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7月に入社されたという美濱さん。入社して約1ヶ月が経った頃のインタビューでしたので、「まだお仕事のことは大きくは語れない」と言いつつ、しっかりとしたご自身の考えをお話ししてくれました。

 

パート面接で再トライ!画期的な取り組みにワクワクしました!

札幌出身で大学までは北海道にいましたが、就職で仙台へ。その後、福島に移り住んだ時に東日本大震災に遭い、また仙台に戻り、その後東京、広島、島根を経て、この度札幌へ戻ってきたのだそうです。札幌に戻って間もない頃に岩谷技研の正社員の面接を受けたという美濱さん。

「宇宙ってすごく遠いものだと思っていたんですけど、求人を見たときに誰でも行ける宇宙が実現できるって、この年齢になってこんなにワクワクすることには出会えないって思ったのがきっかけで、自分の気持ちを大事にしたいなと挑戦しました」

その時はお子さんがまだ小さく、働く時間の都合で不採用だったため、別の仕事をされていましたが、「今回パートでの募集があったので、もう一回受けてもいいですかって、再トライさせていただきました」と話してくれました。

お子さんがいても働けるよう、パートタイムでの働き方を可能にしているというのも、岩谷社長自身が子育て中で、子育て世代の事情をわかっていらっしゃるからなのだろうなと思いました。

 

採用面から岩谷技研を支えていけるようになりたい

「人事課/総務課では、みなさんにご依頼いただいたことをなんでもやる!みたいな感じなんですけど、小川さんのもとで採用のところも少しやらせていただいてます」と、前職で新卒採用の人事をやっていた経験があり、いずれ新卒採用を始めるようになったら、お手伝いできることが増えるかなと考えているのだそうです。

ご自身の目標としては、「今はパートで働いているので、短い時間でギュッと仕事してお役に立てるようにできるといいのかなと。お時給以上の価値を持って生産性よく働きます!」と力強い宣言をいただきました。

「今までにないことをやっている会社なので、夢を実現させるという希望と意欲を持っていらっしゃる方と一緒に仕事ができるように、採用の面から岩谷技研の挑戦の実現に向けて貢献していきたい」とお話ししてくれました。

 

密なコミュニケーションで頼られる自分になりたいです

江別気球工場に足を運んだ時には、製作中の気球を見て「これが飛んでみんなを宇宙に連れていくんだな」とワクワクしました。その時は、テンションが上がるノリノリの音楽がかかっているにも関わらず、みなさんが黙々と作業をされていたり、真剣に打ち合わせをしていた様子が、ちょっと楽しい♪と思ったそうですよ。

「メールでの文章ばかりのやり取りだと、気持ちがあまり乗らないやりづらさがお互いにあると思うので、エンジニアやメイトのみなさんともお会いしてお話できる機会があると、関係性ができていいのかなと思っています」

6歳と3歳の二人の娘さんのママさんでもある美濱さん。お休みの日は、家族で公園などに出かけて遊ぶことが多いそうですが、自転車に乗る練習をさせたり、あえてキャンプに出かけて、娘たちの虫嫌いを克服しようと思っているのだと話してくれました。

ご自身は最近サウナに興味を持ち始めたそうで、ちゃんとした入り方をすると、とても気持ちいいものだと気がついたのだとか。〝整う〟ってやつですね?美濱さんのお話を聞いていると、まさに整え上手な印象を受けます。

ちょうど同じ時期に新しく入ったメンバーも多く、会社として今は組織を作っている最中なのだと感じています。美濱さんの整える力を存分に発揮できそうですね!

経営企画部・三輪喬幸さんは、岩谷技研の共創パートナーであるJTBから2023年5月1日付けで出向されてきた方です。これまでのJTBでの仕事の話、今後の宇宙旅行のビジョンなどをお聞きしました。

 

JTBでの三輪さんの経歴

三輪さんがJTBに新入社員として入社したのは2014年。埼玉県にある川越の営業所で、8年ほど法人向けの営業を担っていました。営業先は一般企業の他に、行政や自治体などとも関係し、旅行の提案や自治体が運営するイベントなどをコーディネートしたりと、仕事は多岐にわたっていました。

その後、8年の営業経験を生かして2022年から本社に移動。岩谷技研に来る直前まで東京本社で、全国各地の営業支店を統括する部門で働いていました。

その際に、岩谷技研の「オープン・ユニバース・プロジェクト」の話がJTBの方に入り、正式にプロジェクトへの協賛が決まったのが2022年11月のこと。三輪さんはその時からJTB社内でプロジェクトを担当していたこともあり、岩谷技研との接点はもう1年ぐらいになるのだとか。

「岩谷技研に出向する以前から北海道に何度も足を運んで実験を見学したり、本社も何度も訪問してまして、出向することのイメージがかなり持てていました。ですので、今の職場には、すんなり入れました。」と三輪さん。

実際に出向するまで、1年近くに渡り入念な準備をしていたような展開になったのですね。

 

北海道は涼しい!

関東から札幌に家族一緒に移住してきたという三輪さん。娘さんはまだ1歳で、海を渡った先の北海道という地に、最初は大丈夫かなと不安があったのだそう。

「私は愛知県の名古屋市出身で大学の時に上京してきたので、関東圏に長くいました。妻は大阪が地元で、仕事の関係でずっと東京に住んでいました。ですので、私も妻も北海道の土地勘が全くないので、少し不安でした。」

でも実際来てみて札幌の暮らしはというと…。

「つくづく妻と話をしてるのは、やっぱり北海道は涼しいと(笑)。全然暮らしやすいです。それこそ私の実家・名古屋の両親や、大阪にいる妻の両親に、夜とか涼しいよ〜と話をすると、もう羨ましい羨ましいって。」

今年は道民も腹が立つくらいの暑さが続きましたが、やはり本州の方からすると全然涼しかったようで…。

「でも冬が初めてなので、それだけが心配ですね。」と、岩谷技研に転職してきた皆さん同様の不安を口にされていました。大丈夫、すぐ慣れます!そして1歳の娘さんと雪の思い出づくりがたくさんできると思いますよ!

 

JTBと岩谷技研が連携

――三輪さんの現在のお仕事を具体的に教えて頂けますか?

