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2023年10月16日、江別市長の後藤好人さんが岩谷技研を訪問し、江別気球工場の見学に訪れました。

市長は終始ニコニコと笑顔いっぱいで、岩谷社長とお話をしていたり、キャビンを覗き込み乗り込んだり、興味津々の様子で見学され、見学を終えた後には「面白かった」とご機嫌で周りの市職員に伝えていたそうです。

11月24日に江別市役所で開かれた定例記者会見にて、後藤市長より岩谷技研についての発言があるとの情報を得て、我々取材陣は市役所広報公聴課をたずねました。

 

札幌から江別市内に本社を移転

江別市役所で開かれた定例記者会見では、12月8日に岩谷技研の本社が江別市大麻中町にある道央農協旧大麻支店へ移転することが明らかにされました。この場所は江別気球工場にも近く、本社も江別に集約することで事業の効率化が図れると説明されたそうです。

後藤市長は岩谷技研の話題になるとにこやかな表情で、「夢のある企業が江別に来てくださった」と話し、岩谷技研のことを「オンリーワンの企業である」と表現し「非常に期待している」と何度も何度も言っていたことから、言葉に熱が入っている印象を受けたと広報公聴課の方が教えてくれました。

江別市を「人にも企業にも選ばれる、笑顔あふれるまち」にするという目標を掲げる後藤市長は「岩谷技研に選んでもらった!」と大変喜ばしく大歓迎している様子。江別に来た人に住んでみたいと思われるまち、人々の笑顔があふれ、企業からも魅力的に映るまちを目指していることから、江別を選んで良かったと思われるよう、今後もオール江別で岩谷技研を応援し支えてくれることと思います。

 

夢のあるスタートアップ企業への期待

キャリア教育の一環として江別市教育委員会からの依頼を受けた岩谷社長が、別第三中学校にて「“やってみる”からはじめよう!」と題した講演会を行なってくれたことにもとても感謝されていました。

キャリア教育は、子どもが夢や希望、憧れる大人のイメージを持ち、将来自分らしい生き方を実現するための力を育みます。やってみることと失敗することの大切さを語り、夢を見つけるためにも自分に正直に好きを見つけることが大事という岩谷社長のお話しには、子ども達も目をキラキラさせて聞いていました。

また、2023年10月には2日間に渡る職場体験に協力し、10名の中学生を江別気球工場に受け入れました。生徒達は「製造業」と聞かされ何を作っているのかを詳しく知らずに工場に来たので、宇宙に行くための気球を作っていることに最初は驚きでいっぱいでしたが、実際に気球を体験製作し宇宙への興味と関心も大きく膨らんだ様子でした。職業体験の感想文には、感謝の気持ちと宇宙旅行への希望が綴られていました。

気球で宇宙に行くという飛び抜けた事業を行なっている宇宙関連のスタートアップである岩谷技研には、より良い未来を子ども達の世代につないでくれるにちがいない!との期待が高く、今後もぜひ協力を続けていただきたいと考えているようでした。

 

新しい雇用の創出と地域活性化への感謝

江別気球工場が開設した時にもパートの雇用がありましたが、今後さらに事業が拡大するにつれ新たな雇用が生み出されていくのでしょう。岩谷技研が江別に来てくれたことで、「地域の活性化が起こっている」「本当にありがたい」「素晴らしい」「期待しています」「自分も気球に乗ってみたいです」など、お話を聞いた関係各所の職員の皆さんからも感謝と喜びと期待の言葉をたくさんお預かりしてきました。

改めて私たち取材陣も江別市民の一員として、岩谷技研に「江別に来てくれてありがとうございます!」と心からお礼したいと思った取材となりました。

経営企画部 人事課/総務課・松浦陽香さんにインタビューをさせて頂き、入社のきっかけや宇宙に対する想いなどをお聞きしました。

 

松浦さんの現在されているお仕事

2023年4月に入社された松浦陽香さんは旭川市出身。現在は人事課/総務課でお仕事をされています。

――普段はどんなお仕事をされているのですか?

「実験メンバーの皆さんのホテルを手配したりですとか、あとは社長の飛行機を取ったり…。あとは例えば社用車の見積もりを取ったり、備品の管理、勤怠管理などを行っています。」

――だいぶお仕事が多岐にわたっているのですね。お仕事には慣れましたか?

「繰り返しのお仕事はだいぶ慣れてきました。新たに取り組む仕事も、皆さん優しく教えて頂けるので。」

前職は通販のオペレーターとして働いていたという松浦さん、そこで最終的には総務として働いた経験もあり、岩谷技研に応募したということでした。

 

子育ての悩みを共有できる岩谷社長、岩谷技研の皆さんの優しさ

――岩谷技研に転職しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

「最初は総務職で求職活動をしていたんですけれど、岩谷技研の募集を見て『え、宇宙?』と驚いて…。宇宙はすごく好きで。子どもの頃から宇宙に興味があって、見るともう興奮して寝られなくなるんですよ。今はYouTubeなどで宇宙に関する動画とか、惑星がクルクル回ってる様子とか見られるので、もう止まらないですね。」

なんと、子どもの頃から宇宙に関する話題が大好きだったという松浦さん。そんな宇宙に直接関われる仕事なんて、当時は思いもつかなかったそうですが、宇宙遊覧旅行を目指す岩谷技研の募集を見て、気になって仕方がなかったのだとか。

「総務の仕事を探してたら、宇宙開発!どうしよう!?って…。でも子どもがいるので、休むことが多くなってしまうかもって思い直して、もう少し休みをとりやすい会社の方が良いのかなとも考えたんですけど…。
でもやっぱり宇宙って聞いてしまうと、どうしても気持ちが抑えられなくて、結局すぐに応募しちゃいました!ちょっと一か八か試してみよう!みたいな感じでした。」

松浦さんには現在3才と5才の可愛いお子さんがいらっしゃいます。小さいお子さんがいると、どうしても急なお休みが必要になったりもしますが、同じ子育てをされている岩谷社長はその点とても誠実に対応してくださるとのことです。

「先日も、岩谷社長から話しかけて頂いて、『お子さん熱大丈夫?』とか、すごい心配してくださって。ありがたいですよね。岩谷技研の皆さんは本当に素敵です。入社できて良かったなって思っていますね。」

子育ての悩みは実際に子育てをされている方でないとなかなか分かりえない部分もあると思うので、岩谷社長のような、ご自身が子煩悩な方の下だと安心して仕事ができますね。

 

宇宙への興味の原点はヘール・ボップ彗星?

松浦さんが宇宙に強く興味を抱いた原点は何だったのでしょうか。「小学校くらいだったと思うんですけど…」と記憶を辿ってもらうと、子どもの頃に見た「ヘール・ボップ彗星」を見た時からかも知れないというお話をされました。

「小学生の時も、特に学校で宇宙の勉強をしたわけではありませんでした。でも確か、ヘール・ボップ彗星みたいな、何かずっと長い期間見えていた彗星があって、それを頑張って見上げていた記憶があります。」

ヘール・ボップ彗星とは、1997年(平成9年)頃に明るくなった大彗星で、過去に観測された彗星の中では最大級と言われています。観測期間も非常に長く、なんと1年以上も肉眼で見えていたということです。

その頃の思い出が今の岩谷技研への転職につながっていたかと思うと、人生って不思議で面白いですね!

