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‘学生’

2022年1月から岩谷技研でアルバイトを始めたという北澤元気さん。現在は大学院修士の2年生に進級し、学生アルバイトの中でも先輩の立場になり、自分の気持ちにも江別気球工場にも変化があったと話をしてくれました。

 

学生アルバイトはどんな仕事をするの?

昨年、江別気球工場で初めて会った時には、午後3時以降のメイトさんたちがほとんど帰ってしまった広くガラーンとした工場で一人黙々と作業をしていた北澤さん。飯塚工場長から「彼は北大野球部(準公式)に所属するスポーツマンで、さらにピアノも得意。文武両道なの」と紹介してもらったことをよく覚えています。

岩谷技研では、所属している変形制御学の研究室の先輩がたくさん働いているので、 研究開発の現場を見てみたいと、このアルバイトを始めました。研究室では「構造の最適化を研究しています」と教えてくれ「例えば 、縦糸と横糸で織られた布を引っ張った時の歪みやすさについてとかなんですけど」と分かりやすく説明してくれました。その学びは岩谷技研で大活躍中の3Dプリンターを使用する時に役立ちそうですよね。

学生アルバイトさんの主な仕事は、メイトさんと一緒に溶着作業をするほかにも、作業がスムーズになるように道具の調整や改良など。3Dプリンターではさまざまなパーツも作成します。

 

江別気球工場の雰囲気が変わりました

「プロトタイプは開発部の研究者さんがまず作ってくれることが多く、それを土台にして考えたり、工夫したり、試してみたりを繰り返します」その一連の流れを学生アルバイトのみんなで試行錯誤でやっていくことをおもしろく感じていたそうですが、以前は「仕様書には数字だけとか、情報が少なかった」ので、やってはみたもののうまくいかないこともあったのだそう。

江別気球工場で開発部のみなさんと一緒に働けるようになってから、このパーツを何に使うのか? この設計の意味はどういうことなのか? そうした疑問も直接聞くことができ「実際のイメージがわかり、つくりやすくなりました」と、気球工場と旧・R&Dセンターが同じ場所に統合されたことをとても良いと感じている様子。

「以前は、メイトさんが帰ると人も少なくて寂しい雰囲気もあったけど、今は開発部のみなさんがバリバリ働いているので夕方もにぎやかです」と話し相手が多くなったことも喜んでいます。

「みんなでどうしたらいいかを話し合って、何度も作り、良い結果が出た時には本当に嬉しい」と、ちょうど一年位前にはそんなふうに言っていた北澤さん。アルバイトを始めてからの経験値も増えて、これからますます楽しくなりそうですねと言うと、北澤さんの表情が変わりました。

 

進行中のプロジェクトリーダーに「責任感を持ってやっていきたい」

「今までは先輩の下について教えてもらって仕事をしていましたが、教えてくれていた先輩がみんな卒業してしまったので」と、それまでニコニコと楽しそうに話してくれていましたが、急に真剣です。気楽な後輩の立場から、今度は自分が先輩の立場になったことを自覚し、しっかりしなくちゃと責任感を感じているのだそう。

北澤さんは、使用済みの気球を利用して工場内にディスプレイとして展示するプロジェクトのリーダーとして取り組んでいます。メディアの取材が入ることも増えてきたため、気球を身近に感じてもらいたいと岩谷技研は考えているのだそうです。

竣工披露式に参加させてもらった時、一人乗り用のキャビンと気球が工場内に展示されていましたが、初めて見る透き通った気球の美しさに感動したことを思い出し、それはとっても素敵ですね!いつ出来ますか?その時には取材に来ます!!と、我々の方がまた張り切ってしまい、北澤さんにさらにプレッシャーをかけてしまいました。

「がんばります!」と答えてくれた北澤さんに対して、子どもの成長を感じて感動する母のような気持ちにもなり、嬉しく頼もしく感じたインタビューでした。

北海道大学に通う学生の吉川敬太さんにインタビューを試みたところ、「恵迪寮(けいてきりょう)に住んでるんですよ」と言われて、「あの恵迪寮に住んでるんですかー?!!」と、ものすごい勢いでくいついてしまいました。今回はインタビュアーの趣味から、「恵迪寮」の話題が8割です。

※吉川さんの「吉」は土(下の方が長い)に口の旧字。

 

恵迪寮といえば、赤フンで寮歌でしょ?

原子炉工学研究室で発電、安全の研究をしているという4年生の吉川敬太さん。大学院に合格し進学予定で、今は卒論をがんばっているところだそうです。

名古屋出身の吉川さんは「母親がテレビで恵迪寮の様子を見て気に入り「あなたは北大に進学して恵迪寮に住みなさい」となぜか決められて、それで北大に進学した」と話してくれたのですが、お母さま?!本気ですか?と驚きました。

ちなみにお母さまがご覧になったのは、2015年冬に放送された「ドキュメント72時間〜北の大地の学生寮〜」。現場にカメラを据え、そこで起きる様子を72時間にわたって定点観測するNHKの人気ドキュメンタリー番組ですね。

恵迪寮といえば、赤フン姿で寮歌を歌うバンカラなイメージがありませんか?最近の大学生にはあまりバンカラな野蛮なイメージはないにしても、恵迪寮は北海道一カオスな場所で、共同で生活する部屋はどこも恐ろしく汚いと噂で聞いたことがあります。

「いやいや、みんなちゃんと住んでますし」と苦笑いする吉川さん。吉川さんが岩谷技研でアルバイトするようになったきっかけも、恵迪寮に住んでいた院の2年生サクライさんに誘ってもらったからで、同じくR&Dでバイトする石川くんも恵迪寮の仲間です。確か、松本さんも恵迪寮出身だったような・・・と次々名前が上がるので岩谷技研と恵迪寮には、ただならぬ関係性を感じます。

それはさておき、吉川さんは恵迪寮の執行委員をつとめていて、「炊務」の時は400人分の炊き出しをして大変だったけど、楽しかったと言います。100年以上の歴史を持ち約400人が暮らす恵迪寮は、衣食住すべての運営を学生自身が行う、全国でも4箇所しかない自治寮。「恵迪寮の建物は網走刑務所がモデルになっているんですよ」との説明に我々取材陣は大爆笑!