「JTBが協賛契約に入らせていただいた経緯として、要は宇宙遊覧旅行のサービスをお客さんに販売をして、満足していただける商品にするためには何をすれば良いのか?その辺りに対するサービス開発であるとか事業開発の要素を、JTBと協力して作り上げていくこと。やることはたくさんあります。」

「例えば、宇宙遊覧に参加されるお客様は1週間ほどの滞在が予定されているため、そうなったときの宿泊や寝泊まりのフォローやオペレーションも考えなければなりません。」

宇宙遊覧旅行は、ただ気球から宇宙を見るというだけでなく、その前後のサービスを含めたパッケージなのだなと改めて理解することが出来ました。

 

宇宙旅行の企画を提案していた三輪さんが岩谷技研の担当に

現在JTBから出向という形で岩谷技研の仕事を担っている三輪さんですが、岩谷技研の宇宙遊覧を知る以前からJTB社内で宇宙旅行に関する提案を行っていたそうです。

「宇宙の領域とかロケットを使って上空で何分間か無重力体験をできるみたいなことが、ここ最近話題になっているじゃないですか。JTBとしても進出していくべきじゃないかと思っていて…。JTBの社内では、新規事業の社内公募制度というものがあって、実際に提案を出してたんですよ。」

その提案を出したのが、岩谷技研が話題になる三年ほど前の話だったそうです。最終的に採択までには至らなかったようですが、その後に岩谷技研の「オープン・ユニバース・プロジェクト」の話を聞かされ、三輪さんは思わず「きたぞ!」と思ったのだそう。

「岩谷技研さんを私が担当させて頂けることになったので、なんというか、不思議な縁を感じています。私自身何か新しいことをやっていきたいとか、宇宙に対するポテンシャルも感じていたので、もう本当に〝お導き〟ですね。」と笑顔で語る三輪さん。

強く熱い想いが不思議な縁となって実現したのかもしれませんね。

 

今後の課題

――今後の課題や、宇宙遊覧旅行についてのイメージなどについて教えて頂けますか?

「まずもって安全性はもう本当に大前提で、それに伴って2,400万円という料金に見合う内容やサービス、そのクオリティはさらに上げていかないと!と思っています。より良く、心地よく、1週間の滞在の中での4時間の宇宙遊覧体験を含め、どんな要素で満足度を上げられるか。そこが課題ですね。」

今後どのように付加価値をつけていけるかという点は、今まさにいろいろ考えているところだそうです。

「宇宙遊覧旅行は、一生に一回あるかないかですからね。よくプライスレスって表現があると思うんですけど、お金を出しても経験できないような高い付加価値をどう創るか、みたいなところがポイントかなと思っています。」

そういった意味でも、JTBとの連携は宿泊・演出・その他トータル面で大きく貢献できると三輪さんは言います。

さらに、今後の重要課題の一つとして「インバウンド」を挙げていました。日本のマーケットに限らず世界に目を向け、より一層広いターゲットにアプローチしていくことも重要だとのこと。
実際にオープン・ユニバース・プロジェクトのホームページにも、海外からの問い合わせは多いのだそうです。

「日本人じゃなくても申し込めますか?という問い合わせもあります。なので、やっぱり海外の方に向けてプロモーションしていく必要性も感じています。」

行ったことがないところに行ける、見たことがない景色を見られる、そんな貴重な体験を提供する岩谷技研に世界中から注目が集まっています!

 

夫婦揃って趣味は旅行、道内各地を巡るのが楽しみ

最後に、休日の過ごし方や趣味についてお伺いしてみました。

三輪さんも奥様も、とにかく外出するのが好きで、旅行に出かけるのが趣味だとのこと。ですので、北海道の各地を気軽に出かけて見にいけることに喜びを感じているそうです。

「この間は旭川や富良野に行ってきました。気軽に富良野とかに行けたりするのは、すごい喜んでます。そのうち北海道らしさが満喫できる道東とかにも行きたいなと思ってます。東京から行こうと思ったら、それなりにお金や日数がかかりますからね…。」

三輪さんは仕事柄、札幌や函館には何度も来たことがあるそうですが、北海道に住むとなると、普段観光では行かないような場所にも行けるので、今までにない満足感を得られているようです。

「冬の北海道といえば雪まつり。JTBでも雪まつりは大変な人気でした。でも、お客さんの方でも飛行機が取れない、ホテルが取れない。本当に、なかなか苦戦する。そんな雪まつりも、自分たちはフラッと行けるんですよね…。絶対行かないと、と思いますよね。」

三輪さんの言葉や表情から、本当に北海道を満喫されているのだなという思いが伝わってきて、こちらも楽しい気持ちになってきました。

宇宙旅行に対する熱い思いと、いくつもの不思議なご縁が働いて、北海道の岩谷技研に加わることになった三輪さん。旅行会社での経験やノウハウを活かして、岩谷技研の名前が世界に広がっていく、それら壮大なビジョンをお聞きしながら、数年後の岩谷技研がどうなっていくのか…。きっと想像もつかないほどの素敵な未来になっていると思うと胸が高鳴ります。

2023年8月に札幌ドーム内で行われた実験の様子についてレポートします。

実験現場に到着するとドームの天井についてしまいそうなくらい縦長の大きな気球が設置されていて迫力満点です。札幌ドームのアリーナ面から天井までの高さは68メートルですから、おおよその大きさを想像していただけると思います。この気球は、二人乗りのキャビン「T-10 EARTHER」を成層圏まで上げるための41m級の気球です。

 

割れるものなら割ってみろ!の気球をあえて破裂させる実験?!

前日に、時間の経過とともにどれくらいヘリウムが抜けるか?確認するためのリーク試験を行った気球に、今回は極限まで空気を送り込んで膨らませ、どこまで圧をかけたら破けるかを確かめるための実験をします。テレビ番組の罰ゲームのように巨大風船を膨らませて突然バーンと破裂させるイメージでしょうか?と岩谷社長に聞いてみると「そんな割れ方はぜったいにしません。割れるものなら割ってみろ!」と強気です。

7月に実験を行った際には割れずに終了したため、今回はもっともっと圧をかけて敢えて破裂させるのだそうです。割れなければそれでいいのでは?と思うのですが、どこまで圧をかけたら破けるか?どういう割れ方をするか?を確認しデータをとることも大切で、下から裂けるはずとの想定通りに破裂してくれるかどうか、ぜひとも確かめたいのだと教えてくれました。

 

作業されているみなさんのお邪魔にならないように・・・

今回の実験の責任者は機械課の橋詰望宇さん。以前、インタビューをした時には「早く自分が主体となって仕事ができるようになりたい」と話されていましたが、あれから数ヶ月、実験を仕切るほどに成長されていました。

また、江別工場で顔馴染みのメイトさんも実験に参加されていましたが、みなさんの作業の邪魔にならないようにあえて話しかけることをしないで様子を眺めていました。

 

映像を撮影されている唐津さんを見つけ、我々も唐津さんの撮る角度から写真撮影をすれば良い画が撮れると後ろをついてまわっていると、「気球がパンパンになるまで、あと2時間くらいかかりますよ」と教えてくれました。

まずは膨らませた気球の直径などを測り、計算して体積を算出するのだそうです。なるほど・・・球体の体積を求める公式を中学生くらいで習ったような気がするのですが、全然思い出せません。そもそも大きく膨らんだ気球の高さをどうやって測るのでしょうか?