 

命がけで仕事をされている皆さんの力に

総務の仕事は全くの未経験に等しい状態だった松浦さん。「右も左もわからない状況の時、みなさんが聞きやすい雰囲気で接してくださって、1から教えてくださって、本当にありがたいです。だから仕事に集中できる環境だなって思うんです。」と、職場の雰囲気の良さを語ってくれました。

江別工場で実際に大きな気球を見学して、必死に作業をされているエンジニアの方やメイトさんの姿にも心を打たれたとか。

「作業をされている皆さんに余計な心配をさせたくないなって。もうちょっと本当に気を引き締めて頑張らないとなって思い直しました。それと、実験時に撮影された上空からの写真とかが会社のLINEに流れてくるんですけど、みなさん命をかけてやってらっしゃるのが伝わってきて…。これからもしっかりサポートしていけたら!と思っています。最終的に『松浦さんに頼んでおけば大丈夫だね!』って思って頂けるようになれたらいいなって思っています。」

岩谷技研で働く皆さんの熱い気持ちが相乗効果を生んでいる様子を知ることができました。皆さんそれぞれの優しさが支えとなって、さらに大きな結果に結びついていく、そんな素晴らしい岩谷技研のチームワークが垣間見えたインタビューでした。

経営企画部 経理課の林緑さんにお話を伺いました。林さんは2023年7月入社で、岩谷技研に勤務してまだ間もない時期。現在はどんなお仕事をされているのか、前職や岩谷技研に入社した経緯などをお聞きしました。

 

入社後あっという間の1ヶ月

インタビューした時期はまだ入社1ヶ月という状況で、「やっと少し慣れてきました」と言う林さん。「まだ1ヶ月なのか、もう1ヶ月なのか、意外とあっという間」という忙しい毎日だったそうです。

――林さんは経理課でのお仕事をされていますが、現在どんな状況なのでしょうか?

「元々経理はやったことない段階で入社したので本当に初心者からのスタートなんですけど、もう最初は経費の仕分けとかから始まって、色々教えてもらいながらやってる感じです。」

――以前のお仕事はどんなことをされていたのですか?

「監査法人の監査補助といった仕事をしていました。会計士さんが主なクライアントさんで、取引先の現場に赴いたり、エクセルやパワーポイントなどのデータ加工といったこともしていました。」

現在のお仕事は前職の内容とはかなり異なっているそうですが、希望していた経理の職業だったとのことで、たいへんやりがいを感じて仕事に取り組んでいるとのことです。

「実際に働いてみて、皆さんすごい優しくて助かっています。入社したら経理だけじゃなく、いろんなお仕事を任されちゃうのかな?ってドキドキしてたんですけど、結構ガッツリ経理をやらせていただいて、すごくやりたかった仕事だったので嬉しいです。それと、周りの人たちも比較的若い方が多いので、とても楽しいです。」

岩谷技研の事務所は、とてもフレンドリーな雰囲気で働きやすい!ということを強調されていました。働きやすい職場ってよく聞くフレーズですが、インタビュアーの我々も皆様にたいへん優しく対応して頂いているので、林さんの仰っていることが実感としてとてもよく理解できます。

 

「気球に乗るの?大丈夫?」と心配され…

事務職を探して岩谷技研に辿り着いたという林さん、最初は「気球を作る会社って、何か変わっているなぁ」と思ったそうです。それはそうですよね。気球で宇宙遊覧を目指す企業!なんて、世界中探してもまだ数社あるかないかですからね。

そして無事に岩谷技研への就職が決まった時、家族の皆さんが「そんな会社があるの?」とビックリされたのだとか。中でも義理のお母様からは、「まさかあなたは気球に乗ったりしないわよね?」とた心配されたそうです。というのも、林さん実はかなりの行動派とのことで、「子どもがまだ小さいのに、ちょっと大丈夫?」と本気で心配されてしまったようでした。林さんは「大丈夫だよ。私は気球に乗る仕事ではないから」と丁寧に説明され、納得していただいたとのことです。

林さんには、4才と、そしてまだ生後9ヶ月の2人の息子さんがいらっしゃいます。そのため夜何度も起きなければならず睡眠不足気味。そんな状況で「気球を作る会社に…」と言われたお母様の心配するお気持ちも分かる気がしますね。

 

育児でてんてこ舞いの毎日!

お休みの日は何をしているのですか?趣味は?と尋ねると、「今は自分の時間が持てず、育児と家事でてんてこ舞いなんです…」というご返答が。4才のお子さんと9ヶ月の赤ちゃんを育てているのですから、それはそうですよね。さらに仕事も変わり、覚えることが多い時期。毎日たいへんなご苦労をされていることと推察します。

では、時間ができたらどんなことをしたいですか?という質問に考え込む林さん。お話を聞くと、小中学生の時はバレーボール、高校ではガラッと変わって油絵を描いていたとのことです。本当にガラッと変わってますよね。運動も芸術もこなす多彩な林さんの一面がうかがえます。

「今は本を読むことが好きです。特に児童文学が好きで、本屋さんに行くと児童書のコーナーに行って、海外の児童文学などを手に取ったりしてますね。」

海外の児童文学といえば、ハリーポッター? 空想の世界に行けるのが楽しいとのことでした。
お子さんがもう少し大きくなったら、一緒に楽しめそうですね!

 

スタートアップ企業がどんな風に発展していくのか楽しみ

宇宙についてはそれほど関心がなかったと仰る林さんですが、岩谷技研の現在の状況、スタートアップ企業が発展していく様子が楽しく、とても興味深いということでした。

「誰もやってないことを始めるってほんとにすごい!ということを強く感じていて、そのサポートができることが嬉しいですね。これからどうなっていくのかが楽しみ。ここで働いていますけど、一ファンとしてという感じで、会社がどうなっていくんだろう!?って興味津々です。」

スタートアップ企業=まだ企業として完全に整っていない岩谷技研を、側面からどう支え、整えていくお手伝いをするか?そこに面白味を感じるというお話でした。働く者として見たらデメリットと感じてしまいそうなことを、「面白味」と捉えて取り組める林さんのポジティブで職人気質な考え方は、とても素敵なだと思いました。

「みなさん本当にやる気に満ち溢れている会社で、『良くしていこう!』っていう雰囲気をすごく感じてますね。」

静かで熱い情熱に満ちている事務所の中で、「与えられた役割をきっちりこなしていこう」という気持ちでいるとのことでした。

インタビューした時は本社がまだ札幌にありましたが、現在は江別市大麻町に移転した新本社で仕事をされている林さん。お住まいが札幌市厚別区で、江別市のすぐ隣り!実は札幌の旧本社よりも家に近くなったのだとか。

「江別はとても穏やかな雰囲気の街ですよね。」と、札幌との違いを語ってくれました。江別と厚別はお隣同士ですが、実は雰囲気がかなり違うんですよね。そんな穏やかな街、江別で、岩谷技研の皆さんと今後も楽しくお仕事を頑張ってください!

