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‘インタビュー’

20代〜30代のエンジニアが中心となり宇宙旅行の実現に向け、設計・開発・製造を行う岩谷技研ですが、定年後も夢を追いかけたいと入社したシニアスタッフも活躍しています!

 

他ではやっていないことをやっているのが魅力

エンジニアとして札幌でお勤めされていた会社を定年退職され、2023年2月に岩谷技研に入社された鈴木義生さん。昨年の夏頃にたまたま観ていたテレビで岩谷技研の様子が放送されていて「札幌にこんなおもしいことをやっている会社があるんだ」と感心しました。

定年し、さてこれからどうしようかという時に岩谷技研のことを思い出し、HPを見てみるとパートの募集をしていたので、自分にも何かサポートできることがあるかもしれないと、思い切ってメールを送ってみたのだそうです。

「モノづくりが好きなので」とニッコリ微笑む鈴木さん。ご家族も「好きなことならいいんじゃない」と再就職への背中を押してくれました。

実際に働くようになって、岩谷技研の印象はいかがですか?と聞くと「まだわからないことだらけですが・・・」と遠慮がちに「工場のみなさんは親切で、スピード感を持ってやっている」のを感じると話してくれました。ご自身は、毎日新しいことを勉強しているようだと言います。

今までに世の中にあるものではなくゼロから、”他でやっていないことをやっている”ことが面白く、驚きと新鮮さの毎日を楽しんでいるとのことですが、同時に未知の世界に戸惑いを感じることもあるのだそう。

 

地上とは違う高度25kmの世界

鈴木さんは前職では、調理器具、給湯器、温水暖房器具などを開発してきました。

岩谷技研で開発している気球や宇宙遊覧用キャビンは、人間にとって宇宙とほぼ同じ環境になる高度25~30kmの成層圏を耐えるものです。高度25kmになるとほぼ真空状態で、気温も氷点下80度となります。大気の圧力の大きさを表す「hPa(ヘクトパスカル)」という単位も聞きなれないものでした。地上の環境と大きく違うマイナス80度の状況で使用できるものはつくったことがないと言います。ふつう人間は成層圏には行かないので、地上での開発でマイナス80度を想定してなくても当然ですよねと笑いました。

2人乗りキャビン「T-10 Earther」ではキャビン内の気圧変化は旅客機よりも小さく、高度の変化による温度変化もほとんどないと聞いていて、今まで当たり前のように「安心・安全」と感じていたのは、実は岩谷技研の技術力あってこそなのだと、ハッとしました。

 

モノづくりにおいて大切なことは?

最後に、鈴木さんの今までの経験からモノづくりにおいて重要なことってなんでしょうか?と質問させていただくと、「品質が安定したモノづくりです」と教えてくれました。

まず、開発者がつくる基本の設計があって、工場の人が組み立てるのが一般的な製造工程ですが、そもそも構造的に組み立てにくいと出来上がりの製品にばらつきが出てくるのだそうです。構想段階から、設計者と工場の人が一緒に話せる場があり、設計の意図を工場の人がわかってくれると品質管理の精度が上がるのだと聞いて、「札幌R&Dセンター」が「江別気球工場」と統合し、開発部門と気球製造部門がひとつの場所に合体したことは、ますます素晴らしいモノづくりの環境が整ったということなんだと納得しました。

岩谷技研 研究開発部 知財・共同研究担当部長 兼 機械課2課 課長の棧敷和弥さんにお話を聞きました。

なんと棧敷さんは岩谷社長と同級生!?貴重なエピソードも聞けましたよ!

 

知財とは何?

知財管理部部長の棧敷和弥さんは、主に知的財産の管理と開発などのお仕事をされています。知的財産とは会社の中で開発したモノやデザイン、アイデアや発明などのことです。棧敷さんはその知財の中でもベンチャー企業である岩谷技研にとって生命線となる「特許」を担っていて、弁理士さんとやりとりしながら気球と気密キャビンにまつわる特許を数多く出願・取得しているのだそうです。

「知財は、似たような事業をしている他社に真似されたりとか、自分たちが作ったものを変なふうに使われないようにするための役割があります。」と、棧敷さんは知財に関して全く分からない我々インタビュアーに優しく丁寧に教えて下さいました。

棧敷さんのお仕事は知財がメインですが、最近では開発の仕事や、社外の委託の実験なども担当しているとのことで、とにかくお忙しいそうです。

「まあ大変ですよ」と淡々とクールに答えてくれる棧敷さんですが、そのクールな返答に並々ならぬ苦労が漂うのを感じました。

 

岩谷社長と同級生!学生時代の岩谷社長とは?

札幌出身の棧敷さんは、もともと宇宙への興味が高かったため北海道大学へ進学。その北大の研究室で、岩谷社長と出会ったのだそうです。

「え!岩谷社長と同級生だったんですか!?」と驚く我々。棧敷さんは「学生時代、岩谷を含めた友達と夜通し遊んだりしてましたね」と同級生らしい思い出を語ってくれました。「棧敷さんも岩谷社長も、夜通し遊んだりするんですか!?」とビックリして返すと、「そりゃそうですよ。普通の学生ですよ!(笑)」と大笑いになりました。

岩谷社長については「学生当時から一風変わった奴だと思っていた。」とのこと。さらに「学部2年のとき、岩谷社長は金融工学に興味があって、最初はそちらに進もうと思っていたみたいですね。」と、これまた貴重なエピソードを聞くことができました。

そういえば岩谷社長、学生時代に株で儲けたという天才的驚愕エピソードがありましたね…。
(※株についてのお話しは「【総力特集!岩谷社長インタビュー Vol.3】岩谷社長に聞いてみた!素朴な質問」をご参照ください)

 

岩谷社長から直接スカウトされる!かつての盟友が岩谷技研でタッグ

棧敷さんは大学卒業後、大阪にある会社に勤め始めます。そして、休暇などには北海道へ帰省して、岩谷社長と情報交換をしたりしていたのだそう。

そしてある時、苫小牧のラボにいる岩谷社長に会いに行った際に、帰りの車の中で一緒に気球の事業をやらないかとスカウトされます。その時はちょうど岩谷社長が気球による宇宙遊覧の実現を目指し、ベンチャー企業としての一歩を踏み出すために創業メンバーを探していたタイミングで、技術開発をサポートしてほしいと勧誘されたのだそうです。

学生時代、北海道大学の敷地で風船を上げていた頃から岩谷社長を見守ってきた棧敷さん、「誘われた時はもう行くことを決めていた。」とのことでした。

かつての同級生をサポートするために岩谷技研へ入社。当時はまだ3人ほどしかいない状況で、「どんどん新しいものを作っていきたい!」と胸を躍らせていたようです。その時の夢が着々と実現に向かっていると思うと、こちらまで胸が熱くなってきます!