 

取締役・中臺さんも実験に参加

「今日の実験はね、気球の仕上がり具合の確認のようなもので、設計した人、作った人、関わった全員が答え合わせをするんだよ」と話してくれたのは中臺さんです。

中臺さんは、何度もパイロットとして有人飛行試験に参加していますが「パラシュート、パラグライダー、スカイダイビングなどのあらゆる方法で空を飛んできた中で、気球が一番穏やかだよね」とニッコリ。

私たち取材陣がお会いするのは4月に江別気球工場で行ったロープの結び方講習会以来ですが、その頃から岩谷技研が大きく進化したことの一つとして、岩谷社長と及川実験隊長が熱気球パイロットのライセンスを取得し、各自が必要な技術を磨いて着実に岩谷技研がステップアップしていることです、と教えてくれました。

噂をすればなんとやら?江別気球工場から数人のメイトさん達を連れて及川隊長が登場しました。

 

江別工場のメイトさんたちも実験の様子を見学

だいぶ大きく膨らんだ気球を見て「あの工場で作った気球がこんなに大きいなんて・・・」と驚くメイトさん達。

「実際に見てもらうとモチベーションも上がりますよね」と及川隊長。できるだけメイトさんにも実験現場を見てもらえるといいなと考えているそうです。

 

新しいドローンの試運転中だった仲さんが「記念撮影しましょう!」と言って、メイトさんたちの見学風景を撮影していました。気球の高度がどんどん上がっていくので、今までの小型ドローンでは対応できなくなり、より大型の新型ドローンを導入したのだそうです。

今日は、バッテリーの持ち具合の確認を含め試運転です!という仲さんですが、何だかとっても楽しそうです。ドローンのプロペラが起こす風を利用して、頭上に浮く扇風機のように涼ませてくれました。

 

いよいよ破裂

「今日は実験責任者ではないので、少し気楽ですよ」と言う及川隊長にお願いして、キャビンに乗った気分になって下から気球を見上げてみたいと超近距離で気球を見せてもらいました。

及川隊長に7月の有人飛行で最大到達高度6072mを成功させた時の気持ちも聞いてみたのですが「いや〜 普通ですよ」と、至ってクールです。我々はテレビ番組で放送された雲海の景色に及川隊長が「すげえ!」と叫ぶシーンに号泣したんですけどね〜。

 

さて、丸々と膨れた気球はあらかじめ取り付けられていた紐と紐の間を測り、直径を確認します。

岩谷社長からここで突然の気球クイズ「気球の重さはどれくらいあると思いますか?」と出題されました。ふんわり浮いている気球なので軽いように見えますが、プラスチックの素材の重さはあると思うので「◯◯kgくらいですかね」と答えると、なんと正解は「18トン」!!

空気にももちろん重さがあり、1気圧(約1013hPa)のとき、空気1Lの重さは1.2gと説明してもらいましたが、頭の中が???でいっぱいになってしまいました。気球には、この気圧が重要とのことで、もう一度理科の教科書を読みなおして、気球のことを勉強した方がいいと思った取材陣でした。

 

さあ、実験はここからがいよいよ本番。結果は事前の予想通り気球下部のつなぎ目部分から静かに裂け始め、大成功!とのこと。

 

裂け目部分を入念にチェックする岩谷社長と皆さん。想定通りの実験結果となったようで、新たなデータが取れた岩谷社長は満面の笑みを浮かべていました。

 

最後に気球解体

最後に気球の解体作業に入ります。気球の下側をぐるりと刃物で裂いていきます。皆さんなんだか楽しそうです。

 

丸々と膨らんだ巨大な気球は、大きな穴が空いたことでゆっくりとしぼんでいきます。

 

空気が抜かれていく気球がまるで生き物のようで、切なくも美しい姿だったのが印象的でした。

研究開発部の宮嶋香和さんは気球のパイロット第1号に選出された方です。どのような経緯でパイロットに応募したのか、宮嶋さんとはどんな方なのか、じっくりお話をさせて頂きました。

 

飛行機操縦士、気球パイロットになるため宮崎から北海道へ

宮嶋香和さんは千葉県柏市出身の41歳。大学を出て最初に就職した医療機器メーカーで山口県に7年ほど勤務し、ドバイ駐在なども経験。その後フリーランスとなり結婚。九州内を3回ほど移り住み、直前まで宮崎県で働いていたとのことです。

そして岩谷技研でパイロットになるため、宮崎県から北海道に家族で移住してきました。

これまでの職歴をお聞きしてパイロットと結びつかないのですが?とお尋ねすると、
「実は、もともと飛行機のパイロット志望だったんです。僕が大学を出た当時は裸眼視力の検査があって、パイロットになれなかったんです。今はもうその条件は撤廃されてるんですけど。当時は諦めて普通の仕事をしてきた、という感じです。」

パイロットに対する強い思いを抱いていた宮嶋さんですが、その情熱は歳と共に衰えるどころか益々強くなり、なんと36歳の時にアメリカまで行って念願の自家用飛行機のパイロット免許を取得したのだとか。
夢を追い続け、達成する宮嶋さんのバイタリティが伝わってきます!

免許を取りに行く決心をした理由は婚約がきっかけだったようで、「結婚前にやりたいことをやっておこう!と思って。」と当時を振り返ってくれました。
「とにかく空が好きだったんです。海外であれば、まだ可能性があると思って。ずっと昔からパイロットになりたい!というのが夢でしたからね…」

 

岩谷技研との運命的な出会い

つい最近まで岩谷技研のことを知らなかったという宮嶋さん、初めてその存在を知ったときの衝撃は相当なものだったと語ります。

「今年の3月に出張で東京に行って、羽田空港で帰りの便を待っていたんです。その時たまたまLINEニュースを見たんですよ。普段まったく見ないんですけどね。そしたら岩谷技研のニュースが目に飛び込んできて、ビックリしたんです。」

普段見ないニュースで偶然、岩谷技研の存在を知り、気球のプロジェクトを知ることになります。
そして気球パイロットの募集が行われていることが分かると、「これは受けないと一生後悔するぞ!」と思い、なにも考えず勢いで応募したということでした。

パイロット繋がりのエピソードということで、ここまで自然な流れとして違和感なくお話を聞いていたのですが、話はそう単純ではありませんでした。というのも「以前は宇宙から見た地球になど、興味はなかったんです」と言うのです。

宮嶋さんは、空をかける飛行機には並々ならぬ思いがあるのですが、ほんの数年前まで宇宙には全く興味がなかった!というのですから驚きです。しかも「宇宙から地球を見ることの何がいいんだろう?」という気持ちだったそうです。

「これはちょっと不思議なことなんですが…」そう前置きをして宮嶋さんは話し始めました。

「昔は宇宙から見る地球なんてぜんぜん興味がなくて。でも3、4年前のある時期、なぜか?突然、“宇宙” に引っかかりを感じたんです。なんだろう? それを何日も考えていたら、ある日、まさに宇宙から地球を眺める夢を見たんです。それまでは『はいはい、地球って青いんでしょ』くらいに考えていたんですが、ただ青いんじゃなくて、“地球が青く発光している”。それがものすごく感動的な景色で…。目が覚めてからしばらく、ボーッとその感動に浸りながら『いつか生きてる内に見れたらいいな』って、その日から思い始めたんですよ。」