そんなカオスな空間で生活している吉川さんも、去年の夏に江別気球工場内を整理した時には、土埃が酷すぎて防塵マスクをしてやっていたと「一階がこんなにキレイになるとは思わなかった」と当時のことを思い出して話してくれました。現在も江別気球工場の2階を片付ける作業をしていますが、きっと2階も驚くほどキレイになるに違いありませんね。

 

3Dプリンターを使ってみたかった

他にも江別気球工場での主な仕事は、3Dプリンターの調整、「溶着機」の調整など。「溶着機」は北澤さんが教えてくれた手作業を自動化できるように作ろうとしていた機械のことですね!名前が付けられ、着実に進化しているようです。

3Dプリンターは繊細で少しでもずれると出力がうまくいかないので、こまめなメンテナンスが必要なのだそうです。各種の部品作りは業者に頼むと納期もかかるので自分達で作った方が早い!と、3Dプリンターは岩谷技研にはなくてはならない重要な機械です。

大学の研究室でも3Dプリンターがないところの方が多く、使ってみたいという思いがあったので、岩谷技研ではまず3Dプリンター使い方を勉強させてもらえたのがありがたかったそうです。もともと宇宙にも興味があったので、やりがいと楽しさを感じている様子でした。

 

【後日談】恵迪寮に行ってみた

網走刑務所を模したという恵迪寮をぜひ一度見てみたいと言うと、ちょうど寮祭が行われ一般公開されるというので、吉川さんを訪ね恵迪寮に潜入してきました。

この日は、「一般の方が来るのでいつもよりキレイに片付けてあります」と学生の皆さんは言っていましたが、十分に足の踏み場がないほど汚くてカオスでした。でも、この環境を楽しんで青春を謳歌しているみなさんをとても逞しく素敵だと思いました。

岩谷技研の中でも、彼らの熱い恵迪寮魂がおもしろい化学反応を起こせるような気がしました。

 

岩谷社長の原点

ちなみに、恵迪寮の南側には北海道大学の広大な農地があり、多くの羊が暮らしています。

北大の学生だった岩谷社長は学生時代、この場所で風船「1号機」をはじめ数々の風船を飛ばし実験を行ったそうです。

岩谷社長・岩谷技研の原点がここにあるのかと思うと感慨深いものがありますね。

岩谷技研では、「学生社員」という制度を設け人材育成にも力を注いでいます。学生社員の一人、Kさんにお話を聞いてみました。

Kさんは江別気球工場にて、作業をレクチャーするお仕事をされていましたが、今後は札幌R&Dセンターにて勤務となります。江別気球工場の様子や岩谷技研で働いて感じたことなどを教えていただきました。

 

学生社員Kさんインタビュー

札幌出身のKさんは、小学生の時から算数が得意だったとのこと。勉強が楽しいと感じられる環境に恵まれ、北大の工学部へと進学します。

大学入学後は飲食店でアルバイトをしていましたが、コロナの影響でバイトができなくなり、他にアルバイトを探していたところ、岩谷技研の求人を見つけました。

 

「それは、宇宙に興味を持っていた!とか、岩谷圭介さんに憧れて一緒に働きたいと思った!とかですか?」
と食い込み気味な質問に対して、「その時はよく知らなくて」と誠実に答えてくれるKさん。素直で真面目な青年という印象を受けました。

 

さて、今から約2年前、学部の4年生の10月にアルバイトとして岩谷技研に入社し、
「当時は岩谷さんの他に社員が3人くらいしかいませんでした」というKさん。3Dプリンターでさまざまなパーツを作ったりしていたそうです。

岩谷技研は、その当時から今では約10倍の30名ほどの大所帯となっています。江別気球工場でも10名ほどの人達と一緒に働くことになったと思うのですが、戸惑いはありませんでしたか?

「メイトさんにアイロンのかけ方を教えていましたが、みなさん、ちゃんと話を聞いてくれて、とてもやりやすかったです」と、メイトさんたちは熱心に学び、理解も早く、技術を吸収していったそうです。

 

岩谷さんからの影響、Kさんの今後について

これからのKさんのお仕事は、江別気球工場で手作業で行われていることを、将来的に機械化していくためのデータを集め分析し、札幌R&Dセンターにて研究開発を進めていくのだとか。

「岩谷技研で働いているうちに、考えることが好きになりました」というKさん。「新しいことをするって、もっと敷居が高いというか、誰もができるものではないと思っていました」

ふうせん宇宙撮影装置など、たった一人で新しいことを始め、挑戦し続けている岩谷さんの元で働いているうちに「新しいことも気持ちがあればできるもんだ」と思えるようになったそうです。

 

気球を使っての宇宙旅行が、今までになかった新しいことですから、その気球を作る機械も今までになかった新しいもの・・・実際に、それを作ろうとしているのですから、Kさん自身も挑戦者であり、先駆者ですよね。

卒業後は、他の企業への就職が決まっているというKさん。自分にも新しいことができるんだという気持ちは、これからどこで何をする時にもKさんの人生を輝かせる強い力になると思います。