 

「彼がやりたいことが出来る会社であってほしい」

岩谷社長のどんなところに興味をひかれますか?という問いに、棧敷さんは「彼がやりたいのは人の意識を変えること。いろいろな人に影響を与えている部分が面白いし、興味をひかれる。」

そして岩谷技研という会社に対しては、「なにより、彼がやりたいことが出来る会社であってほしい」と強く望んでいるということです。その一言に、立ち上げの時からずっと岩谷社長をサポートしてきた棧敷さんだからこその熱い想いが込められていると思いました。

同級生時代から固い友情の絆で結ばれている棧敷さんと岩谷社長。会社内では人が羨むほど「いつも楽しそうにお喋りしているんですよ」と、社員の方からタレコミがありました(笑)。

時にはぶつかり合い、時には励まし合い、同級生の頃から続く素敵な関係が岩谷技研を支えているのですね。
「これはドラマ化決定!」と我々インタビュアーは勝手に盛り上がりながら、棧敷さんとの素晴らしい会話の余韻に浸るのでした。

江別研究所に勤務する、研究開発部電子課の柳田拓郎さんにお話を伺いました。柳田さんは北海道函館市出身で、岩谷技研に入社する前は横浜・大阪でソフトウェア開発のお仕事をされていました。

インタビューを行った2023年3月時点で入社2ヶ月目、初任給が振り込まれた直後というお話でしたよ。
「最初のお給料はどうされますか?」の問いに、「転職で引っ越し代などいろいろと費用がかさんだので貯金します」と堅実なお答えをいただきました。柳田さんのちょっとした言葉の使い方と見た目から、堅実で誠実そうな人柄がうかがえます。

 

岩谷技研入社のキッカケは高専時代の先輩

岩谷技研に入社されたキッカケについてお伺いしてみると、電子課研究員の橋本航平さんから声をかけてもらったことが発端だったそうです。なんと橋本さんは、函館・高専の先輩!そして橋本さんと柳田さんは前職で同じ会社に勤務していたとのことでした。
(※橋本さんについては「電子課研究員 橋本航平さんインタビュー」をご参照ください。)

そんな仲の良いお二人は、会社が変わっても情報交換をしていたそうで、ある時に橋本さんから「宇宙系の仕事に興味があったらこっちに来ないか?」と誘われます。橋本さんから岩谷技研の話を聞いてみたところ、自分でも力になれそうだと思ったこと、もともと宇宙に関する企業に憧れがあったこともあり、転職を決めたとのことでした。

面倒見がよくて優しい橋本さんがいる職場ということもあって、柳田さんも安心して入社できたことでしょう。素敵な友情ですね。

ちなみに柳田さんと橋本さんは高専時代、軽音楽部サークルの仲間だったそうで、柳田さんはドラムを叩き、橋本さんがベースを弾いていたということです。我々インタビュアーはその話を聞いた瞬間、「あれ?橋本さんにインタビューした時はそんな話は出てこなかったぞ?」となりましたので、いつかその点も踏まえて橋本さんにまたお話しを聞かなければと思うのでした。

 

行きはよいよい帰りは怖い!?

気球の実験にも帯同している柳田さん、いちばん大変なことは何ですか?という問いに、「現地に行っての実験でとにかく大変なのは、帰りです」と迷いなく返答されました。

え、帰り? それはどういうことですか?

「実験を行う時は夜中1時とかに現地集合となったりするんです。で、実験が昼過ぎに終わって、そのまま江別研究所に直帰しなければならないんですね。睡眠不足の中、交代交代で車を運転して帰ってくるのが、とにかく大変で…。」としみじみ語る柳田さん。

たしかに真夜中から実験の準備をして、昼過ぎまで実験を行い、さらに遠路はるばる帰ってくるのはかなり大変そうです。

ただ、「気球を飛ばしている時は感動して、その瞬間はとても良い経験だと感じます!」と目を輝かせる柳田さん。

「でも」と柳田さんはまた少しうつむいて、「帰りの車…そこだけはたいへんですね…。」と深い実感を伴ったお答えが返ってくるのでした。

 

宇宙への興味はキャンプがキッカケ

もともと宇宙に関心があったという柳田さん、いつどんなキッカケがあったのですか?とお尋ねしてみました。

「きっかけは学生(高専)の頃のキャンプでした。夜に星を見上げて感動して、その時に宇宙に興味が湧いたんです。」それまであらたまって星を見上げることが無かったこともあり、その時見た満天の星空が心に刻まれたということでした。

学生の時に見て感動した星空、いつか柳田さんがキャビンに乗って地球とともに宇宙を見上げた時、どんな感想を聞かせてくれるのか興味がわきますね。

 

やりがいに満ちた岩谷技研での仕事

江別研究所での勤務は柳田さんにとってたいへんやり甲斐のあるものとなっているようです。

「以前、ソフトウェア専門でやっていた時は、できたものが最終的にどんな形で使われているのか知ることができなかったんです。今はやったことが何につながっているのか、フィードバックも得やすい環境なので、たいへんやり甲斐を感じています。」

そしてさらに、「江別研究所のメイトさんも活気があっていい雰囲気。こういった環境では事故も起きにくいと感じました。社内の風通しも良いですし、フィードバックもしやすいです。」と柳田さんは付け加えます。

岩谷技研で働く皆さんの活発なコミュニケーションが、仕事のやりやすさに繋がり、またやり甲斐にも繋がっているのだなということがよく分かりました!

2022年1月から岩谷技研でアルバイトを始めたという北澤元気さん。現在は大学院修士の2年生に進級し、学生アルバイトの中でも先輩の立場になり、自分の気持ちにも江別気球工場にも変化があったと話をしてくれました。

 

学生アルバイトはどんな仕事をするの?