そんな体験をしていたため、LINEニュースで岩谷技研の話題を見た時には、「これだ!」と反射的に思ったそうです。

「あの夢を見たときから『青く光る地球を見てみたい!』と思っていて、でも実際に見ることはないんだろうなぁとも思っていたんです。そしたら、気球に乗って見られる!って…。こんな凄いことってないですよね」と、ワクワクした表情で語る宮嶋さん。

そんな運命的な出会いから実際にパイロットに選出された時は、人生で一番とも思える大きな喜びを感じました。

最終面接の際に岩谷社長にお会いした時は、ずっと鳥肌が立ちながら会話をしていたと言います。
「岩谷社長の言葉には、なにか響くものがあるんです。言葉自体なのか、聞こえ方なのか。不思議な感覚でした。」

宮嶋さんは岩谷技研に対して「ここしかない!」という感覚だったようですが、岩谷社長もきっと「この人だ!」と思っていたのでしょうね。

 

飛行機の操縦と気球は全然違う世界

宮嶋さんは現在、及川隊長のもとで気球の実験業務に携わっており、気球をロープに繋いで30メートル上空を飛ぶ係留試験を体験しています。

気球に乗ったときの印象を聞いてみると、同じ空でもやはり飛行機と気球は全然違うものだということでした。

「飛行機というのは割と自然と対峙していくというか、風と戦うじゃないですけど、そういう要素が強くあります。対して気球は、大気と一緒に動くから、揺れないんですよね。岩谷社長が仰ってましたけど、『自然と調和する乗り物』なんだなという感覚です。」

飛行機の操縦士だからこそ分かる感覚の違いですね。

「気球に乗るのは圧倒的に楽しいです。逆に気をつけなくてはいけないのは、「楽しい」だけではいけないということ。パイロットは1人でなくお客様と一緒に空を飛ぶことになるので、その気持ちは強く持っておこうと思っています。安全第一ですね。」

 

趣味・休日の楽しみは?

頻繁な飛行実験など大変な毎日を過ごされている宮嶋さんですが、休日の過ごし方も聞いてみました。

「子どもは男の子が二人で、4歳と8歳なんですが、ひたすら彼らと遊んでいますね。今日はどこに連れて行こうかって、いつも楽しみです。」

「この間は大雪山連峰の主峰「旭岳」に行きました。旭岳にはたまたま今年1月に旅行に行ったんですよ。こちらに移住してくる予定は、まだ全くない時です。子どもたちに旭岳の雪山を見せてやろうと思って、ロープウェイに乗って。凄まじい世界ですよね。吹雪とか氷点下十何度とか、それをみんなで体感するっていう。そういう経験をいっぱいさせたいなと思っています。」

冬の旭岳に行くという、道民でもなかなしない体験をされたようですが、北海道に移住してからつい最近また旭岳に行き、雪のない壮大な景色の散策コースを回り、家族で大満足したそうです。

「今度は釣りに行こうか?とか、子どもとどう遊ぶか考えるのが楽しい。北海道のいろいろな場所に行ってみたいですね。」

 

「宇宙の民主化」誰もが宇宙を見ることができる世界へ

みなさんが一所懸命に “気球による宇宙遊覧” の実現に向けて動いている岩谷技研で、宮嶋さんは「この場にいられることは本当にありがたい。貴重なチャンスを頂いたという気持ち。」と、感謝の毎日で過ごされているとのこと。

「今まで見ることができなかった『宇宙の景色』を見ることができるようになる。そんな素晴らしいプロジェクトに加われたっていうことがやっぱり嬉しいですし、実現できるように気合を入れてやっていきたい。やっぱり自分の家族にも見せたいですしね。」

岩谷技研では宇宙をすべての人に開かれたものにしていくという「宇宙の民主化」を掲げています。宮嶋さんもその思いにたいへん共感を抱いているようで、「その意味で、一人でも多くの人に『宇宙の景色』を見てほしいって思います。」と熱い想いを語ってくれました。

岩谷社長がインタビューで「地球を見ると人生観や意識が変わるそうですよ?」と仰っていたことがありましたが、宮嶋さんが夢の中で見たという「青く輝く地球」を、自らがパイロットとして搭乗した気密キャビンから見た時、どんな意識の変化が訪れるのでしょう? その未来は、もう間もなくです。

福島にあった岩谷技研の研究所から北海道へ移り住むことになった福島県出身の研究開発部 松本章さんにインタビューをさせて頂き、現在の心境などをお聞きしました。

 

福島県の研究所から北海道へ

出身が福島県の松本章さんは、大学を機に福島を出て栃木県で就職。その後転職で福島に戻ってきて、特装車というダンプカーやゴミ収集車といったいわゆる「働く車」関係の荷台などを専門に扱うメーカーで働いていました。電気系出身ということもあり、電気機器全般の設計に従事していたということです。

そうした技術を生かせる職場として岩谷技研へ。現在は気球の天頂弁を制御するための基盤設計などを担当されています。また、キャビンに乗せる基盤の設計や、どういう機器を乗せるかという部分も担っています。

「以前あった岩谷技研福島研究所でも、今と同じ仕事をしていました。福島研究所ができて数ヶ月経ったくらいの時期に入社し、今年6月末、福島研究所が江別研究所に統合されることになったのを機に、北海道に来ました。」

そう淡々と語る松本さんでしたが、職場が突然福島から北海道に移ることになった時は、正直、続けるかどうか?かなり悩んだそうです。それでも、せっかく岩谷技研に入って仕事も順調にこなしていけるようになっていたこともあり、北海道へ渡る決心をしたとのこと。

実際に北海道に移り住んでまず感じたのは「涼しくて過ごしやすい!」ということでしたが、「冬は怖いかな…。」と正直な気持ちを告白してくれました。

福島もけっこう雪が降るのでは?と尋ねると、福島県は大別すると3つの地方に分かれており、東側に阿武隈高地が南北に伸び、西側には奥羽山脈や越後山脈が広大な山地帯を形成しており、地域によって降雪量が大きく異なるのだそうです。そして、松本さんが住んでいた南相馬の“浜通り”と言われる海沿いの地域はまったく雪が積もらない!のだそうです。なんと子どもの頃から雪かきをした経験が、1回か2回しかない、というのですから驚きです。

それゆえ、これから迎える北海道の冬生活での雪かきは大いに不安な様子。我々インタビュアーが「大丈夫、すぐ慣れますよ!」と言うと、苦笑いを返す松本さんでした。

 

画面越しで行っていた作業を直接話し合えて作業効率、大幅アップ!

