りの装置を見せながら説明してくれた時に、「理にかなった発想だ! 本物だ、見つけた!ラッキー!!」と思ったのだそうです。

この時は、岩谷社長が「風船宇宙撮影」でテレビ番組等でも取り上げられている有名人だということを知らなかったそうですが、「嘘か本当かわからない金融の世界で生きてきた」という中園さんの経験と直感が即座に見抜いたのでしょう。岩谷社長の誘いに応じ、上場による資金調達やM&Aの経験を活かすことができると、入社を決めました。

 

みんなが幸せになる事業

投資や資金調達などについて全く知識のない我々が「ファイナンスとは何ですか?」と曖昧な質問をしてしまったにもかかわらず、中園さんはとてもわかりやすい言葉で説明してくれました。

金融は環境や時代に左右されるもので、投資の世界では2018年から2020年くらいにかけて宇宙関連ビジネスのブームがきていたそうです。岩谷技研も20年に初めてベンチャーキャピタルからの投資を受け、本格的に気球による宇宙遊覧実現の方向に舵を切りました。現在、資金調達の累計が約11億円となり、開発・実験は順調に進められています。

事業に価値があること、将来性があること、リターンがあること、判断基準は様々ありますが、大切なのは事業の「本質」なのだそうです。岩谷技研が行なっているのは「みんなが幸せになる事業」だと中園さんは言います。

ファイナンスとは、努力し確実にステップアップしているところを投資家のみなさまに見ていただき、理解者や仲間を増やしていくことだ、と教えてくれました。そして今後は事業の収益化と、広く株式を公開していくことを目指しているのだと力強く話してれました。

 

雪の写真をたくさん撮ってはしゃぐ中園さん

最後に「実際に北海道の冬を経験してみていかがでしたか?」と聞くと「雪が積もるところで生活するのが初めてなので、雪の写真をたくさん撮ってはしゃいでます」と笑顔の中園さん。スマホには札幌で撮影した雪の写真がたくさんあるのだそうです。

また、岩谷技研の近くには幼稚園があるのですが、「冬場、お子さんをソリに乗せて幼稚園に登園している親御さんの姿を見て、とても癒やされています」と目を細めていました。慣れない雪でさぞかし苦労されているのかと思いきや、楽しい雪のエピソードが次々と出てきて、本当に北海道の雪が気に入った様子だったので安心しました。

制作広報部の唐津哲也さんは、岩谷技研に転職するまではウェディングの映像づくりなど、長年映像関係のお仕事をされてきたそうです。そして岩谷技研に来る直前までは、福祉施設で映像を教える仕事に従事。

ついつい出来心で?岩谷技研が求人していたクリエイター募集に応募してしまった唐津さんは、履歴書と一緒に提出したこれまでの映像作品を見た取締役 制作広報部長の仲さんが驚いて、その場で採用を即決したという人物。

あっさりと採用通知はいただけてしまったものの、さてどうしたものか? 本当に東京での暮らしを綺麗さっぱり引き払って、札幌に行くのかな? >自分

唐津さんは東京出身ですが、小学生の頃は札幌に住んでいて、街の良さをよく知っていました。岩谷技研の本社が札幌なので、この住みやすい場所で仕事ができると思ったのも転職を決心したキッカケの一つだったようです。

 

宇宙好きのキッカケはスペースシャトル?

また、岩谷技研に来るキッカケはやはり、「もともと宇宙が好きだったから」と話す唐津さん。実は岩谷技研で働く方は機械や技術が好きなエンジニアが多く、意外と宇宙好きが少ない!唐津さんもそれを感じていたようで、「宇宙が好きな人が意外と少ないんですよね~」と苦笑いを浮かべていました。

さらに深く聞いていくと、唐津さんは1973年生まれで、ちょうど小学校の時に最初のスペースシャトルが飛んだ時期だったということでした。「アポロをリアルタイムで見ていない世代としては、スペースシャトルのインパクトはひじょうに大きかった。」と語ります。

「おそらくそのスペースシャトルが、宇宙が好きになる最初のキッカケだったのではと思う。」と、当時の思い出とともに話してくれました。

岩谷技研にはUFOを見たという方もいらっしゃいますし、ぜひ皆さんで宇宙好きを増やしていきたいですね!