昨年、江別気球工場で初めて会った時には、午後3時以降のメイトさんたちがほとんど帰ってしまった広くガラーンとした工場で一人黙々と作業をしていた北澤さん。飯塚工場長から「彼は北大野球部(準公式)に所属するスポーツマンで、さらにピアノも得意。文武両道なの」と紹介してもらったことをよく覚えています。

岩谷技研では、所属している変形制御学の研究室の先輩がたくさん働いているので、 研究開発の現場を見てみたいと、このアルバイトを始めました。研究室では「構造の最適化を研究しています」と教えてくれ「例えば 、縦糸と横糸で織られた布を引っ張った時の歪みやすさについてとかなんですけど」と分かりやすく説明してくれました。その学びは岩谷技研で大活躍中の3Dプリンターを使用する時に役立ちそうですよね。

学生アルバイトさんの主な仕事は、メイトさんと一緒に溶着作業をするほかにも、作業がスムーズになるように道具の調整や改良など。3Dプリンターではさまざまなパーツも作成します。

 

江別気球工場の雰囲気が変わりました

「プロトタイプは開発部の研究者さんがまず作ってくれることが多く、それを土台にして考えたり、工夫したり、試してみたりを繰り返します」その一連の流れを学生アルバイトのみんなで試行錯誤でやっていくことをおもしろく感じていたそうですが、以前は「仕様書には数字だけとか、情報が少なかった」ので、やってはみたもののうまくいかないこともあったのだそう。

江別気球工場で開発部のみなさんと一緒に働けるようになってから、このパーツを何に使うのか? この設計の意味はどういうことなのか? そうした疑問も直接聞くことができ「実際のイメージがわかり、つくりやすくなりました」と、気球工場と旧・R&Dセンターが同じ場所に統合されたことをとても良いと感じている様子。

「以前は、メイトさんが帰ると人も少なくて寂しい雰囲気もあったけど、今は開発部のみなさんがバリバリ働いているので夕方もにぎやかです」と話し相手が多くなったことも喜んでいます。

「みんなでどうしたらいいかを話し合って、何度も作り、良い結果が出た時には本当に嬉しい」と、ちょうど一年位前にはそんなふうに言っていた北澤さん。アルバイトを始めてからの経験値も増えて、これからますます楽しくなりそうですねと言うと、北澤さんの表情が変わりました。

 

進行中のプロジェクトリーダーに「責任感を持ってやっていきたい」

「今までは先輩の下について教えてもらって仕事をしていましたが、教えてくれていた先輩がみんな卒業してしまったので」と、それまでニコニコと楽しそうに話してくれていましたが、急に真剣です。気楽な後輩の立場から、今度は自分が先輩の立場になったことを自覚し、しっかりしなくちゃと責任感を感じているのだそう。

北澤さんは、使用済みの気球を利用して工場内にディスプレイとして展示するプロジェクトのリーダーとして取り組んでいます。メディアの取材が入ることも増えてきたため、気球を身近に感じてもらいたいと岩谷技研は考えているのだそうです。

竣工披露式に参加させてもらった時、一人乗り用のキャビンと気球が工場内に展示されていましたが、初めて見る透き通った気球の美しさに感動したことを思い出し、それはとっても素敵ですね!いつ出来ますか?その時には取材に来ます!!と、我々の方がまた張り切ってしまい、北澤さんにさらにプレッシャーをかけてしまいました。

「がんばります!」と答えてくれた北澤さんに対して、子どもの成長を感じて感動する母のような気持ちにもなり、嬉しく頼もしく感じたインタビューでした。

江別気球工場が開設して1年が経ちました。当時4ヶ月だった息子さんを保育所に預け、初めての子育てと新しい仕事にチャレンジの1年だったという横岡さんのお話を聞きました。

 

江別気球工場での変化

縫い物や手作業をすることが好きという横岡さん、「未経験者応募OK」「工場内でプラスチック気球のバルーン部分の製作をお願いします。特殊な機械でプラスチックフィルムを溶着する作業です。作業は4~5名程度のチームで行います」という募集要項を読んで、私にもできるかも?と思って岩谷技研に応募したとのこと。

一緒に働くメイトさんは先輩ママたちが多いので、子育ての話も聞いてもらえアドバイスをいただいたり、働き出したことによって、みなさんに出会えたことが子育てにおいても心強く感じられたのだそうです。

横岡さんは、江別気球工場が軌道に乗るまでの間、工場内の様々な業務を担っていた総務部・小川順子さんが札幌本社に戻るのをきっかけに、工場長から相談されて業務を引き継ぐことになり、「現在は、シフト作成や勤怠管理、備品などの発注や物品管理などが主な仕事内容です」と話してくれました。仕事内容が変わることへ少し戸惑いもあったようですが、「小川さんの代わりにやってみます」と答え、新しい仕事を覚えていきました。

横岡さんの仕事内容が変わっただけでなく、この一年の間に江別気球工場には大きな変化がありました。

 

札幌R&Dセンターが江別にやって来た

江別気球工場のメイトさん達にとって、昨年の夏頃は「時々、札幌R&Dセンターから開発の方が来て、技術的なことを教えてくれるんですよ」と言いながらも、R&Dがどんな場所で、どんな方たちが働き、どんな仕事や開発がされているのかも全くわからない、来てくれた方のお名前も把握できていない・・・という状況でしたが、2022年11月「札幌R&Dセンター」が「江別気球工場」に移転、「江別研究所」になりました。

開発部門と気球制作の場所が一緒になり「R&Dの皆さんが身近になったことは、とても良いこと」だと感じているのだそうです。

今までメイトさんだけで作業していた時は情報量が少なく、例えば作業指示が急遽変更になった場合も、開発部門ではどういうことがしたくて変えたのか?の理由を直接聞くことができませんでした。理由がわかれば、製作側からも「こうした方が、より効率が良く時短で作れる」などの提案ができ、お互いへの理解が深まります。

最初の頃の溶着の仕方だけわかっていた状態から、知識が増え技術も上達し、より「自分たちも開発に関わっている」といった気持ちを感じるようになりました。

 

実験も宇宙も身近に感じられる

溶着作業は重要なことなので最初から注意深く慎重に行なってきましたが、誰が気球に乗っているのかがわからなかった時よりも、知っている人が有人飛行実験を行なっているのだと思うと、さらに安全や成功への意識が高まったようです。

岩谷技研で仕事を始める前の横岡さんは、宇宙にはさほど興味があったわけではなく、宇宙旅行を目指す気球を製作するなんて、とても夢のある仕事だと思ったそうです。実際に働いてみると、気球宇宙遊覧はふんわりとした「夢」ではなく「技術」で実現できる、岩谷技研で働くみんなの力なのだと感じます。宇宙への興味もどんどん湧いてくるようになりました。

横岡さんは気球製作をする「メイト」から、工場内の管理の仕事が主となった「キャスト」という役割に立場が変わりましたが、今でも溶着作業を行う時があります。いつもはできないからこそ「久しぶりに一緒に作業をすると、みなさんの経験値がどんどん上がっているのがわかって、すごいんですよ」と教えてくれました。

一年前はほとんどのメイトさんが「初めてのことばかり、わからないことばかりですけど楽しいです」と話してくれていたのに、もうここにいるみなさんは気球作りのプロ集団なのだと感服しました。

【総力特集!岩谷社長インタビュー】6回目の今回は、岩谷社長の宇宙的視点や時間感覚、そして人間の寿命についてといったとても深いお話を聞いてみました!