仕事に集中すると寝食も忘れてしまうという岩谷社長を生活面から支える岩谷夫人も岩谷技研の大切な一員ですよね!ということで、なんと岩谷社長の奥様へのインタビューが実現しました!

 

岩谷夫人とお話ししてみたいんですが!!

社員さんやメイトさんに取材の時に「岩谷社長に聞いてみたいことありますか?」と質問をしています。「現場でのコミュニケーションが取れているので、特に思いつきませんが・・・」と言われることが多いのですが、学生アルバイトさんからは「奥さまはどんな方なんでしょうか?」「学生時代に出会ったみたいですが、どうやって知り合ったんですかね?」という質問が多く、それは取材陣も気になります!ということで取材の申込みをしていました。

岩谷社長は我々に根掘り葉掘り聞かれるのでは?と懸念して岩谷夫人の登場を渋っていましたが、「私も社内報を楽しく読んでいます」とのことで、お会いすることができました!

「岩谷技研で働いてくれている皆さんになかなかお会いできる機会がないのですが、社内報を読んで『こんな気持ちで入社してくれたんだ、ありがたい』と思ったりしていました」と取材陣としても嬉しいお言葉。アルバムも持参してくれて、若かりし頃の岩谷社長の写真も見せてもらいながら大学時代の話題を中心に盛りあがりましたよ。

 

私も恵迪寮OGなんです

帯広出身で高校時代は演劇部の部長をしていたという岩谷夫人。北大に進学が決まり、パンフレットを見て恵迪寮(けいてきりょう|北大の学生寮)が面白そうだなと思ってよく知らずに第一希望にしてしまったのだとか。初めて寮に入った瞬間、物が散乱していてなんでこんなに汚いの?と帰りたくなったそうですが、今さら一人暮らしもできないと仕方がなかったと言います。

「寮では部屋周りという風習があり、部屋に挨拶に行くとゲームに参加させられたり、踊らされたりと、今思うとパワハラか?なんですけど、その時はそういうもんだと思って、演劇をやってたし踊れちゃう。声も大きかったから、先輩にも褒められたりして」と、芸は身を助けるというのでしょうか?結局、寮で卒業まで楽しく過ごしたのだそうです。

恵迪寮といえば、同じく北大OBの松本大成さんの入社の経緯にも大きく関わっていたのでした!

岩谷技研で引越しをする時に人手が足りない!と困っていた岩谷社長の様子を見て、恵迪寮の掲示板を思い出した岩谷夫人。OGのよしみで…とお願いして、バイト募集のチラシを貼ってもらいました。

「恵迪寮には人がたくさんいるから、絶対にバイトの1人や2人や3人くらい来てくれるよ!と言ったものの、なかなか連絡はなく、誰も来なかったらどうしよう」と思っていたところ、松本さんから電話があり、「神の声!いや仏の声!!」と安堵したそうです。そして松本さんが今でも岩谷技研で働いてくれていることが本当に嬉しいと話してくれました。

 

お二人の出会いは「運命」ですね!

ところで、大学では演劇ではなく茶道を始めようと思ったきっかけは?

「もともと和小物や着物が大好きで和菓子も食べられていいなって思ったんですよ、でも実際に始めてみると、スーツ着用で普段はあまり和菓子は食べられなくて」

当初の思惑とは違ったようですが、その茶道サークルには一学年上の先輩に岩谷さんがいました。飲み会やバトミントンで皆で集まるうち、「一緒ご飯食べに行かない?」と声をかけられて、それから二人で出かけるようになり、やがて付き合うように。「大学生のよくあるパターンですよ〜」と教えてくれましたが、う〜ん、まさに青春!

大学時代にふうせん宇宙撮影に取り組み始めた岩谷社長は、平気で徹夜して装置を作っていたり、食事も「じゃがりこを食べたよ?」という感じで夢中になっていたそうです・・・じゃがりこは食事ではないですね。

「震災の直後に元気を無くしていて。ふうせん宇宙撮影をやるんだ!と決め、ようやくイキイキを取り戻してくれたので、元気で楽しくやれるならそれが一番いいと思って見ていました」と岩谷夫人。「基本的に頑張りすぎちゃう人なので、ほどほどにして、ご飯を食べてもらわないと」。どうやら昔から岩谷社長は岩谷夫人が用意してくれる食事で生活のリズムを整えていたようですね。

「風船が遠くまで飛んで行って行方不明になっちゃった時があったんですよ。その時はとても落ち込んでしまって、大丈夫だよ、きっと誰かが見つけて拾ってくれるよ!って励ましてたんです。そしたら本当に拾った人から連絡があって戻ってきて。よかったなって思いました」とのエピソードでも、どんな時も明るく前向きな言葉で励ます岩谷夫人の言霊力が素晴らしい!と感心しました。岩谷社長にとって、どんなに大きな心の支えとなったことでしょう!!

「出身地も違うし、お互いに別の大学に行ってたり、もしストレートで入学してたら4年生と1年生だったので茶道部で出会ってもあまり親しくならないで卒業したかもしれないし、本当にちょっと何かがずれていたら会えなかったんですよ」と、ここでも偶然がいくつも重なって岩谷社長の力になっているのだなと感じました。

「すごく優しくて、家庭のことを大事にしてくれて、私よりも子どもを泣きやませるのがうまいので、みんなパパのことが大好きです」と、仲良く並んでテレビを見ている写真を見せてくれました。お子さん3人と岩谷社長がそっくりな顔してて、かわいい!!

「子ども達が大きくなったら、パラシュート教室の手伝いをしたいなって思っているんです」と教えてくれた岩谷夫人。お話を聞いていると、お二人がとてもお似合いの素敵なご夫婦で、大きな愛情でご家庭を大切に育んでいる様子が伝わります。まだまだ沢山のハッピーエピソードを伺ったのですが、岩谷社長が照れてしまうと思うので、記事はこの辺にしておきましょう。なにしろ幸せいっぱいで心が温かくなったインタビューでした。

7月に入社されたという美濱さん。入社して約1ヶ月が経った頃のインタビューでしたので、「まだお仕事のことは大きくは語れない」と言いつつ、しっかりとしたご自身の考えをお話ししてくれました。

 

パート面接で再トライ!画期的な取り組みにワクワクしました!