 

とにかく仕事が楽しく、毎日新鮮!

岩谷技研に来て約半年ほど経ち、お仕事の方はどうですか?という問いに、「仕事も楽しいし、札幌自体とても住みやすい街なので、今のところ順調です。」というお答えでした。

「もともと映像が好きで、その映像を作る仕事を集中してやらせてもらっているので、とにかく楽しいです!」とのこと。

また、仕事の過程で様々な実験に立ち会ったりするたび、「こんな感じでやっているんだ!という新鮮さがいつもある」と、子供心をくすぐられる感じで本当に楽しいのだそうです。

毎日見たこともないことの連続で、新鮮さと楽しさを感じると同時に、「会社としても今重要な時期で、そういうタイミングにいさせてもらっている。すごく貴重な時期に立ち会っているんじゃないかな」と唐津さんはしみじみと語っていました。

 

岩谷技研のファンを増やしていく!

唐津さんは広報を担当する立場から、岩谷技研を色々な人に知ってもらうことが主な仕事です。

「突き詰めればそれは岩谷技研のファンを増やしていくこと。そのためのお手伝いをさせて頂いている。」

その「ファンを増やしていく」という活動は、社外的にももちろんのこと、社内的にも重要だと語ります。

「やっぱり働いている人間がこの会社はダメだな…と思っていたらマズいじゃないですか。自分たちがやっていることを、オレたち実はこんなスゴイことをしているんだ!と誇りに思ってくれたら良いのだけど。中も外も関係なく、岩谷技研のファンをどんどん増やしていきたいし、そのためにやれることがまだまだあるんじゃないかなと思っている」

岩谷技研を会社の外から見ている一般の方だけでなく、社内で働く社員が全員岩谷技研のファンになってほしい、そう語る唐津さん。今後はSNSなども活用して、どんどん活動の場を広げていきたいと力強く意気込んでいたのが印象的でした。

オホーツク地方・佐呂間町出身という経理課の渡辺あさのさん。「新しいことにチャレンジすることが好き」と思い立ったらやってしまう行動力の持ち主です。札幌の短大に進学し、卒業後は2年ほど札幌で働いたものの、一旦は地元に戻って働いていたという渡辺さん。

地元で働いていた頃には、サッカー・ソフトボール・カーリングなどに挑戦し、チームを作って活動していたのだそう「休みの日もじっとしていられないタイプなんです」と元気はつらつな印象です。また札幌で働きたいと2023年3月に岩谷技研に入社しました。

 

岩谷技研と植松電機のつながり

「岩谷技研のことを知っていたわけではないのですが、入社してから不思議なつながりを感じました」と言う渡辺さん。

渡辺さんは小学生の頃、授業の一環で赤平市の植松電機を訪問したことがありました。植松電機では、小さなロケット作りなどの体験を通して子ども達に夢と勇気と自信を持ってもらう教育支援活動を熱心に行なっています。その時は植松 努社長には会えませんでしたが、「思うは招く。夢があればなんでもできる。」をテーマにしたビデオ講話を見て、失敗を恐れずに挑戦することの大切さを学んだのだそう。
「新しいことにチャレンジするのが好き」という渡辺さんの性格は、この時の体験も元になっているかもしれませんね。

さて、岩谷社長は大学生の頃に風船にカメラを取り付けて打ち上げる活動(その後、「風船宇宙撮影」と呼ばれるようになる活動)を始めました。打ち上げた風船はどこかに落ちますが、この落下した風船を見つけるために必要な通信機器やGPSを技術提供してくれたのが、植松 努社長でした。この実験は北海道のローカルTV番組「1×8いこうよ!(いっぱちいこうよ)」や新聞にも取り上げられましたが、この時のご縁は今でも続いていて、植松電機は今もずっと岩谷技研に協力をしてくれています。渡辺さんは入社後にこの関係性を知り、自分の中の点と点がつながったと感じたのだそうです。

「未知の世界の宇宙にも興味が湧いてきています!」と目をキラキラさせて教えてくれました。

 

意気込みを聞いてください!