 

人間は長期スパンで考えることが不得意

岩谷社長はビジョンも分かりやすく明確で、着々と計画を実行していく姿から、何十年先の未来計画も明確に描かれているイメージがあります。社長はどれくらい先の事まで考えているのですか?とお尋ねしてみると、「10年後、20年後の姿といった長期スパンではあまり考えないですね」と意外な答えが返ってきました。

目の前の計画を着実にこなしていく過程が未来につながっていく、というどっしりと地に足をつけた考え方をお持ちのようです。

 

またその「長期スパン」という話の中で、そもそも「人間は長いスパンで考えることが得意ではないんです。」と岩谷社長は言います。

確かに一般の人は、長期的な計画はなかなか実感が伴いませんし、「今日の夕飯は何食べようかな?」という直近の出来事くらいしか本当の意味で実感が伴っていない気がします。

人間はもともと「長期スパンで考えるのが得意ではない」のだと考えるとたいへん腑に落ちます。今後長期計画が計画倒れで終わってしまうことの言い訳に使ってしまいそうです(笑)

 

「たった1000年ですよ」ハルマゲドンが来ても人間は再起する?

”長期スパン”の話から岩谷社長の話はどんどん大きくなり、終末論の話まで飛び出します。

「最近の世界情勢で言うと、終末論て結構あるじゃないですか。例えば、2000年頃ならノストラダムスの大予言というものもありました。でも世の中は一度も終わったことがない。そしてこの先も私は終わることがないと思っています。人類というのはとても柔軟性がある生き物なので、仮に何かカタストロフィックな出来事が起きても多分人類は滅びないし、恐竜がほぼ絶滅した時の隕石衝突のような事態に陥っても、1000年くらいで再起するでしょう。たった1000年ですよ」

たった1000年!?え、ちょっと待ってください、1000年て短いんですか?

我々インタビュアーが驚いていると、岩谷社長は淡々と「恐竜の時代なんて3億年あるんです。人類の誕生からして500万年、それに比べてたったの1000年じゃないですか。」とご説明されました。いや確かに3億年や500万年と比べると…、1000年は短い…のかもしれません。岩谷社長は不思議な時間感覚をお持ちなのだと驚きました。

 

人口が少ない今だからこそ、我々一人一人の努力が大きく未来に影響する

最近は人口爆発による環境問題などが取り沙汰される世の中ですが、それについて岩谷社長は楽天的で未来志向を描いているようです。

現在世界の人口は80億人を突破したと言われていますが、今までの人類がどれだけいたかというと、1000億人はいなかったでしょう。今後も世界の人口は増えていくし、さらに人類はこの先200万年経過してもきっと終わることはない。そう考えると、子孫は何兆人という数になる…と。

「昔の人って、人口が少なかったから活躍できたという面もあると思うんです。そして私たちは、”未来から見たら”めちゃくちゃ人口が少ない時代なんですよ。」

未来に何兆人という人が生まれてくることと比較すると、80億人の現在は確かに少ない数値に見えます。

「なので、今この時に頑張ることは、将来にとってものすごく影響があると私は思っています。今頑張っている一人一人から生み出される将来の利益というものは、とてつもなく大きなものなんです。その人が享受するもの、どんなにお金を持っていてどれほどな贅沢をしても、それよりもはるかに大きなものを私たちは未来に残すことが出来るんですよ。将来のすごく多くの人たち、何億人・何兆人という人たちの利益になると私は考えています。」

岩谷社長は常々そう考えているようで、インタビューや講演会のとき社長はいつも「人の役に立ちたい」「ちょっとでも社会の役に立ってから死にたい」というお話をされます。それは自分の周囲や社会に対する影響だけでなく、何百万年も先の未来も見据えての考え方なのだと分かり、なんと計り知れない考えをお持ちなのだろうと、呆然とする思いでした。

「なので、」と真顔の岩谷社長は言います。「1000年はわずかですね。」

 

「1兆年てすごく短いですよね」

話はさらに宇宙へと広がっていきました。ビッグバンから始まったとされる宇宙は138億年が経過していると言われていますが、「宇宙の星の感覚からすると、138億年てめちゃくちゃ短いんですよ。」と、またまた理解の追い付かない発言が社長から飛び出すのでした。

私達が夜空を見上げて見える星々、その何倍もの数の目に見えない小さな星があるそうで、これを赤色矮星というのだそうです。

この赤色矮星は小さな星なので、核融合の燃費がいい。星は大きくなればなるほど、重力が大きくなればなるほど核融合はしやすくなるのですが、とても燃費が悪くて、そのため大きい星の寿命は1000万年、500万年と、どんどん短くなってしまうといいます。大きい星ほど寿命が短いんですね。

太陽の寿命がだいたい100億年くらい。赤色矮星は、だいたい寿命が1兆年もあるのだそうです。

 

「100億年と1兆年なので、この星寿命の感覚で考えれば、宇宙が始まってまだ一瞬、まだ間もない時間。そして、”宇宙の終わり”と考えられているスパンが10の100乗年です。10が百個つくので、無量大数(漢字文化圏で名前がついている最大のもの)でも全然桁が足りない。なのでそれくらいの時間スパンで見た時に、1兆年てすごく短いですよね。」

宇宙というスケールで考えた時には1兆年すら短いと思えてしまうんですね…。

「そう考えてみると、1000年は瞬きですよ。」と笑顔で岩谷社長は付け加えました。だんだん1000年があっという間、という気持ちになってきましたよ。

 

あなたの人生に用意されたロウソクの数は5000個!毎週1本消えていきます!