福島研究所で仕事をしていた頃は、北海道にいる社員の方々と画面越しに作業のやり取りを行っており、なかなか大変だったようです。

開発の橋本さんたちと、Webカメラ経由で現物を見せてもらいながらの共同作業。その作業を通して松本さんは、北海道にいる社員の皆さんの負担になっているのではと常々心配していたのだそう。でも今は同じ工場内ですぐに面と向かって話ができるので、その部分はスムーズになったとのこと。

「向こうにいた時は今話をする余裕があるか?タイミングが悪くないか?といった事が全くわからないので、やっぱり同じ工場にいると聞きやすいです。」としみじみ語っていました。

また、キャビンに実装する基盤を製作しているのだけれど、実物のキャビンがない状態だとなかなか実感が伴わなくて苦労したそうですが、こちらには気密キャビンの現物があります。それを確認しながら作業ができるのも、大変やりやすくなったということです。

「岩谷技研は色々と試しながら、毎日試作品を作ってるような気分。ゼロから作り上げていく過程は、他の企業にはない面白さがあります。」と、試行錯誤の毎日の中に楽しみを見出しているようです。

 

趣味・登山の話

普段の気晴らしや趣味についてお聞きすると、「登山が好きです」とのことでした。

「こちらに来てからまだ行けてないんですけど、せっかく北海道に来たので色々な山に登ってみたいなと思っています。とりあえず近場で羊蹄山があるので行ってみたいなと思ってはいるのですが、天気が悪かったり実験とぶつかったりで、日程が合わないんですよね。実は先週も行こうと思っていたのですが、土日とも雨で…。」

行く山も決まっている松本さんですが、なかなかタイミングが合わないようです。

キャンプがお好きなのですか?とお尋ねすると、「キャンプはやりません。山に登って1日で下ってくる、日帰り登山が多いですね。どっちかっていうと、のんびりした雰囲気の、人があまりいなくてボケーっとできるところが好きです。」とのこと。登山好きにもいろいろな嗜好があるのですね。

さらに山登りについて深く聞いていくと、衝撃の発言が!

「登るのは楽しいんですけど、登るたびに二度と山登りはしたくない、と思ってしまいます。」

それはどういう事ですか?と聞くと、「頂上まで登ったところで『これ降りるのか…』と思うと、途端にげんなりしてしまうんです。もちろん一所懸命に登った達成感はあるんですけど、下を見ると、これから帰らなきゃいけないっていう…。」

行くときはワクワク感でテンションが上がるけれど、帰るとなると気持ちが萎えてしまう、という感じでしょうか。「旅は出発前が一番楽しい」とも言いますからね。なんだか分かる気がします、と言うと松本さんも笑っていました。

 

今後に向けて

電子機器の設計が専門の松本さん、今後は設計の現場の整理をしていけたらと語ります。ベンチャー企業である岩谷技研には、大企業の設計室のように整ったマニュアルや設計図は用意されていません。すべてを手探りしながら、ゼロから作り上げていかねばなりません。

今後岩谷技研が大きくなっていくに連れ、まだまだ多くの開発者が入ってくるでしょう。大人数がワンチームとして効率的に開発を進めていけるよう、今から開発の現場の整理を始めておかなくてはと、力強く語る松本さん。

眼の前の仕事だけではなく、未来もしっかり見据えて開発に携わっている、そんな松本さんの広い視野に感銘を受けるのでした。

岩谷技研の技術系正社員の中では最年長という研究開発部 研究課の海藤義彦さんにお話を伺いました。

 

入社のきっかけと不思議なご縁

「7月1日に入社したばかりですが、前職は同じ研究開発部の家弓さんと一緒の会社で働いていたんですよ」とお話ししてくれた海藤さん。お勤めだった会社の突然の経営破綻によって新しい仕事を探さなければ…となった時には、ガックリ落ち込んだそうです。

岩谷技研が2018年に熱帯魚のベタを28kmまで打ち上げて無事帰還させた実験の様子をテレビで偶然に見ていたこともあり、岩谷技研が技術職の人材を探していると聞いた時には「ここで働けるなら、ぜひ働きたい!」と思いました。連絡をとり面接に臨んだ際には、同席されていた棧敷さんから「論文で海藤さんのお名前を拝見しました」と言われ、縁も感じました。

「職を失うことになりどうしようかと思ってから、1週間で岩谷技研の仕事が決まりました」と、決まった時にはご家族で祝杯をあげたのだそうです。ちょうど去年、写真を撮るのが好きだという娘さんが手稲山に登って撮影してきた天の川の写真が素晴らしく美しかったことも、岩谷技研につながるきっかけになったかもしれない、という素敵なエピソードも教えてくれました。

海藤さんの主な仕事は、キャビンに乗せる装置の開発と大学との共同研究です。海藤さんが10年ほど前に一時期通った研究室が、偶然にも岩谷技研と共同研究をすることになり、オンラインの打ち合わせで当時を知る教授が海藤さんの姿を見つけた時には「どうしてそこにいるの?」と大変驚いていたのだとか。これも不思議なご縁というか・・・なにかのお導きですよね!

 

「すべてが絶対必要」なキャビンの設計

機械分野の技術職をずっとやってきた海藤さん。たとえば携帯電話の開発では、便利な機能が無限に用意されているものの実は利用者が知らなくても困らない遊びのような部分が沢山あったりします。ですが岩谷技研の気密キャビンの場合は(もしくは広く宇宙開発では)、ペイロードを抑えるためにギリギリに切り詰めたミニマムな設計が求められる中で、すべての装備が絶対必要!です。どれ一つなくても成立しない装備ばかりなのでプレッシャーも感じるし、気密キャビンは真空の成層圏まで人を乗せて飛ばすものなので、身が引き締まる思いを感じています。

ただ、実際に係留で気球に乗った時には、初めてでしたが怖さはなくキャビンに守られている、と安心感を覚えたそうです。気球の上昇はエレベーターが滑らかに加速していくようで楽しくて快適でした。そして気球がスーッと風と一緒に動くのは新鮮な体感だったそうです。

面接の際に「残業が大変ですよー」と言われていたとのことですが、そしてたしかに実験前の準備期間は超多忙になるものの、普段は大変な残業などもなく安心された、ということも教えていただきました。

 

知らない概念を知ることが好き

海藤さんのお好きなものや趣味についてお聞きすると、週末にはご家族でドライブに出かけたり旅行に行くのが好きだとのこと。また他にも、技術士や工学博士号も取得されていて、技術書を読むのが大好きなのだそうです。プログラミングも好きでゲームやAIを作りたいと思っており、さらには最近ソロギターでの弾き語りも始めて、ジャズっぽく弾きたい♪ ので音楽の理論も勉強中だとか。

どれも好きなだけでなく深く学びにつながっていかれるものばかりで、「勉強するのが好きなのでしょうか?」と尋ねると、「勉強が好きというより、知らない概念を知ることが好きなんでしょうね。知らない世界に足を突っ込むと、まるで異次元世界を覗き込むようなワクワクした気分になります。だから本屋さんにいると、まだ見ぬ世界がたくさん転がっているような感覚になり好きです。」と教えてくれました。