「ずっと人に恵まれて生きてきたと思うんです」と子どもの頃はあまり自己主張をしないタイプだったそうですが、短大時代に親しくなった友人に「そのままでいいんだよ」と肯定された言葉が渡辺さんの宝物になっていて、やりたいと思ったことはやってみよう、どんどんチャレンジすることができるようになれました。

岩谷技研で働きたいと思ったのも、新しいことにチャレンジできる、自分を成長させることができる環境に身を置きたいと考えたから。

渡辺さんは現在、経理課の佐伯さんのもとで、主に支払業務に従事しています。ですが、少数先鋭のベンチャー企業は与えられる仕事があるというよりも、より積極的に自分で考えて見つけて行動していくことが求められます。これまで働いてきた環境とは考え方自体が違い、「世界が変わった」と思ったほど。今まで経験したことがない仕事も多いですが、「やってみます」「がんばります」とチャレンジの毎日だそうです。

慣れなくて大変というよりは、周りのみなさんも親切で優しく、仕事と仕事のつながりを丁寧に教えてくれるのでわかりやすく、岩谷技研でも人に恵まれてありがたいと感じています。

「せっかくなので意気込みを語っていいですか」と「まずは与えられた仕事を、やり方を聞かなくても自分で処理できるようになって、一人立ちして、早く新しい仕事を任せてもらえるようになりたいです!」と熱く語ってくれました。がんばってください!!

業務推進課にて主に資材購買関係を担当されている楠正義さん、どんなお仕事内容なのかなど、色々お話をうかがいました。

 

ゼロイチの現場で役に立てると思った

業務推進課に所属する楠正義さんは岩谷技研に勤める前、道内の大手企業で総務・経理の仕事に長年関わってきました。岩谷技研は3社目とのことで、2社目では東京でスタートアップを立ち上げる際に携わりました。その事業が軌道に乗った頃、作り出したものを大きくしていく仕事よりも、準備のないところから新規事業を立ち上げ、新しい価値を作り出す 0→1(ゼロイチ)の現場が魅力的であると感じ、自分の経験を活かしたいと2021年の12月に岩谷技研へ入社します。

社内の様子を見て技術者に負担をかけず、実験を滞らせないことが大切だと感じた楠さんは、まずは岩谷技研にとって欠かせないヘリウムガスの調達や各種資材の購買関係、在庫管理を引き受けることを申し出ます。

 

ヘリウムガスが入手困難?!ロードテープが生産終了?!

楠さんが入社して間もなく宮古島での実験があり、ヘリウムガスを調達することになります。ところがコロナ禍でそれまでのように現地で調達できない!という緊急事態が発生しました。

「ヘリウムが世界的に減っているようなんですよ」と楠さん。そもそもヘリウムは天然ガス産出時の副産物として分離、精製される貴重な資源。近年、パンデミックや戦争・紛争などの世界情勢の関係で、油田が停滞し供給悪化が続いているのだそうです。

岩谷技研のプラスチック気球はヘリウムガスで飛ばすのに、ピンチじゃないですか!!

楠さんは手を尽くし、ヘリウムガスの入手先を新たに確保します。ところが今度はそれを輸送するのが大変で…。結果的に宮古島の実験は無事行うことができ、成功したそうですが、「綱渡りでした」と当時を思い出して、ちょっと苦笑いの表情。

私たちもホッと胸を撫で下ろしたところで、「その次に、ロードテープのメーカーが廃業!という事件があって…」と話し始める楠さん。

ロードテープ(気球全体の荷重を支えるテープ)は気球を作るのに重要!またまたピンチじゃないですか!!

世界中からサンプルを取り寄せて代替品を探したのだそうです。入社早々から大きな危機を2度も乗り越えてきたんですね・・・と楠さんの功績を讃えると「もちろん自分だけの力ではなく、岩谷社長がいろいろなところで気球宇宙遊覧の話をしてくれているおかげで、手を差し伸べてくれる人がたくさんいました」と教えてくれました。

普段の一人ひとりの言動が水面下でつながっていき、開発や事業を推し進める大きな力になっていってるのだなと感じました。

 

趣味はバイク 乗り物や機械構造に興味津々

楠さんの趣味はバイクとのことで、夏はバイクに乗ってあちこち出かけるのが楽しみなのだそうです。道内ツーリングは最高に気持ちいいでしょうね!