宇宙の寿命という気の遠くなるような話から、今度は我々人間の寿命というたいへん身近な話に移行していきました。

「自分の一生」は自分ごととしてとても身近な話ですが、では実際に我々は、本当の意味で寿命を実感して生きているのかというと案外そうではありません。やはり今日という今が、明日も明後日もずっと続いていくような気でいるのではないでしょうか。

そこで岩谷社長は「ロウソク」を例にして、こんな話をしてくれました。

「自分の一生ってなかなか感覚をえられないと思いますが、では1週間を1個の点にして一生を計算してみると、だいたい5000個くらいしかないんですよね。」

※一週間を1個の点とした場合、1年間は約50個ほどとなり、100歳まで生きるとした場合でも5000個(5000週)しかない。

 

「5000個ってそんなに多くなくて、私は36歳なのでもう半分近く使っています。で、この点にロウソクがあるとしましょう。1週間に1個ロウソクが”フッ”と消えていくんです。仮に中学生であったとしても、700個ほど使っています。残りは4000個くらいと思って見ると、一生の短さというものを実感できるんです。」

隣りでその話を聞いていた取締役の仲さんは、「嫌な話を聞いちゃったなぁ。もうマスがほとんど残ってない…」と、インタビュアーの私と同じことを思っていたようでした。そこで岩谷社長は「これをどう受け止めていくかですね。」とおっしゃいます。つまり、一生は短いという実感が伴えば「今日やれることをしっかりやろう」と思えるのだそうです。

ついつい我々は日々の仕事に疲れ、次の休日はまだかなぁなどと考えてしまいがちですが、岩谷社長に言わせれば「休みだけを待って過ごしているのはもったいない。仕事の時間も楽しんだほうがいいですし、通勤通学の時間も楽しんだほうが良いです。」と爽やかに言ってのけます。

「同じ日は二度とこないですし、身体にとっては明日よりも今日の方がマシな日ですから。」

毎週毎週自分のロウソクが消えていくことを考えたら、無駄なことをしている暇はないと思いますし、やりたいことはどんどん早くやろうという気持ちになります。私はこの話を聞いて、子供との時間をもっといっぱい取って悔いのない時間を過ごしていかねばと思いを新たにしました。

気球で宇宙遊覧を実現する岩谷技研の社長、天才・岩谷圭介さんは、目の前のことだけではなく、社会全体から宇宙全体、はては何兆年先の未来までも捉えて考えている、とんでもない思考の持ち主だということが分かりました。

岩谷社長へのインタビューQAにて、「犬派ですか?猫派ですか?」という質問があったのですが、その時の返答はどちらでもなく、鳥が好きなので「鳥派」というご回答を頂きました。

その後、社長室に置いてある鳥関連書籍の話題から、とんでもないディープな話になっていきました…!

 

社長お気に入りの本「世界の鳥の巣の本」

岩谷社長が「本の作りも含めてすごく良い本」と仰っていたのが『世界の鳥の巣の本』。大型本の図鑑なのですが、「鳥の本」ではなく、「鳥の巣」をまとめているというたいへん珍しい本です。

たいへんマニアックな本だけに「たぶん全然売れなかったと思います」とユーモアを交えながら、「鳥の種類ごとに巣を作る場所が違う」「編んで作る巣もあれば土を盛るだけという巣もある」といった興味深い話を紹介してくれました。

岩谷社長は子供の頃から鳥を飼っていたそうで、今でも文鳥をご自宅で飼育されているとのこと。そういう意味では、鳥にたいしてとても愛着があるのだろうと思ったのですが、話はそんな浅いものではありませんでした。

 

「鳥は生物として、人間よりよっぽど完成されています。」

子供の頃から鳥を飼われていて好きだった理由は、空を飛びたかったとか何か理由があるのですか?という我々の問いに、岩谷社長は少し間をおいてから「鳥は綺麗です」「生物として人間よりよっぽど完成されていますよ。」と話し始めました。心肺機能にしても、体の作りにしても、哺乳類とは全然違うのだそうです。

「鳥は心臓にしても肺にしても、遥かに進化している。あの体の大きさであれだけの運動量を私たちはとてもできない。」

そう言われてみると確かにそのとおりです。また鳥の色合いの美しさについても、哺乳類とは全然違うという点で惹かれるのだそうです。

 

鳥は恐竜の子孫、哺乳類は歴史の表舞台に出たばかり

基本的に鳥は恐竜の子孫にあたるのだそうです。約6500万年前に巨大隕石の衝突で恐竜がほぼ絶滅した中で唯一生き残った恐竜の系統群が、まさに「鳥類」だとのこと。鳥=恐竜ということを考えると、約2億年近くの間生き延びていることになります。

対して、人間の祖先はネズミのような哺乳類で、約6500万年前の巨大隕石衝突後に地上に現れた生物だったといいます。体毛が鳥のようにカラフルでないのは夜行性だったからで、恐竜の絶滅後にようやく表舞台に出てこれた、ということを考えると、鳥類と哺乳類には歴然たる差があると言わざるを得ません。

以上のような理由から、岩谷社長は哺乳類である猫でも犬でもなく、恐竜を祖先とする鳥の方が圧倒的に優れているという見解でした。

「現在は歴史上たまたま哺乳類が上にいるだけで、将来どうなるかは分からないです。」岩谷社長は何億年前の過去から、何億年も先の未来までをも含めて生物の進化・変遷を見通せているのかもしれません。

まさか犬派・猫派の話からこんな壮大でドラマチックな話になるとは思いもよりませんでした。

岩谷技研の広い社長室には岩谷社長ご自身が執筆された書籍の他にも、様々なジャンルの本が並んでいました。「この中でオススメの本とかあれば紹介してください!」という我々インタビュアーの無茶振りにも社長は笑顔で受けてくださいました。

天才・岩谷社長は普段どんな本を読んでいるのでしょうか?興味津々です!

 

いきなりの洋書!100年前の気球の絵も

まず岩谷社長が取り出してきた本は、なんといきなりの洋書!

『INTO THE UNKNOWN / STEWART ROSS:Illustrated STEPHEN BIESTY』という本で、「絵が豊富なので子供でも楽しめるでしょう」と岩谷社長。読めないですが(笑)、確かに面白そうです。

 

この『INTO THE UNKNOWN」の注目ポイントは、一番初めに成層圏まで飛ばしたという100年ほど前の気球の絵が描かれているという点です。そんな昔に岩谷社長と同じことを目指した気球があったのは驚きでした。

 

乗り物の分解図が詳細に描かれている本『INCREDIBLE CROSS-SECTIONS』

2冊めも大きな洋書を手に取った岩谷社長。『INCREDIBLE CROSS-SECTIONS』という本で、子供の頃に図書館で借りて読んだことがあったのだそうです。

様々な乗り物や建物の内部が分かるように描かれている「輪切り図鑑」で、どのような構造になっているのかを視覚的に理解できるというもの。

一つ一つの絵がたいへん細かい描き込みがなされており、「こういった本はなかなか見かけない」と岩谷社長。英語がわからなくても、見ているだけでワクワクしてくる本ですね。

そういえば岩谷社長は子供の頃にカメラを分解して親御さんに叱られたというエピソードがありましたが、こういった絵本の影響で中がどうなっているのか知りたいという探究心が培われたのかもしれません。

 

時系列で生物や科学技術の変遷が分かる『IN THE BIGINNING…』

3冊目も同系統の、絵が主体の大型本『IN THE BIGINNING…』。こちらはどんな本かというと…。

 