札幌出身で大学までは北海道にいましたが、就職で仙台へ。その後、福島に移り住んだ時に東日本大震災に遭い、また仙台に戻り、その後東京、広島、島根を経て、この度札幌へ戻ってきたのだそうです。札幌に戻って間もない頃に岩谷技研の正社員の面接を受けたという美濱さん。

「宇宙ってすごく遠いものだと思っていたんですけど、求人を見たときに誰でも行ける宇宙が実現できるって、この年齢になってこんなにワクワクすることには出会えないって思ったのがきっかけで、自分の気持ちを大事にしたいなと挑戦しました」

その時はお子さんがまだ小さく、働く時間の都合で不採用だったため、別の仕事をされていましたが、「今回パートでの募集があったので、もう一回受けてもいいですかって、再トライさせていただきました」と話してくれました。

お子さんがいても働けるよう、パートタイムでの働き方を可能にしているというのも、岩谷社長自身が子育て中で、子育て世代の事情をわかっていらっしゃるからなのだろうなと思いました。

 

採用面から岩谷技研を支えていけるようになりたい

「人事課/総務課では、みなさんにご依頼いただいたことをなんでもやる!みたいな感じなんですけど、小川さんのもとで採用のところも少しやらせていただいてます」と、前職で新卒採用の人事をやっていた経験があり、いずれ新卒採用を始めるようになったら、お手伝いできることが増えるかなと考えているのだそうです。

ご自身の目標としては、「今はパートで働いているので、短い時間でギュッと仕事してお役に立てるようにできるといいのかなと。お時給以上の価値を持って生産性よく働きます!」と力強い宣言をいただきました。

「今までにないことをやっている会社なので、夢を実現させるという希望と意欲を持っていらっしゃる方と一緒に仕事ができるように、採用の面から岩谷技研の挑戦の実現に向けて貢献していきたい」とお話ししてくれました。

 

密なコミュニケーションで頼られる自分になりたいです

江別気球工場に足を運んだ時には、製作中の気球を見て「これが飛んでみんなを宇宙に連れていくんだな」とワクワクしました。その時は、テンションが上がるノリノリの音楽がかかっているにも関わらず、みなさんが黙々と作業をされていたり、真剣に打ち合わせをしていた様子が、ちょっと楽しい♪と思ったそうですよ。

「メールでの文章ばかりのやり取りだと、気持ちがあまり乗らないやりづらさがお互いにあると思うので、エンジニアやメイトのみなさんともお会いしてお話できる機会があると、関係性ができていいのかなと思っています」

6歳と3歳の二人の娘さんのママさんでもある美濱さん。お休みの日は、家族で公園などに出かけて遊ぶことが多いそうですが、自転車に乗る練習をさせたり、あえてキャンプに出かけて、娘たちの虫嫌いを克服しようと思っているのだと話してくれました。

ご自身は最近サウナに興味を持ち始めたそうで、ちゃんとした入り方をすると、とても気持ちいいものだと気がついたのだとか。〝整う〟ってやつですね?美濱さんのお話を聞いていると、まさに整え上手な印象を受けます。

ちょうど同じ時期に新しく入ったメンバーも多く、会社として今は組織を作っている最中なのだと感じています。美濱さんの整える力を存分に発揮できそうですね!

経営企画部・三輪喬幸さんは、岩谷技研の共創パートナーであるJTBから2023年5月1日付けで出向されてきた方です。これまでのJTBでの仕事の話、今後の宇宙旅行のビジョンなどをお聞きしました。

 

JTBでの三輪さんの経歴

三輪さんがJTBに新入社員として入社したのは2014年。埼玉県にある川越の営業所で、8年ほど法人向けの営業を担っていました。営業先は一般企業の他に、行政や自治体などとも関係し、旅行の提案や自治体が運営するイベントなどをコーディネートしたりと、仕事は多岐にわたっていました。

その後、8年の営業経験を生かして2022年から本社に移動。岩谷技研に来る直前まで東京本社で、全国各地の営業支店を統括する部門で働いていました。

その際に、岩谷技研の「オープン・ユニバース・プロジェクト」の話がJTBの方に入り、正式にプロジェクトへの協賛が決まったのが2022年11月のこと。三輪さんはその時からJTB社内でプロジェクトを担当していたこともあり、岩谷技研との接点はもう1年ぐらいになるのだとか。

「岩谷技研に出向する以前から北海道に何度も足を運んで実験を見学したり、本社も何度も訪問してまして、出向することのイメージがかなり持てていました。ですので、今の職場には、すんなり入れました。」と三輪さん。

実際に出向するまで、1年近くに渡り入念な準備をしていたような展開になったのですね。

 

北海道は涼しい!

関東から札幌に家族一緒に移住してきたという三輪さん。娘さんはまだ1歳で、海を渡った先の北海道という地に、最初は大丈夫かなと不安があったのだそう。

「私は愛知県の名古屋市出身で大学の時に上京してきたので、関東圏に長くいました。妻は大阪が地元で、仕事の関係でずっと東京に住んでいました。ですので、私も妻も北海道の土地勘が全くないので、少し不安でした。」

でも実際来てみて札幌の暮らしはというと…。

「つくづく妻と話をしてるのは、やっぱり北海道は涼しいと(笑)。全然暮らしやすいです。それこそ私の実家・名古屋の両親や、大阪にいる妻の両親に、夜とか涼しいよ〜と話をすると、もう羨ましい羨ましいって。」

今年は道民も腹が立つくらいの暑さが続きましたが、やはり本州の方からすると全然涼しかったようで…。

「でも冬が初めてなので、それだけが心配ですね。」と、岩谷技研に転職してきた皆さん同様の不安を口にされていました。大丈夫、すぐ慣れます!そして1歳の娘さんと雪の思い出づくりがたくさんできると思いますよ!

 

JTBと岩谷技研が連携

――三輪さんの現在のお仕事を具体的に教えて頂けますか?

「JTBが協賛契約に入らせていただいた経緯として、要は宇宙遊覧旅行のサービスをお客さんに販売をして、満足していただける商品にするためには何をすれば良いのか?その辺りに対するサービス開発であるとか事業開発の要素を、JTBと協力して作り上げていくこと。やることはたくさんあります。」

「例えば、宇宙遊覧に参加されるお客様は1週間ほどの滞在が予定されているため、そうなったときの宿泊や寝泊まりのフォローやオペレーションも考えなければなりません。」

宇宙遊覧旅行は、ただ気球から宇宙を見るというだけでなく、その前後のサービスを含めたパッケージなのだなと改めて理解することが出来ました。

 

宇宙旅行の企画を提案していた三輪さんが岩谷技研の担当に

現在JTBから出向という形で岩谷技研の仕事を担っている三輪さんですが、岩谷技研の宇宙遊覧を知る以前からJTB社内で宇宙旅行に関する提案を行っていたそうです。

「宇宙の領域とかロケットを使って上空で何分間か無重力体験をできるみたいなことが、ここ最近話題になっているじゃないですか。JTBとしても進出していくべきじゃないかと思っていて…。JTBの社内では、新規事業の社内公募制度というものがあって、実際に提案を出してたんですよ。」

その提案を出したのが、岩谷技研が話題になる三年ほど前の話だったそうです。最終的に採択までには至らなかったようですが、その後に岩谷技研の「オープン・ユニバース・プロジェクト」の話を聞かされ、三輪さんは思わず「きたぞ!」と思ったのだそう。

「岩谷技研さんを私が担当させて頂けることになったので、なんというか、不思議な縁を感じています。私自身何か新しいことをやっていきたいとか、宇宙に対するポテンシャルも感じていたので、もう本当に〝お導き〟ですね。」と笑顔で語る三輪さん。

強く熱い想いが不思議な縁となって実現したのかもしれませんね。

 

今後の課題

――今後の課題や、宇宙遊覧旅行についてのイメージなどについて教えて頂けますか?