機械いじりもお好きなようで、「乗り物」としての「キャビン」に興味津々の楠さん。

2023年2月に行われた岩谷技研・記者発表会でお披露目した二人乗りキャビン、T-10 EARTHERにはレーシングカーにも採用されているレカロのシートが使われているのですが、「めちゃめちゃかっこいいですよね!」と目をキラキラさせていましたよ。

また、開発部の人たちが作業している様子や彼らが使っている工具が気になったり、天頂弁の機構を見ては「これどうやって動くんですか?」と聞いたりして、メカニカルな部分が気になってしょうがないとのこと。

事務系の仕事を担当していながら実はエンジニアな視点も持っている楠さんにとって、岩谷技研は来るべくして来た、まさに天職的な場所なのかもしれませんね。

 

IPOに向けての取り組み

岩谷技研では、IPO(株式公開)を目標にしています。上場のためには厳しい審査を通過するための高いハードルがあり、管理体制、内部統制を整えるなど、必要な準備が多岐に渡ります。実現させるには経理部門だけの努力だけではなく、各部署、現場の協力も不可欠です。

楠さんは岩谷技研の次のステージに向けて「みんなの協力が得られるように仲間から信頼される人になりたい」と話してくれました。

岩谷技研の経理課・佐伯圭祐さんにお話を伺いました。日々の業務や岩谷技研での経験、そして趣味のことまで、幅広く語っていただきました。

 

常に変化があり学ぶことが多い今の環境が楽しい

佐伯さんは、主に経費や請求書の仕分けや支払業務を中心に仕事をされています。

また、決算期には監査法人や税理士事務所の方と協力して数字を固める業務も行ったり、予算策定や会社の管理会計についても、経理を担当する上司の中園さんの指導のもとで取り組んでいるとのことです。

佐伯さんは2022年4月に岩谷技研に入社しましたが、以前は山梨県で経理の仕事をしていたとのこと。佐伯さんの奥さんは小樽出身で、その縁で北海道に移り住んだそうです。

岩谷技研に入社したきっかけについて、佐伯さんは「今までの経理の仕事はルーティンワークが中心で、成長を実感することが少なかった」と語ります。そこで、岩谷技研のようなスタートアップ企業なら、普通の経理とは異なる刺激的な業務に取り組めるのではないかと転職を考えました。

佐伯さんは岩谷技研での仕事について、「札幌は住みやすい街で、仕事も楽しい」と述べています。常に変化があり、学ぶことが多い環境に身を置けることが楽しいということでした。

 

月の土地を買える権利書!?

佐伯さんに宇宙への興味はどれくらいありますか?という問いに、しばらく考えた後にものすごいエピソードが飛び出しました。

なんと、佐伯さんの奥さんは前年の誕生日に『月の土地を買える権利書』をプレゼントしてくれたそうです。そして、そのお返しとして佐伯さんも奥さんの誕生日に『月の土地を買える権利書』をプレゼント!

なんて素敵なエピソードでしょう。「そういう意味で言えば、宇宙に興味があると言えますよね?」とちょっと照れたようにお話してくれました。

また、佐伯さんは高い場所はあまり得意ではなく、観覧車なども苦手だと語ります。しかし、気球に乗ることなら挑戦してみたいとも話しています。「でも、乗るのは最後でいいです」と笑っていました。

 

将棋の真剣勝負&犬の癒やし

話題は趣味に移り、佐伯さんは将棋にはまっているという話を明かしてくれました。最近はネット将棋をプレイしたり、将棋の中継を観たりして楽しんでいるそうです。子供の頃から将棋が好きで、将棋界の天才・藤井聡太さんの活躍が将棋熱を再燃させたと語ります。

さらに、佐伯さんは2匹の犬(ミックス犬とチワワ)を大切に育てているというお話しを聞かせてくれました。
江別研究所に勤務する飯塚工場長もチワワを飼っているそうで、江別に行くたび飯塚工場長とチワワの話題で盛り上がってしまうといいます。