生物や乗り物、建物や素材、科学といった様々な分野において、時間の変遷の中でどういった進化を遂げてきたのかが一目でわかるというもの。

「一口に理系といっても、歴史や地理や科学は全部重なってくる。科学が歴史を進めてきた例も多くあります。学問は理解するために分けただけで、もともとは一つなんです。それを理系・文系で分けて学んでしまうと理解は半分以下にしかならない。それはもったいないなと思いますね」と岩谷社長。ほんとうに深い見解があるのだなと驚きました。

一般的に理系というと専門を突き詰めていく過程で視野が狭まってしまう印象がありますが、岩谷社長は幼少時代から広い視野で世の中を捉え、様々な分野の深い知識を習得したことで、唯一無二の天才性を発揮されているのだなと思いました。

 

我々一般人でも読める本を…

岩谷社長のオススメ本はどれも素晴らしいですが、いかんせん洋書で読むのが困難。そこで「我々一般人でも読めるような日本語の本でオススメはありますか…?」とお尋ねしてみたところ、「うーん…あんまり無いかも…」とずいぶん悩んだ様子で…(笑)

おそらくご自宅でしたらすぐ出てくるのかもしれませんが、社長室にある本でオススメって難しいですよね。

そして、しばらくの間をおいて出てきたのが「銀河ヒッチハイク・ガイド」という文庫本。「お気楽な内容で面白いですよ」と岩谷社長。

書籍のレビューでは『バカSFの歴史に燦然と光り輝く超弩級の大傑作』と評され、35か国語に翻訳、全世界で約1,600万部が売れたというベストセラー小説だそうです。これは気になりますね。

 

マーフィーの法則!

なんと「マーフィーの法則」が出てきました。1990年代にベストセラーとなったシュールな本で、「失敗する余地があるなら、失敗する」「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、絨毯の値段に比例する」といったユーモラスな経験則が紹介されている抱腹絶倒の内容です。

以前、江別工場でロープの結び方の講習を行っていた中臺章さんもマーフィーの法則「失敗する余地があるなら、失敗する」を例に出して戒めていたのを思い出しました。もしかしたら岩谷技研内ではバイブルになっているのでしょうか?

 

鳥好きの岩谷社長おすすめ「トリノトリビア」

そして岩谷社長が「これ面白かったですよ!」と笑顔で出してきたのが「トリノトリビア」!タイトルからして面白そうですね。

この本は、『鳥類学者と鳥好きマンガ家のタッグで贈る、読めば道ばたのスズメを素通りできなくなる日本一オモシロイ野鳥の本』とのことです。4コママンガ+解説の2本立てで構成されており、鳥好きもそうでない人にも楽しく読めそうです。

 

そしてこの鳥の本から、なぜ岩谷社長が鳥に惹かれているのかという深く壮大な話になっていくのですが、それについては長くなってきましたのでまた次回ご紹介したいと思います。

ちなにに、岩谷社長が日本の作家さんの中で好んで読むのは遠藤周作さんだそうですよ。

我々、取材陣が岩谷社長に初めてお会いしたのは、2022年3月の江別気球工場竣工披露式でした。岩谷社長の第一印象は「なんて物腰の柔らかい礼儀正しい方!頭脳明晰すぎる!」と今までに出会ったことのないタイプで、つかみどころがないような不思議な魅力を感じたことを覚えています。

その岩谷社長の不思議な魅力を理解するためにもメイトさんや社員さんにインタビューをした際には「岩谷社長に聞いてみたいことありますか?」と皆さんに聞いていました。今回は、岩谷社長の基本情報として知りたいけど・・・お忙しい社長に聞くのは恐縮してしまうような内容をあえて質問してみましたが、簡単な質問からは想像もできない回答が繰り出されました。ここではまず単純なQ&Aをご紹介しますね。

 

短時間睡眠で大丈夫!岩谷圭介の時間術

気球の設計、開発だけではなく、会社の経営など、岩谷社長のスケジュールは分刻み!さらにご家庭では、3人のお子さんの育児と、とにかく忙しく過ごしていらっしゃる印象の岩谷社長に対して

「ちゃんと食事されてますか?寝ていらっしゃいますか?と心配される声が多いです」とお伝えすると「寝なくてもいいタイプなので得してると思います」とニッコリ。平均的な1日のタイムスケジュールを教えていただけますか?

「朝は、3時頃に起床します。」ん?3時は朝ではなくて夜中なのでは?と早速のツッコミどころですが、岩谷社長は4時間ほどの睡眠時間があれば十分なのだそうです。

早朝のこの時間帯はメールや電話、問い合わせをされることがないので、集中して自分の仕事に取り組める貴重な時間です。

7時頃、お子さん達が起きてくると仕事をやめ、一緒にご飯を食べます。

8時に出社し、18時〜19時頃に退社することが多いのですが、
「会社にいるとミーティングがあったり、質問されたりするので仕事ができない」
と言うので、それも大切なお仕事ですよと笑いました。

ご自宅では、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」を子ども達も大好きなので一緒に見るなど、家族の時間を楽しく過ごし1日を終えるのだそうです。

まずは、岩谷社長がいわゆるショートスリーパーと呼ばれる毎日の睡眠時間が短時間でも、健康への影響がまったく無いタイプだということがわかり一安心でした。フランスのナポレオン・ボナパルトや発明家のトーマス・エジソン、芸術家のレオナルド・ダ・ヴィンチらと同じですね。

「奥さんは自分とは違ってよく寝るんです。規則正しくスケジュールに忠実なタイプなので助かっています」と、話題はご家庭の話に・・・

 

集中すると寝食も忘れるタイプ

「好きなことをずっとやっていて、ご飯を食べるのも忘れ、気がついたら朝になってしまうくらい集中してしまう」ことがあるという岩谷社長。ご自身では「不器用なタイプ」と表現されるのですが、そんなに熱中して物事に取り組める集中力と体力がすごいですよね。なので「食事しているところをあまり見たことがない」「生活感がない」と思われてしまうのでしょう。

「奥さんが時間になると食事を用意してくれて、声をかけてくれるのがありがたい」と奥様の話をするときには、とてもニコニコされる岩谷社長。声かけがなければ際限なく集中し続けてしまうので、奥様が自然と生活のリズムを整えてくれているようです。

奥様が作るお料理で好きな物はありますか?と聞くと「こだわりなくなんでも食べる」と言うので、きっと奥様の作るものはなんでも美味しいのですね!

唯一苦手なのが、以前に食べてあたってしまったことがあるカキで、どちらかというと肉派だと教えてくれました。(この肉派の質問からの、動物は犬派?猫派?の話題は、思いもかけない話しに発展するので、別のコンテンツでお伝えします)

 

岩谷社長はお酒を飲むと…?