「まずもって安全性はもう本当に大前提で、それに伴って2,400万円という料金に見合う内容やサービス、そのクオリティはさらに上げていかないと!と思っています。より良く、心地よく、1週間の滞在の中での4時間の宇宙遊覧体験を含め、どんな要素で満足度を上げられるか。そこが課題ですね。」

今後どのように付加価値をつけていけるかという点は、今まさにいろいろ考えているところだそうです。

「宇宙遊覧旅行は、一生に一回あるかないかですからね。よくプライスレスって表現があると思うんですけど、お金を出しても経験できないような高い付加価値をどう創るか、みたいなところがポイントかなと思っています。」

そういった意味でも、JTBとの連携は宿泊・演出・その他トータル面で大きく貢献できると三輪さんは言います。

さらに、今後の重要課題の一つとして「インバウンド」を挙げていました。日本のマーケットに限らず世界に目を向け、より一層広いターゲットにアプローチしていくことも重要だとのこと。
実際にオープン・ユニバース・プロジェクトのホームページにも、海外からの問い合わせは多いのだそうです。

「日本人じゃなくても申し込めますか?という問い合わせもあります。なので、やっぱり海外の方に向けてプロモーションしていく必要性も感じています。」

行ったことがないところに行ける、見たことがない景色を見られる、そんな貴重な体験を提供する岩谷技研に世界中から注目が集まっています!

 

夫婦揃って趣味は旅行、道内各地を巡るのが楽しみ

最後に、休日の過ごし方や趣味についてお伺いしてみました。

三輪さんも奥様も、とにかく外出するのが好きで、旅行に出かけるのが趣味だとのこと。ですので、北海道の各地を気軽に出かけて見にいけることに喜びを感じているそうです。

「この間は旭川や富良野に行ってきました。気軽に富良野とかに行けたりするのは、すごい喜んでます。そのうち北海道らしさが満喫できる道東とかにも行きたいなと思ってます。東京から行こうと思ったら、それなりにお金や日数がかかりますからね…。」

三輪さんは仕事柄、札幌や函館には何度も来たことがあるそうですが、北海道に住むとなると、普段観光では行かないような場所にも行けるので、今までにない満足感を得られているようです。

「冬の北海道といえば雪まつり。JTBでも雪まつりは大変な人気でした。でも、お客さんの方でも飛行機が取れない、ホテルが取れない。本当に、なかなか苦戦する。そんな雪まつりも、自分たちはフラッと行けるんですよね…。絶対行かないと、と思いますよね。」

三輪さんの言葉や表情から、本当に北海道を満喫されているのだなという思いが伝わってきて、こちらも楽しい気持ちになってきました。

宇宙旅行に対する熱い思いと、いくつもの不思議なご縁が働いて、北海道の岩谷技研に加わることになった三輪さん。旅行会社での経験やノウハウを活かして、岩谷技研の名前が世界に広がっていく、それら壮大なビジョンをお聞きしながら、数年後の岩谷技研がどうなっていくのか…。きっと想像もつかないほどの素敵な未来になっていると思うと胸が高鳴ります。

2023年8月に札幌ドーム内で行われた実験の様子についてレポートします。

実験現場に到着するとドームの天井についてしまいそうなくらい縦長の大きな気球が設置されていて迫力満点です。札幌ドームのアリーナ面から天井までの高さは68メートルですから、おおよその大きさを想像していただけると思います。この気球は、二人乗りのキャビン「T-10 EARTHER」を成層圏まで上げるための41m級の気球です。

 

割れるものなら割ってみろ!の気球をあえて破裂させる実験?!

前日に、時間の経過とともにどれくらいヘリウムが抜けるか?確認するためのリーク試験を行った気球に、今回は極限まで空気を送り込んで膨らませ、どこまで圧をかけたら破けるかを確かめるための実験をします。テレビ番組の罰ゲームのように巨大風船を膨らませて突然バーンと破裂させるイメージでしょうか?と岩谷社長に聞いてみると「そんな割れ方はぜったいにしません。割れるものなら割ってみろ!」と強気です。

7月に実験を行った際には割れずに終了したため、今回はもっともっと圧をかけて敢えて破裂させるのだそうです。割れなければそれでいいのでは?と思うのですが、どこまで圧をかけたら破けるか?どういう割れ方をするか?を確認しデータをとることも大切で、下から裂けるはずとの想定通りに破裂してくれるかどうか、ぜひとも確かめたいのだと教えてくれました。

 

作業されているみなさんのお邪魔にならないように・・・

今回の実験の責任者は機械課の橋詰望宇さん。以前、インタビューをした時には「早く自分が主体となって仕事ができるようになりたい」と話されていましたが、あれから数ヶ月、実験を仕切るほどに成長されていました。

また、江別工場で顔馴染みのメイトさんも実験に参加されていましたが、みなさんの作業の邪魔にならないようにあえて話しかけることをしないで様子を眺めていました。

 

映像を撮影されている唐津さんを見つけ、我々も唐津さんの撮る角度から写真撮影をすれば良い画が撮れると後ろをついてまわっていると、「気球がパンパンになるまで、あと2時間くらいかかりますよ」と教えてくれました。

まずは膨らませた気球の直径などを測り、計算して体積を算出するのだそうです。なるほど・・・球体の体積を求める公式を中学生くらいで習ったような気がするのですが、全然思い出せません。そもそも大きく膨らんだ気球の高さをどうやって測るのでしょうか?