江別研究所には月に1回ほど訪れており、工場では飯塚工場長やメイトさんが積極的に話しけけてくれることもあって、いつも心地よい雰囲気の中で過ごしているそうですよ。

 

岩谷技研を陰でサポートしていきたい

「研究や開発にたくさん時間を割けるよう、事務作業などはこちらが引き受けて、会社が前に進むために全力でサポートをしていきたい。」

佐伯さんは「開発をしている人たちが主役」であると話し、そのためにどうサポートできるのかを必死に考え実行していることが伺えました。

今後については、岩谷技研が上場を目指している状況下で、それに向けた事務等に関する制度などを整えるために、一つ一つ課題を潰していきたい!と意気込んでいました。

岩谷技研の発展に陰から貢献する佐伯さんの存在は、とても頼もしいですね!

岩谷技研の経営企画部 課長・北條智也さんにお話を伺いました。北條さんは北海道・帯広出身で、現在39歳。二人の小さなお子さんがいらっしゃいます。
入社は2023年3月で、主に会社の資金調達や法務などの業務に携わっているということです。

以前は銀行の財務担当として勤務していたという北條さん、転職してきた岩谷技研で働く中で、一人ひとりが高いレベルで団結して仕事に取り組む姿勢に感銘を受けたと言います。特にスペシャリストが集結している岩谷技研ですから、他社とはずいぶんレベルもパフォーマンスも違うと感じていたのかもしれません。

北條さんは現在、会社法や金融商品取引法などの法律について学びつつ、上場に向けてどのような取り組みが必要か考えながら仕事に取り組んでいるとのことです。

 

江別研究所に行くとやる気が上がる?

気球を作る工場である江別研究所にはもう行かれましたかと聞くと、まだ入ったばかりということもあって行けていないということでした。

本社のメンバーからは「早く行った方がいい」「江別研究所に行くとやる気が出る」という話を聞かされているようです。やはり実際の気球やキャビン、開発している状況を目の当たりにすると、今やっている仕事がどのように実を結んでいるのかを見られるので、とてもやる気が出てくるそうですよ。

我々インタビュアーも、江別研究所にお邪魔するたびにテンションが上りますから、当事者の方ならなおのことかもしれません。

 

故郷のプラネタリウムがきっかけに

岩谷技研に入社したきっかけについてお聞きすると、「子供の頃から宇宙が好きでした」と。子供の頃の憧れを仕事で実現できると感じたからだと語る北條さん。

宇宙に対する興味を抱いたキッカケは、出身地である帯広にプラネタリウムや天体望遠鏡があり、それらを通じて宇宙について学ぶ機会を得ていたことが大きく影響しているとのことでした。

プラネタリウムや天体望遠鏡で見た宇宙と、気球に乗って眺める宇宙の違いについても、いつかお聞きしてみたいですね。

 

趣味は楽器!バンド活動をしていた過去も

北條さんに趣味についてお聞きすると、楽器演奏(ベースとシンセサイザー)ができるということでした。なんと、高校時代から30歳くらいまでバンド活動をしていた経験を持つ本格派!

そういえば電子科の橋本さん、柳田さんも楽器演奏ができるという話がありましたし、これをきっかけに岩谷技研バンドを結成できますね!と我々インタビュアーが勝手に盛り上がって笑いました。

現在は楽器を弾く機会が少なくなっているそうで、休日の楽しみは、6歳と3歳の可愛らしい娘さんと遊ぶことだそうですよ。

 

今後の目標と成長への意欲

岩谷技研における北條さんの今後の目標は、これまでは銀行で事務を統括するような役職だったので、その経験を活かして岩谷技研でもそのような存在になりたい、と意気込みを聞かせてくれました。

そのためには、札幌本社や江別研究所で働く皆さんをよく知り、相手の感情を理解して、より働きやすい職場環境を作り上げることが重要だと考えています。

開発に携わる方たちが仕事に集中できるよう、無駄な労力を割かないで済むよう、事務的なサポートを行いながら、岩谷技研の成長に貢献したいということでした。

宇宙への興味や音楽への情熱など、多様な面を持つ北條さん。物腰柔らかな話し方と豊かな人間性が、今後の岩谷技研の更なる発展を担って行くことを感じたインタビューでした。