きっと、岩谷技研での新しいお仕事もワクワクした世界に感じていらっしゃるのでしょうね。岩谷技研の若い凄腕エンジニアたちと一緒に楽しくやっていきたいとおっしゃっていました。

 

宇宙の民主化と気球の大いなる可能性

気球による宇宙遊覧体験旅行に注目が集まりますが、海藤さんは高高度気球にはそれ以上に社会貢献ができる可能性があると感じています。

無人の気球を利用して地球の観測や宇宙のデータを取得することも実験できます。新たなネットワークの中継地として、いろいろなものをつなげていけると考えています。

「社会に貢献できる会社に入れたということが嬉しい」とご自身も大学や企業などのつなぎ役になれると思うと話してくれました。

「岩谷技研の技術系の正社員では2番目に年長です」との自己紹介をしながらご登場いただいたのは、7月18日に入社したばかりという、44歳の家弓国広(かゆみくにひろ)さんです。年齢的にはまだ若いと思うのですが、岩谷技研は岩谷社長を中心に20代〜30代の若いエンジニア達が多く働いているため、40代でも年長の部類に入ってしまうんですね。

 

最先端の開発現場で技術を身につけ磨き続けてきた

鹿児島県のご出身でご実家は仏壇屋だという家弓さん。どういう経緯があって北海道の岩谷技研にいらっしゃったのでしょうか?とお聞きすると、波乱万丈な時代の流れの中で転職を経て、泰然とご自身のキャリアを築き上げてきたことが伺えました。

大学卒業後は、エンジニア専門の人材派遣サービスを行う会社に就職した家弓さん。最初は、愛知県で電子機器開発の技術者として働いていました。ところが2008年に、リーマンショックの煽りを受け転職することになります。家弓さんは、そもそも自分は派遣会社に所属しているので別の派遣先に行けばよいだけ、と焦りや不安はなかったご様子。ただ一緒に働いていた正社員のみなさんは会社の状況が突如変わってしまったことで大変そうでした、と言います。

こうした体験から大手企業だから絶対に安定しているなどということはなく、さまざまな会社都合でリストラや部署異動が行われれば、技術があっても自分の希望する仕事ができるわけではないのだと実感したそうです。

家弓さんは設計が好きで、特に全体を見渡しながら装置全体を開発するのが楽しいと言います。身につけた技術は自分を裏切らないのでスキルを磨き続けることを怠らない。そうやって自分に自信を持っていれば、どこに行っても働けると考えておられるそうです。

さて、家弓さんは派遣先が愛知から北海道になり、大手スマートフォンメーカーで携帯端末の開発に携わります。しかしながら、この会社も今年の5月に経営破綻により民事再生法の適用を申請します。またも転職をせざるを得ない状況に・・・

今回は、家弓さんご自身も転職サイトに登録してみたところ、岩谷技研からお声がかかったのだそうです。

家弓さんはシステムや電気回路の開発、機械開発の技術が気密キャビンの設計にも役に立つかな?と思い、岩谷技研への転職を決意しました。

 

小さい単位から大きな開発へ、大きい組織から小さな組織へ

岩谷技研の印象はいかがですか?と聞くと、自分のやりたい最先端の仕事ができる場所だと感じているようで、「ないものをつくること」「設計すること」が好きなので、それをやり続けられそうだと魅力を感じています、と話してくれました。

携帯電話の開発では 0.1ミリとか5/100ミリという単位の、極小の世界でのものづくりをしてきた中、大きなものを設計することは簡単で「1センチもある!」と考えられるのだそうです。

また、今まではずっと大きな会社にいたので、小さいけれど機敏なベンチャー企業である岩谷技研には新鮮味を感じているそうです。大きな組織に比べるとまだ体制が整えてられていない部分がありますが「体制を整えていくことにも尽力できると思います」と心強いです。

「家弓さんがいなければ!と言われる存在になりたい。自分が50歳を過ぎた時にどうしていくかを考えてもいたので、これからはずっと岩谷技研にいたい」と話してくれたことが、とても頼もしく感じました。

 

岩谷技研がもっと働きやすい環境になるために

「昔はバイクにも乗っていましたし、スケボーやスノーボードも好き」と北海道の自然や雪も満喫している様子の家弓さん。札幌市内でも山が近い地域にお住まいで、週末はバーベキューをしたり家族でお出かけするのが楽しみで、お子さん達と一緒に寝ることが一番のストレス解消法かもと教えてくれました。

前職ではコロナ期間中、在宅でお仕事をされていたそうで、今は毎日出社するのが新鮮だし江別気球工場の雰囲気もとても良く、常に音楽が流れているのがすごく好きです!と言います。ただ、冬場は江別が豪雪地域のためJRが運休になることも多いと聞き、「フルリモートで仕事できる環境があってもいいかも知れないですね。」との話題になりました。

いえいえ、家弓さん。岩谷技研では社員間のコミュニケーションを通じたものづくり環境を重視していて、全コロナ期間中ただの一度もリモートワーク期間を設けたことがないんですよ!(それも逆にすごいことですよね)

さて今年の冬はどうなりますことやら!?

岩谷技研がつくる特殊な気球は、江別気球工場で「メイトさん」と呼ばれるパートスタッフが製作しています。メイトのみなさんは、2022年4月に工場が始動した時に12名の方が採用され働き始めました。メイトさんの中には、飯塚工場長が「和食料理店を作ろうと思ったら、なんと道場六三郎さんが働きに来てくれた感じ、幸運でした」と例える熱気球のスペシャリストの方がいて、その方を中心に気球製作が行われています。

「メイトさんに新しい仲間が加わりました」ということで、新しいメイトさんにインタビューを行いました。

 

成長産業である宇宙開発に興味を持った

7月1日に入社した熊谷さゆみさんは、アメリカの航空宇宙メーカーであるスペースXのニュースを見て、宇宙開発や宇宙ビジネスに興味を持ち、宇宙ベンチャーに関する本を読んでみました。そこで「岩谷技研」の名前を知り、求人を見た時に「宇宙開発は遠い世界のことだと思っていたけど、やってみたい」と思い応募したのだそうです。

とはいえ、昔から宇宙が好きで宇宙に詳しいのかといえば、たまに見上げる空をきれいだなと思ったり、プラネタリウムを見たことがあるくらいで詳しくはないので、これを機会に星空のことを学びたいと思い、江別市で開催してる星空観察会に毎月のように申込みをしてるのですが、人気すぎて落選ばかりなんですと教えてくれました。興味を持ったことに対しての行動力と、学びの意識が高いですよね。

 

メイトのみなさん達が凄いんです!