 

取締役・中臺さんも実験に参加

「今日の実験はね、気球の仕上がり具合の確認のようなもので、設計した人、作った人、関わった全員が答え合わせをするんだよ」と話してくれたのは中臺さんです。

中臺さんは、何度もパイロットとして有人飛行試験に参加していますが「パラシュート、パラグライダー、スカイダイビングなどのあらゆる方法で空を飛んできた中で、気球が一番穏やかだよね」とニッコリ。

私たち取材陣がお会いするのは4月に江別気球工場で行ったロープの結び方講習会以来ですが、その頃から岩谷技研が大きく進化したことの一つとして、岩谷社長と及川実験隊長が熱気球パイロットのライセンスを取得し、各自が必要な技術を磨いて着実に岩谷技研がステップアップしていることです、と教えてくれました。

噂をすればなんとやら?江別気球工場から数人のメイトさん達を連れて及川隊長が登場しました。

 

江別工場のメイトさんたちも実験の様子を見学

だいぶ大きく膨らんだ気球を見て「あの工場で作った気球がこんなに大きいなんて・・・」と驚くメイトさん達。

「実際に見てもらうとモチベーションも上がりますよね」と及川隊長。できるだけメイトさんにも実験現場を見てもらえるといいなと考えているそうです。

 

新しいドローンの試運転中だった仲さんが「記念撮影しましょう!」と言って、メイトさんたちの見学風景を撮影していました。気球の高度がどんどん上がっていくので、今までの小型ドローンでは対応できなくなり、より大型の新型ドローンを導入したのだそうです。

今日は、バッテリーの持ち具合の確認を含め試運転です!という仲さんですが、何だかとっても楽しそうです。ドローンのプロペラが起こす風を利用して、頭上に浮く扇風機のように涼ませてくれました。

 

いよいよ破裂

「今日は実験責任者ではないので、少し気楽ですよ」と言う及川隊長にお願いして、キャビンに乗った気分になって下から気球を見上げてみたいと超近距離で気球を見せてもらいました。

及川隊長に7月の有人飛行で最大到達高度6072mを成功させた時の気持ちも聞いてみたのですが「いや〜 普通ですよ」と、至ってクールです。我々はテレビ番組で放送された雲海の景色に及川隊長が「すげえ!」と叫ぶシーンに号泣したんですけどね〜。

 

さて、丸々と膨れた気球はあらかじめ取り付けられていた紐と紐の間を測り、直径を確認します。

岩谷社長からここで突然の気球クイズ「気球の重さはどれくらいあると思いますか?」と出題されました。ふんわり浮いている気球なので軽いように見えますが、プラスチックの素材の重さはあると思うので「◯◯kgくらいですかね」と答えると、なんと正解は「18トン」!!

空気にももちろん重さがあり、1気圧(約1013hPa)のとき、空気1Lの重さは1.2gと説明してもらいましたが、頭の中が???でいっぱいになってしまいました。気球には、この気圧が重要とのことで、もう一度理科の教科書を読みなおして、気球のことを勉強した方がいいと思った取材陣でした。

 

さあ、実験はここからがいよいよ本番。結果は事前の予想通り気球下部のつなぎ目部分から静かに裂け始め、大成功!とのこと。

 

裂け目部分を入念にチェックする岩谷社長と皆さん。想定通りの実験結果となったようで、新たなデータが取れた岩谷社長は満面の笑みを浮かべていました。

 

最後に気球解体

最後に気球の解体作業に入ります。気球の下側をぐるりと刃物で裂いていきます。皆さんなんだか楽しそうです。

 

丸々と膨らんだ巨大な気球は、大きな穴が空いたことでゆっくりとしぼんでいきます。

 

空気が抜かれていく気球がまるで生き物のようで、切なくも美しい姿だったのが印象的でした。

研究開発部の宮嶋香和さんは気球のパイロット第1号に選出された方です。どのような経緯でパイロットに応募したのか、宮嶋さんとはどんな方なのか、じっくりお話をさせて頂きました。

 

飛行機操縦士、気球パイロットになるため宮崎から北海道へ

宮嶋香和さんは千葉県柏市出身の41歳。大学を出て最初に就職した医療機器メーカーで山口県に7年ほど勤務し、ドバイ駐在なども経験。その後フリーランスとなり結婚。九州内を3回ほど移り住み、直前まで宮崎県で働いていたとのことです。

そして岩谷技研でパイロットになるため、宮崎県から北海道に家族で移住してきました。

これまでの職歴をお聞きしてパイロットと結びつかないのですが?とお尋ねすると、
「実は、もともと飛行機のパイロット志望だったんです。僕が大学を出た当時は裸眼視力の検査があって、パイロットになれなかったんです。今はもうその条件は撤廃されてるんですけど。当時は諦めて普通の仕事をしてきた、という感じです。」

パイロットに対する強い思いを抱いていた宮嶋さんですが、その情熱は歳と共に衰えるどころか益々強くなり、なんと36歳の時にアメリカまで行って念願の自家用飛行機のパイロット免許を取得したのだとか。
夢を追い続け、達成する宮嶋さんのバイタリティが伝わってきます!

免許を取りに行く決心をした理由は婚約がきっかけだったようで、「結婚前にやりたいことをやっておこう!と思って。」と当時を振り返ってくれました。
「とにかく空が好きだったんです。海外であれば、まだ可能性があると思って。ずっと昔からパイロットになりたい!というのが夢でしたからね…」

 

岩谷技研との運命的な出会い

つい最近まで岩谷技研のことを知らなかったという宮嶋さん、初めてその存在を知ったときの衝撃は相当なものだったと語ります。

「今年の3月に出張で東京に行って、羽田空港で帰りの便を待っていたんです。その時たまたまLINEニュースを見たんですよ。普段まったく見ないんですけどね。そしたら岩谷技研のニュースが目に飛び込んできて、ビックリしたんです。」

普段見ないニュースで偶然、岩谷技研の存在を知り、気球のプロジェクトを知ることになります。
そして気球パイロットの募集が行われていることが分かると、「これは受けないと一生後悔するぞ!」と思い、なにも考えず勢いで応募したということでした。

パイロット繋がりのエピソードということで、ここまで自然な流れとして違和感なくお話を聞いていたのですが、話はそう単純ではありませんでした。というのも「以前は宇宙から見た地球になど、興味はなかったんです」と言うのです。

宮嶋さんは、空をかける飛行機には並々ならぬ思いがあるのですが、ほんの数年前まで宇宙には全く興味がなかった!というのですから驚きです。しかも「宇宙から地球を見ることの何がいいんだろう?」という気持ちだったそうです。

「これはちょっと不思議なことなんですが…」そう前置きをして宮嶋さんは話し始めました。

「昔は宇宙から見る地球なんてぜんぜん興味がなくて。でも3、4年前のある時期、なぜか?突然、“宇宙” に引っかかりを感じたんです。なんだろう? それを何日も考えていたら、ある日、まさに宇宙から地球を眺める夢を見たんです。それまでは『はいはい、地球って青いんでしょ』くらいに考えていたんですが、ただ青いんじゃなくて、“地球が青く発光している”。それがものすごく感動的な景色で…。目が覚めてからしばらく、ボーッとその感動に浸りながら『いつか生きてる内に見れたらいいな』って、その日から思い始めたんですよ。」

そんな体験をしていたため、LINEニュースで岩谷技研の話題を見た時には、「これだ!」と反射的に思ったそうです。

「あの夢を見たときから『青く光る地球を見てみたい!』と思っていて、でも実際に見ることはないんだろうなぁとも思っていたんです。そしたら、気球に乗って見られる!って…。こんな凄いことってないですよね」と、ワクワクした表情で語る宮嶋さん。