「お酒は飲みますか?という質問もありました」と聞いてみると、

仲さんが「あまり飲めないけど、飲むと甘えたかわいい感じになって、大好きな奥さんの話をしてのろけたりする」と教えてくれたので、そんな可愛い岩谷社長も見てみたいものだと思いました。

我々インタビュアーの勝手な思い込みでは、岩谷社長はきっとワインの産地や銘柄に超詳しくてかなり飲むのでは?といった印象がありましたがハズレました。きっとお酒を飲む時間があったら大好きな研究に没頭したいという考えなのかもしれません。

 

茶道が結んだ「縁」

「奥様との出会いや馴れ初めが気になる」という質問もありました。これもまた仲さんが、「大学の茶道のサークルで出会って、可愛い子だったので口説いた」と岩谷社長よりも先に答えてくれて、岩谷社長も全く否定しなかったので笑いました。

奥様のどんなところがお好きですか?の質問には照れて答えずらいようでしたので、「どういうタイプがお好きなんですか?」と聞くと「素直で話しやすい子が好き」とのこと。学生時代に岩谷青年の語る夢を奥さんが楽しそうに聞いていたのかな♡なんて想像してしまいます。

岩谷社長が茶道のサークルに入ったきっかけは、ご実家が茶道教室で「祖母と母が茶道の先生をしていた」のだそうです。「甘いお菓子が好き」というのも小さい頃からお茶とともにお菓子が身近にあったからかもしれませんね。

ちなみにご出身の福島県の名産なら「ままどおる」がおすすめだそうです。

※「ままどおる」とは、バターを多く加えたミルク味の餡を生地で包み焼き上げた、 福島県郡山市の菓子メーカー・三万石が製造しているお菓子。お土産品として大変有名です。

 

茶道にはいくつかの流派があり、それぞれ作法が違う部分もありますが、茶道の根底にあるのは、お客様をお迎えする全てにおいての心遣いです。

社長室へと丁寧に迎え入れてくれ、心のこもった対応をしてくれていることに、ずっと感動しながらインタビューをしていたのですが、岩谷社長はナチュラルに茶道の精神をもって「一期一会」の時間を過ごしてくれているのだなと思いました。お話しされている間も常に姿勢が良く、指先まで所作が美しいのも、日頃から茶道を嗜んでいるからなのだと納得でした。

 

子ども時代エピソード

岩谷社長がどんなお子さんだったのか?お母さまにどんな子育てをされたのか?という質問も多く、我々も一番聞いてみたいと思っていたことでした。

講演会で話されていた子どもの頃のエピソードで、お父さんのカメラを分解したという話がありましたが、怒られなかったのでしょうか?

「怒られたと思うけど気にしない子どもでした。今、自分の子どもが自分でやろうと思ったことをやらないと気が済まない様子を見ていると、きっと自分の小さい頃に似ているのではと思う」と、自分の親も子育てで大変なこともあったのでは?と思っているそうです。

 

学生時代に株で稼いで浪人時代の費用を捻出

高校生の頃に株で稼いで、そのお金を自らの浪人時代の費用にあてていたという仰天エピソードがある岩谷社長。それは金融教育として株式投資を親から提案されたのですか?

「ちょうど高校生の頃って、株に興味を持ちませんか? 興味あったので自分でやってみたんです」

なんと誰かからの教えられたり勧められたのではなく、自ら株に興味を持って始めたのだそうです。高校生の頃といえば普通、部活や恋愛に夢中で、多少は将来のことに漠然とした興味は向けるとは思いますが、株で稼ごうとは考えたことなかったです・・・興味の持ちどころが我々凡人とは全く違いますよね。

 

ご両親からは「自分の責任で自由にやりなさい」と良い意味で放任されて育ったという岩谷社長。

とはいえ、子育てはあれこれ言って干渉するより、子どものしたいようにさせることの方が忍耐が必要で大変です。おそらく「この子は大丈夫」と信じて待てる大きな愛情があったから、ご両親も「自由にやりなさい」と言えたのだろうなと思いました。

 

起業について

さて、岩谷技研ではアルバイトの学生も多く、卒業後の将来は多くの学生が企業への就職という進路を選ぶのに対して「起業するって、やっぱりすごい。どうしてその勇気が持てたのか?」を聞きたいという質問もありました。

岩谷社長は大学生の頃にも、プログラミングの知識を活かして起業していたんですよね?

「工学部は実習や実験が多く、限りある24時間の中でアルバイトをして生活費を稼ぐことを計算してみると、自分で仕事を作って会社をやった方が効率が良いと思った」と、淡々と話す岩谷社長。だからと言って、誰もが簡単に会社をつくれるわけではありませんよね・・・。

岩谷社長のやってみるからはじめてみるという姿勢は子ども時代からずっと変わっていないことに感心しました。

 

すべての経験が今に役立っている

高校時代の株式投資の知識や大学時代に起業しようとした時に法律や契約書について、たくさん調べたということが今の会社経営やファイナンスに役立っています。「経験していることをつかっているだけなんです」と岩谷社長。今までの人生の経験値が高過ぎやしませんか?と驚くばかりの我々。

そうした経験の中で、今までで一番嬉しい、もしくは悔しいとか悲しいと思ったことを教えてくださいと聞くと

「感情の浮き沈みがあまりないので」と、出来事に一喜一憂せず「全部通過点でしかない」という考え方をしているのだそうです。失敗は何が悪かったかを教えてくれるから、さらに先に進めると、とてもポジティブです。

それは、感情がないというよりは、感情を素晴らしくうまくコントロールできているということでは?

「モチベーションを保つために、情熱の火を”とろ火”でずっと燃やし続けていきたい」とキラキラした目で語られ、我々も胸がじ〜んと温かくなりました。

 

同じ人間なのに脳のつくりが違うのか?つくりは同じでも使い方が違うのか?岩谷社長は天才すぎやしないか?それよりも心根が美し過ぎないか?そもそも本当に同じ人間なのか?と、我々の理解を超えてしまったので、思わず「宇宙の叡智を教えるために地球にやって来た宇宙人ですか?」と聞いたところ、さすがに困ったような笑顔を浮かべる岩谷社長・・・えっと、では苦手なことはありますか?