実際に働いてみてどうですか?と聞くと、真剣な表情になって「むずかしいです」と言うので少し驚きました。実は今までに他のメイトさん達にお話しを聞いている限りでは、「アイロンがけのような作業で楽しいですよ」と教えてもらっていたので、インタビュアーの私もできそうだな、やってみたいなと思っていたのです。

熊谷さんもものづくりが好きで、趣味で人形の服やお子さんの幼稚園バックを作ったりしていたので、最初は難しくないかなと思っていましたが、「みなさん当たり前にやってるのですが、溶着の作業が細かく繊細で、集中力もいるし緊張します」と熊谷さん。

まずはイベント展示用の気球を作ったのだそうですが、穴が空いていないことを確認するために試しに膨らませ、しっかりと膨らんだ気球を見た時には、とても嬉しい気持ちになったそうです。

「慣れれば簡単。自分のやり易いやり方を見つけて」とアドバイスされ、メイトの先輩一人ひとりからやり方のコツや技を教えてもらっているのだそうですが、まだ全然慣れないのだそうです。とはいえ、まだ作業を始めて一ヶ月程度なので、難しく感じるのも無理はないかもしれません。

みなさんは、丁寧だけどスピード感があって・・・ 簡単そうに見えるのもメイトさん達が経験を積み、効率やコツがすっかり身についているからなんでしょうね。

わからないことはすぐに聞いてと言ってくれるので、何回も聞いてしまうこともあるげど、その度にきちんと丁寧に教えてくれて、みなさんとても優しいです!と教えてくれました。

「作業はグループで行っていて、いつも二重三重にチェックするし、みなで話し合ったことを各自メモして確認しているのでミスにつながらないのだと思います」と、働くみなさんの様子をよく見ているところに熊谷さんのやる気を感じました。

「メイトさんの中には実験に同行される方もいらっしゃるので、しっかり仕事を覚えて、いつかは自分も実験に立ち会えるようになりたいです。気球にも乗ってみたいです!」と話してくれました。

 

岩谷社長と同じ年齢なんです

話しの中で、自分が岩谷社長と同じ年齢だと教えてくれた熊谷さん。子どもの頃に流行っていたことや、観ていたテレビ番組を尋ねて、どんな時代を過ごしてきたか盛り上がりました。

ダウンタウンのお笑いバラエティー番組が大人気でクラスメイトのみんなが観ていた世代だったのに、岩谷社長が松本人志さんを知らなかったというのは本当なのか?という話題に・・・(2016年の11月に放送された『クレイジージャーニー|風船宇宙撮影の旅 男のロマン!』の放送で、スタジオに登場した岩谷社長が、MCの松本人志さん、設楽統さん、小池栄子さんのことを「ごめんなさい、知らないです」と発言してお茶の間の爆笑を誘ったのは有名な話)。

 

7年の時を経て「クレイジージャーニー」に再出演した岩谷社長

ところで。熊谷さんとのインタビューを終えて数日後、話題に上ったテレビ番組「クレイジージャーニー」2023年8月21日の回に、なんと!岩谷社長が7年ぶりに登場したんです。

スタジオにいる3人と再会され、小池さんから「前回出演していただいた時は松本さんもバナナマンさんも私のことも知らないと仰ってましたけれど、目にする機会はこの7年間で…?」という問いに、岩谷社長は「意識していないので気付かなかったのかなと思うんですけど、見た記憶が…ありません」と返答し、お三方は苦笑い! 研究開発にお忙しい岩谷社長はテレビを見る機会がなかなか無いのかも知れませんね。

番組内では岩谷社長7年の軌跡と、2023年7月に達成した高度6,000メートル越え有人飛行試験の模様が公開され、たいへん感動的な内容でした!

2023年5月末、岩谷技研江別研究所内にて毎年恒例の集合写真撮影がありました。当日の楽しい様子をリポートします。

 

江別研究所で集合写真撮影2023

本日は午後昼過ぎに江別研究所で岩谷技研に所属する全員の集合写真を撮影する日。いつもと違って人数も多く、とても賑やかです。

 

工場内で集合写真の準備が着々と進んでいます。

 

札幌本社の方々も続々と集まってまいりました。いつもと違う雰囲気に本社の皆さんもちょっと戸惑い気味のご様子?

 

今年もヘアメイクの高木さんが東京からわざわざお越しになり、岩谷技研の皆さんの髪の毛をオシャレに整えてくれます。

プロのヘアメイクさんにカットして頂けるなんて、一年に一回の最高のご褒美ですよね。

 

高木さんのカットでサッパリした及川隊長。仲取締役と撮影についての話し合いでしょうか。

 

撮影の準備が進む中でも、江別工場の作業は通常通り進められていました。

いつもとは違う落ち着かない雰囲気にも動じず、淡々と仕事を進めるメイトの皆さん、素晴らしいです。

 

集合写真の撮影を開始します!

いよいよ集合写真の撮影が始まります。皆さん撮影場所に集まって下さ~い。

 

岩谷技研の社員・メイトの皆さんが一堂に会します。あらためて全員が集まると、本当に多くの方が岩谷技研に関わり支え合っているのだなと実感しますね。

 

皆さんの立ち位置はいかがでしょうか?岩谷社長も真剣な表情です。

 

もうちょっと左?後ろのメイトさんたちが見えない?さて、どう解決しましょう?

 

どうしようか悩んでいる間、岩谷社長も皆さんもとっても楽しそうです。そんな和気藹々とした雰囲気の中、撮影準備が進んでいます。

 

 

結局後方に立つ方々が見えないということで、たくさんの土嚢のようなものが運び込まれてきました。岩谷技研には色々なものが用意されていますね。

 

それでは最終チェックです。仲取締役もしっかり確認。

 

それでは撮影に入ります!スマホでのチェックは終了してくださーい。

 

いよいよ撮影の瞬間となり、皆さんの緊張感が高まります。

 

カメラを見つめる皆さんの様子。及川隊長、前を向いてください!

 

ヘアメイク高木さんによる再度の調整が入ります。プロの方々がいると本当に心強いですね。

 

今回は長い三脚と脚立を利用して、上から見下ろす形での撮影となっております。

 

まずは真剣な表情を撮影。

 

では皆さん、一度目を閉じて下さい!目を開けた瞬間、笑顔で撮影します!

 

はい、最高の笑顔で!みなさんとっても良い笑顔です!

このように数パターンの表情を撮影されていましたよ。

この写真( ☝︎ )が最終的にセレクトされて、公式HPのトップページに採用されたカットです!