そんな運命的な出会いから実際にパイロットに選出された時は、人生で一番とも思える大きな喜びを感じました。

最終面接の際に岩谷社長にお会いした時は、ずっと鳥肌が立ちながら会話をしていたと言います。
「岩谷社長の言葉には、なにか響くものがあるんです。言葉自体なのか、聞こえ方なのか。不思議な感覚でした。」

宮嶋さんは岩谷技研に対して「ここしかない!」という感覚だったようですが、岩谷社長もきっと「この人だ!」と思っていたのでしょうね。

 

飛行機の操縦と気球は全然違う世界

宮嶋さんは現在、及川隊長のもとで気球の実験業務に携わっており、気球をロープに繋いで30メートル上空を飛ぶ係留試験を体験しています。

気球に乗ったときの印象を聞いてみると、同じ空でもやはり飛行機と気球は全然違うものだということでした。

「飛行機というのは割と自然と対峙していくというか、風と戦うじゃないですけど、そういう要素が強くあります。対して気球は、大気と一緒に動くから、揺れないんですよね。岩谷社長が仰ってましたけど、『自然と調和する乗り物』なんだなという感覚です。」

飛行機の操縦士だからこそ分かる感覚の違いですね。

「気球に乗るのは圧倒的に楽しいです。逆に気をつけなくてはいけないのは、「楽しい」だけではいけないということ。パイロットは1人でなくお客様と一緒に空を飛ぶことになるので、その気持ちは強く持っておこうと思っています。安全第一ですね。」

 

趣味・休日の楽しみは?

頻繁な飛行実験など大変な毎日を過ごされている宮嶋さんですが、休日の過ごし方も聞いてみました。

「子どもは男の子が二人で、4歳と8歳なんですが、ひたすら彼らと遊んでいますね。今日はどこに連れて行こうかって、いつも楽しみです。」

「この間は大雪山連峰の主峰「旭岳」に行きました。旭岳にはたまたま今年1月に旅行に行ったんですよ。こちらに移住してくる予定は、まだ全くない時です。子どもたちに旭岳の雪山を見せてやろうと思って、ロープウェイに乗って。凄まじい世界ですよね。吹雪とか氷点下十何度とか、それをみんなで体感するっていう。そういう経験をいっぱいさせたいなと思っています。」

冬の旭岳に行くという、道民でもなかなしない体験をされたようですが、北海道に移住してからつい最近また旭岳に行き、雪のない壮大な景色の散策コースを回り、家族で大満足したそうです。

「今度は釣りに行こうか?とか、子どもとどう遊ぶか考えるのが楽しい。北海道のいろいろな場所に行ってみたいですね。」

 

「宇宙の民主化」誰もが宇宙を見ることができる世界へ

みなさんが一所懸命に “気球による宇宙遊覧” の実現に向けて動いている岩谷技研で、宮嶋さんは「この場にいられることは本当にありがたい。貴重なチャンスを頂いたという気持ち。」と、感謝の毎日で過ごされているとのこと。

「今まで見ることができなかった『宇宙の景色』を見ることができるようになる。そんな素晴らしいプロジェクトに加われたっていうことがやっぱり嬉しいですし、実現できるように気合を入れてやっていきたい。やっぱり自分の家族にも見せたいですしね。」

岩谷技研では宇宙をすべての人に開かれたものにしていくという「宇宙の民主化」を掲げています。宮嶋さんもその思いにたいへん共感を抱いているようで、「その意味で、一人でも多くの人に『宇宙の景色』を見てほしいって思います。」と熱い想いを語ってくれました。

岩谷社長がインタビューで「地球を見ると人生観や意識が変わるそうですよ?」と仰っていたことがありましたが、宮嶋さんが夢の中で見たという「青く輝く地球」を、自らがパイロットとして搭乗した気密キャビンから見た時、どんな意識の変化が訪れるのでしょう? その未来は、もう間もなくです。

福島にあった岩谷技研の研究所から北海道へ移り住むことになった福島県出身の研究開発部 松本章さんにインタビューをさせて頂き、現在の心境などをお聞きしました。

 

福島県の研究所から北海道へ

出身が福島県の松本章さんは、大学を機に福島を出て栃木県で就職。その後転職で福島に戻ってきて、特装車というダンプカーやゴミ収集車といったいわゆる「働く車」関係の荷台などを専門に扱うメーカーで働いていました。電気系出身ということもあり、電気機器全般の設計に従事していたということです。

そうした技術を生かせる職場として岩谷技研へ。現在は気球の天頂弁を制御するための基盤設計などを担当されています。また、キャビンに乗せる基盤の設計や、どういう機器を乗せるかという部分も担っています。

「以前あった岩谷技研福島研究所でも、今と同じ仕事をしていました。福島研究所ができて数ヶ月経ったくらいの時期に入社し、今年6月末、福島研究所が江別研究所に統合されることになったのを機に、北海道に来ました。」

そう淡々と語る松本さんでしたが、職場が突然福島から北海道に移ることになった時は、正直、続けるかどうか?かなり悩んだそうです。それでも、せっかく岩谷技研に入って仕事も順調にこなしていけるようになっていたこともあり、北海道へ渡る決心をしたとのこと。

実際に北海道に移り住んでまず感じたのは「涼しくて過ごしやすい!」ということでしたが、「冬は怖いかな…。」と正直な気持ちを告白してくれました。

福島もけっこう雪が降るのでは?と尋ねると、福島県は大別すると3つの地方に分かれており、東側に阿武隈高地が南北に伸び、西側には奥羽山脈や越後山脈が広大な山地帯を形成しており、地域によって降雪量が大きく異なるのだそうです。そして、松本さんが住んでいた南相馬の“浜通り”と言われる海沿いの地域はまったく雪が積もらない!のだそうです。なんと子どもの頃から雪かきをした経験が、1回か2回しかない、というのですから驚きです。

それゆえ、これから迎える北海道の冬生活での雪かきは大いに不安な様子。我々インタビュアーが「大丈夫、すぐ慣れますよ!」と言うと、苦笑いを返す松本さんでした。

 

画面越しで行っていた作業を直接話し合えて作業効率、大幅アップ!