「苦手なことばかりですよ〜。新しいことをしていくのが得意ですが、根気のいる繰り返しの作業などは苦手です。だから会社をつくったんです」と自分が苦手なこと、できないことでも、それを得意とする人、できる人がいる。一人では難しいこともみんながいれば実現できる! 隣にいる仲さんも笑顔で頷きます。

 

「気球による宇宙旅行」を目指すというイメージから、ふわふわしたつかみどころのない雰囲気を感じていましたが、岩谷技研にあるものは、アイデアや思いを実現するための確かな技術を生み出す一人ひとりの努力と働きなのだと、岩谷技研で働く皆さんの顔が思い浮かびました。気球を開発したことも素晴らしいですが、それを作る会社を作ったことが、まず本当に素晴らしい!と改めて感じたインタビューとなりました。

 

皆さんの素朴な質問に対する岩谷社長の回答のどれもが、経験と知識に基づいて素晴らしく深イイ話になって返ってきました。「コストパフォーマンスを計算して数字を人にわかりやすく伝えるのは得意かもしれません」とお話ししてくれたことが、たくさんあります。

引き続き総力特集!岩谷社長インタビューの続きをお楽しみに!!

札幌市北区にある岩谷技研の本社を訪ね、岩谷社長にお会いしてきました。お話は、2023年の岩谷技研の事業についてから始まり、メイトさんや社員の皆さんからの「岩谷社長への素朴な質問」への回答。さらにそこから話題は、生物の進化や恐竜時代、人類の歴史、星の寿命の話・・・と宇宙規模に広がっていきました。

岩谷社長の言葉の一つひとつが興味深く、面白く、知識と新しい視点が増えるような内容で、視野が拡がったと感じたこの感覚。「地球を外から眺める体験をした宇宙飛行士達が、帰還後に大きく価値観を変え、生き方を激変させた」というのと同じ体験だなと思ったほどです。

約2時間ほどのインタビューは、岩谷社長と共に宇宙空間を旅していたような、楽しい素晴らしい時間でした。

今回はその中から、「2023年の取り組みと目指すもの」について語って頂いた内容をご紹介します。

 

宇宙の入り口に新しいフロンティアを拓く

2022年は、2月の岩谷技研初の有人飛翔試験の成功を皮切りに、5月には無人の気球に無線機を積んで高度30キロまで飛ばし地上との通信を検証する実験にも成功。6、7、8月と係留ロープ付きでの有人飛行実験を繰り返し、9月にはついに係留ロープなしでの自由飛行試験に成功。十分な安全が担保されたことを確認し、11月には目標高度100mを超える102.3mまでの有人飛行に成功しました。まさに技術の開発と進歩が目覚ましい躍動の1年!となりました。

「今年はさらに実証実験をどんどん進めていきます。重要な年になるでしょう」と岩谷社長。

2023年は、社員を含め実験志願者の方に協力してもらい、有人飛行を可能な限り何度でも行い、4km、10kmと高度を引き上げ、秋までには最終目標高度である25kmに挑戦する予定です。

「はい!私が志願者です」と言わんばかりに、横でずっと手を挙げている取締役の仲さん。昨年、江別市で開催された大麻地区自治会長役員研修会での講演会では「体重オーバーでまだ乗れていない」とおっしゃっていましたが、キャビンに乗り込むのに体重制限があるのでしょうか?

岩谷社長:「体重制限があるわけではないですが、エレベーターの重量制限のようなものだと考えてください。2人用のキャビンなので、例えばお相撲さんのような体格の人が2人乗ると、やはり窮屈になってしまいます。仲さんは相撲取りのように重たいわけではありませんが、できれば、20%〜30%くらい減量をしてもらいたいです」

仲さん:「自分が軽いからって!!・・・20%も減らすのはムリ!」

岩谷社長:「ではせめて、10%お願いします」

実験隊長の及川さんが「1kgのものを浮かせるためのヘリウムガスが約5,000円」と言っていました。体重が約60kgとするとヘリウムガス代は30万円の計算になります。1キロでも2キロでも軽い方が経費削減できますよね。

本当に気心知れた間柄というような岩谷社長と仲さんのやりとりを聞きながら、私もいつか気球に乗る日のためにダイエットをしておこうと密かに決心しました。

 

それはさておき、最終目標高度への有人飛行実験が成功すれば、いよいよ宇宙への旅が開始されるんですね!

「実験に成功しても試験的に作ったプロトタイプから、安全で快適で誰でも利用できるようにするために、これからまだやることがあるので、実用化には時間がかかります。ライト兄弟が有人動力飛行に成功したからといって、旅客機が一般的に広く使われるようになるには年月が必要でしたよね」と、お相撲さんやライト兄弟とわかりやすい例を出し、イメージしやすいように話をしてくれるところに、岩谷社長の優しさとユーモアを感じます。

 

宇宙旅行だけではない気球の可能性

「気球は宇宙旅行だけではなく、いろいろな活用ができます。有人に限らず、無人で宇宙へものを運ぶこともできますし、わざと低い高度を飛ばして作物の生育状況を確認するなど農業に活用することも考えられます」

実際に気球は民間企業や大学で宇宙物理学、天文学、気象学など様々な分野での科学観測や、工学実験にも利用されています。

現在、岩谷技研の気球は、最大300キロの重量物を高度30キロ程度の成層圏まで運ぶことが可能です。唯一無二の開発製造技術で要求に見合った気球の設計を行い、それを自社の気球工場で製造し、打ち上げの運用・回収までをフルサポートする「ワンストップサービス」の提供も始めました。

ふうせん宇宙撮影から開発を進めて、気球で宇宙遊覧フライトができるようになるだけでも凄いことなのに、気球がそんなに利用範囲の広いものだったとは!

 

宇宙よりも深海のほうが簡単

そういえば以前、空の技術は深海にも活かすことができると言っていましたが、岩谷技研は空だけでなく海でもできることがありそうですよね?

「宇宙に比べれば、深海は簡単です。水の中は飛行機が飛んでるわけではないし、深海には航空法のような法律はありませんからね」と、すぐにでも何かできそうな勢い。

「深海は沈めればいいので頑丈で重いものを作ればいい。ひもを付けておけば回収も簡単です。空は頑丈だけれども、浮かせるために軽いものを作らなくてはいけないので難しいのです」

現実的には、今の段階では気球の宇宙遊覧の実現が優先ですから、深海のことは考える時間がない状況ですが、「宇宙旅行の実現で終わりではなく、もっと世の中や社会の役に立ちたい」ということを繰り返し何度もおっしゃっていました。

 

アイデアや可能性、できることはたくさんあるけれども、岩谷社長は今一番やるべきことにエネルギーを結集し、着実に歩みを進める2023年にすることを見据えているようです。

さらに岩谷社長の心の中には、まだ我々には明かされていない「夢の果て」があるように感じました。

話はまだまだ続きます「岩谷社長への素朴な質問」の回答は、また次の記事で!