 

というわけで、撮影終了。お疲れ様でした!みなさんホッとされた感じで、一気に緊張感がゆるみました。

 

それでは力に自信のある男性の皆さんで後片付けです。結構重そうですよね。

 

今回の集合写真で一緒に撮影されたキャビン「T-10 Earther」。この乗り物がもう間もなく皆さんを宇宙へ誘います。

 

そんな「T-10 Earther」さん、大きく重さもあるので工場を出るのも一苦労!傷を付けないように慎重に運び出されます。

 

なんとかドアを抜けられました。皆さん本当にお疲れ様です。

 

集合写真撮影が終わり、そして江別研究所はいつもの状況に戻っていきました。

後片付けのバタバタした中でも、メイトの皆さんは誰に指示されることなく自らの仕事に向かっていきます。メイトの皆さんのプロ意識は本当に素晴らしいなと取材スタッフは毎回感動するのでした。

 

さて、現在岩谷技研はどんどん新たな技術者・メイトさんが加わってきています。来年の集合写真撮影のときはどんな状況になっているのでしょうか?岩谷技研の未来、それに関わる方々、今後の展開にワクワクが止まりません!

我々、編集部が江別気球工場の竣工披露式に参加する際など、最初にコンタクトを取り、それからいつもお世話になっているのが仲取締役です。イケオジでお人柄も素晴らしい方だなと感じていたのですが、「社内では、このオッサン何者?と思われているでしょうね」と仲さん。それならば、我々が仲さんについて深掘りしましょう!と、岩谷社長に初めて会った時の話や、腐れ縁だという飯塚工場長とのエピソードなどを聞かせてもらいました。

 

Blackmagic Cinema Cameraの第一人者

ご自身のデザイン|映像制作の会社を持つ仲さん。グラフィックデザイナーとして写真を使ったコラージュの制作や企業印刷物のデザイン、ディレクションなどを行ってきましたが、やがて世を挙げて動画の時代が到来。Web動画の制作に乗り出す中、本場海外の映像制作術や、カメラ、レンズなどの機材に関する情報をわかりやすく紹介するブログを開設したところ、これが大当たり。一躍、映像業界で有名人に。

そんな時、『札幌の大学生が風船にカメラを付けて宇宙撮影に成功した!』というニュースで岩谷社長のことを知った仲さんは、共通の知り合いを通じて岩谷社長と出会います。初めて会った時の第一印象を、「すこぶる頭の良さそうな、痩せ過ぎの青年でした」と言う仲さん。もっと肥えさせねば!との親心(?)から『肉を食いに行こう!』と食事に誘ったそうです。

岩谷社長は、ふうせん宇宙撮影で確実に宇宙を撮影し回収できる装置を完成させたものの、当時はトイカメラを使用していたため映像の画質には限界と不満がありました。そこで仲さんが “撮影部” として撮影機材の選定を担当し、ご自身の映像ブログを通じて親交のあった豪・Blackmagic社から発売されたばかりの小型シネマカメラ(映画のような高画質で撮影できるカメラ)をバルーンに搭載することを提案します。

こうして制作したのが、2014年に公開した「FUSEN UCYU PROJECT – BMPCC GOES TO SPACE – 世界初、シネマカメラでの宇宙撮影」というドキュメンタリー作品です。

 


▶︎ 上の画像をクリックするとYouTube動画が開きます

 

デジタルシネマカメラによって撮影された宇宙から見る美しい地球の映像は、国内外の映像業界や撮影機器メーカーの間でも大変な話題となりました。

仲さんは、その後も岩谷社長のさまざまなプロジェクトに撮影アドバイザーとして参加し、記録映像を作るなど協力を続けます。…協力というよりも、仲さん自身も宇宙の写真を撮りたい!と、同じ夢を見ていたようです。

当然、2018年6月に宮古島で行われた、あの有名な「ふうせん宇宙撮影 生物プロジェクト」にも参加しました。

 


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実験の成功を受けて、「次は魚じゃなくてオレを飛ばして欲しい!」とお願いしてから二年。「準備できましたよ。そろそろこちらに来てください」と呼ばれ北海道に来てみると、岩谷技研はいつのまにか岩谷社長の個人事務所から立派な企業になっていました。すごいじゃん岩谷くん!と毎月様子を見に来るうち、今度は「本腰を入れて、このまま協力して欲しい」と言われました。

「気がついたら取締役になっていて。うまくはめられました」と笑います。

「岩谷くんは合理的ですからね、それぞれの専門分野で経験の積み重ねがある、ずっと歳上のぼくらのようなオトナに脇を固めさせることの利点に気がついてしまったんでしょう」なんて、この時は言っていましたが、いつか聞いた仲さんの言葉からは、新しい経験ができることを喜んでいて、超多忙ながらも楽しんでいる様子や、岩谷社長との仲良しぶり、感謝の気持ちが伝わってくるんですよね。

 

「え?雷ちゃん札幌にいるの!? いいなー」

仲さんが、札幌と東京と行ったり来たりしながら忙しくしていると「最近どうしてるの? 全然連絡くれないし」と、大昔からの友人で、ちょくちょく連絡を取り合っていた飯塚さんから電話がありました。

飯塚工場長と仲さんは小中学校の同級生。高校は別々だったものの、大学時代には今度は留学先のニューヨークで再会して、80年代はずっとあちらで一緒に遊んでいたそう。その後も付かず離れず、現在までずっとお付き合いが続いているのだそうですよ。

『岩谷技研の話をしたら飯塚が「そりゃ面白そうだ!いいな〜」と言うので、ちょうど工場長のポストを探してるんだけど、助けてくれんか?って話を振って、岩谷に会わせるいい機会だ、とちょうど出かけるところだった宮古島実験に誘ったんですよ』と笑う仲さんですが、その時に大事件が起こります。実験がうまく行き、全て終了したあと遊びで乗っていた船が大波に突き上げられ、甲板に叩きつけられた衝撃で、仲さんは背骨を折ってしまいました。そのまま現地の病院に緊急入院。

いっぽうの飯塚さんはそのまま札幌の岩谷技研に出入りするようになったものの、知り合いゼロ、周囲は二回りも若い社員たち、頼みの綱の仲さんは当分帰ってこれません。不本意ながら飯塚さんを放っておくことになってしまった仲さんは、身動きもできないベットの上で心配していました。

ところが約1ヶ月後、上半身を固定するコルセットを着けてようやく札幌に戻ってみると、飯塚さんはすっかり皆と打ち解け、頼りにされる存在になっていたそうで、「すげぇなコイツ!」と舌を巻いたそうです。

以前、大手百貨店で大勢の若者を統率して動かしていた経験を活かして江別の気球工場をまとめてほしいと仲さんからオファーし、飯塚さんは単身、北海道に移住して工場長を務めています。

 

自分はずっと一匹狼でやってきたので、今のように組織の中で自分のパートを認識して仕事をする経験は、今さらながら学びになっている、と言う仲さん。

さて、そんな仲さんについて、岩谷社長にこっそり聞いてみたところ「出会って10年くらいになりますか。『この歳まで生きたからもういいんだ、好きなものを食べさせろ!』なんて言ってますけど、健康には気をつけてほしいです」とおっしゃっていましたよ。

 

※仲取締役と腐れ縁?飯塚工場長のインタビューはこちら『北海道に来て本当に良かった!飯塚工場長インタビュー