福島研究所で仕事をしていた頃は、北海道にいる社員の方々と画面越しに作業のやり取りを行っており、なかなか大変だったようです。

開発の橋本さんたちと、Webカメラ経由で現物を見せてもらいながらの共同作業。その作業を通して松本さんは、北海道にいる社員の皆さんの負担になっているのではと常々心配していたのだそう。でも今は同じ工場内ですぐに面と向かって話ができるので、その部分はスムーズになったとのこと。

「向こうにいた時は今話をする余裕があるか?タイミングが悪くないか?といった事が全くわからないので、やっぱり同じ工場にいると聞きやすいです。」としみじみ語っていました。

また、キャビンに実装する基盤を製作しているのだけれど、実物のキャビンがない状態だとなかなか実感が伴わなくて苦労したそうですが、こちらには気密キャビンの現物があります。それを確認しながら作業ができるのも、大変やりやすくなったということです。

「岩谷技研は色々と試しながら、毎日試作品を作ってるような気分。ゼロから作り上げていく過程は、他の企業にはない面白さがあります。」と、試行錯誤の毎日の中に楽しみを見出しているようです。

 

趣味・登山の話

普段の気晴らしや趣味についてお聞きすると、「登山が好きです」とのことでした。

「こちらに来てからまだ行けてないんですけど、せっかく北海道に来たので色々な山に登ってみたいなと思っています。とりあえず近場で羊蹄山があるので行ってみたいなと思ってはいるのですが、天気が悪かったり実験とぶつかったりで、日程が合わないんですよね。実は先週も行こうと思っていたのですが、土日とも雨で…。」

行く山も決まっている松本さんですが、なかなかタイミングが合わないようです。

キャンプがお好きなのですか?とお尋ねすると、「キャンプはやりません。山に登って1日で下ってくる、日帰り登山が多いですね。どっちかっていうと、のんびりした雰囲気の、人があまりいなくてボケーっとできるところが好きです。」とのこと。登山好きにもいろいろな嗜好があるのですね。

さらに山登りについて深く聞いていくと、衝撃の発言が!

「登るのは楽しいんですけど、登るたびに二度と山登りはしたくない、と思ってしまいます。」

それはどういう事ですか?と聞くと、「頂上まで登ったところで『これ降りるのか…』と思うと、途端にげんなりしてしまうんです。もちろん一所懸命に登った達成感はあるんですけど、下を見ると、これから帰らなきゃいけないっていう…。」

行くときはワクワク感でテンションが上がるけれど、帰るとなると気持ちが萎えてしまう、という感じでしょうか。「旅は出発前が一番楽しい」とも言いますからね。なんだか分かる気がします、と言うと松本さんも笑っていました。

 

今後に向けて

電子機器の設計が専門の松本さん、今後は設計の現場の整理をしていけたらと語ります。ベンチャー企業である岩谷技研には、大企業の設計室のように整ったマニュアルや設計図は用意されていません。すべてを手探りしながら、ゼロから作り上げていかねばなりません。

今後岩谷技研が大きくなっていくに連れ、まだまだ多くの開発者が入ってくるでしょう。大人数がワンチームとして効率的に開発を進めていけるよう、今から開発の現場の整理を始めておかなくてはと、力強く語る松本さん。

眼の前の仕事だけではなく、未来もしっかり見据えて開発に携わっている、そんな松本さんの広い視野に感銘を受けるのでした。

岩谷技研の技術系正社員の中では最年長という研究開発部 研究課の海藤義彦さんにお話を伺いました。

 

入社のきっかけと不思議なご縁

「7月1日に入社したばかりですが、前職は同じ研究開発部の家弓さんと一緒の会社で働いていたんですよ」とお話ししてくれた海藤さん。お勤めだった会社の突然の経営破綻によって新しい仕事を探さなければ…となった時には、ガックリ落ち込んだそうです。

岩谷技研が2018年に熱帯魚のベタを28kmまで打ち上げて無事帰還させた実験の様子をテレビで偶然に見ていたこともあり、岩谷技研が技術職の人材を探していると聞いた時には「ここで働けるなら、ぜひ働きたい!」と思いました。連絡をとり面接に臨んだ際には、同席されていた棧敷さんから「論文で海藤さんのお名前を拝見しました」と言われ、縁も感じました。

「職を失うことになりどうしようかと思ってから、1週間で岩谷技研の仕事が決まりました」と、決まった時にはご家族で祝杯をあげたのだそうです。ちょうど去年、写真を撮るのが好きだという娘さんが手稲山に登って撮影してきた天の川の写真が素晴らしく美しかったことも、岩谷技研につながるきっかけになったかもしれない、という素敵なエピソードも教えてくれました。

海藤さんの主な仕事は、キャビンに乗せる装置の開発と大学との共同研究です。海藤さんが10年ほど前に一時期通った研究室が、偶然にも岩谷技研と共同研究をすることになり、オンラインの打ち合わせで当時を知る教授が海藤さんの姿を見つけた時には「どうしてそこにいるの?」と大変驚いていたのだとか。これも不思議なご縁というか・・・なにかのお導きですよね!

 

「すべてが絶対必要」なキャビンの設計

機械分野の技術職をずっとやってきた海藤さん。たとえば携帯電話の開発では、便利な機能が無限に用意されているものの実は利用者が知らなくても困らない遊びのような部分が沢山あったりします。ですが岩谷技研の気密キャビンの場合は(もしくは広く宇宙開発では)、ペイロードを抑えるためにギリギリに切り詰めたミニマムな設計が求められる中で、すべての装備が絶対必要!です。どれ一つなくても成立しない装備ばかりなのでプレッシャーも感じるし、気密キャビンは真空の成層圏まで人を乗せて飛ばすものなので、身が引き締まる思いを感じています。

ただ、実際に係留で気球に乗った時には、初めてでしたが怖さはなくキャビンに守られている、と安心感を覚えたそうです。気球の上昇はエレベーターが滑らかに加速していくようで楽しくて快適でした。そして気球がスーッと風と一緒に動くのは新鮮な体感だったそうです。

面接の際に「残業が大変ですよー」と言われていたとのことですが、そしてたしかに実験前の準備期間は超多忙になるものの、普段は大変な残業などもなく安心された、ということも教えていただきました。

 

知らない概念を知ることが好き

海藤さんのお好きなものや趣味についてお聞きすると、週末にはご家族でドライブに出かけたり旅行に行くのが好きだとのこと。また他にも、技術士や工学博士号も取得されていて、技術書を読むのが大好きなのだそうです。プログラミングも好きでゲームやAIを作りたいと思っており、さらには最近ソロギターでの弾き語りも始めて、ジャズっぽく弾きたい♪ ので音楽の理論も勉強中だとか。

どれも好きなだけでなく深く学びにつながっていかれるものばかりで、「勉強するのが好きなのでしょうか?」と尋ねると、「勉強が好きというより、知らない概念を知ることが好きなんでしょうね。知らない世界に足を突っ込むと、まるで異次元世界を覗き込むようなワクワクした気分になります。だから本屋さんにいると、まだ見ぬ世界がたくさん転がっているような感覚になり好きです。」と教えてくれました。

きっと、岩谷技研での新しいお仕事もワクワクした世界に感じていらっしゃるのでしょうね。岩谷技研の若い凄腕エンジニアたちと一緒に楽しくやっていきたいとおっしゃっていました。

 

宇宙の民主化と気球の大いなる可能性

気球による宇宙遊覧体験旅行に注目が集まりますが、海藤さんは高高度気球にはそれ以上に社会貢献ができる可能性があると感じています。

無人の気球を利用して地球の観測や宇宙のデータを取得することも実験できます。新たなネットワークの中継地として、いろいろなものをつなげていけると考えています。

「社会に貢献できる会社に入れたということが嬉しい」とご自身も大学や企業などのつなぎ役になれると思うと話してくれました。