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研究開発部の宮嶋香和さんは気球のパイロット第1号に選出された方です。どのような経緯でパイロットに応募したのか、宮嶋さんとはどんな方なのか、じっくりお話をさせて頂きました。

 

飛行機操縦士、気球パイロットになるため宮崎から北海道へ

宮嶋香和さんは千葉県柏市出身の41歳。大学を出て最初に就職した医療機器メーカーで山口県に7年ほど勤務し、ドバイ駐在なども経験。その後フリーランスとなり結婚。九州内を3回ほど移り住み、直前まで宮崎県で働いていたとのことです。

そして岩谷技研でパイロットになるため、宮崎県から北海道に家族で移住してきました。

これまでの職歴をお聞きしてパイロットと結びつかないのですが?とお尋ねすると、
「実は、もともと飛行機のパイロット志望だったんです。僕が大学を出た当時は裸眼視力の検査があって、パイロットになれなかったんです。今はもうその条件は撤廃されてるんですけど。当時は諦めて普通の仕事をしてきた、という感じです。」

パイロットに対する強い思いを抱いていた宮嶋さんですが、その情熱は歳と共に衰えるどころか益々強くなり、なんと36歳の時にアメリカまで行って念願の自家用飛行機のパイロット免許を取得したのだとか。
夢を追い続け、達成する宮嶋さんのバイタリティが伝わってきます!

免許を取りに行く決心をした理由は婚約がきっかけだったようで、「結婚前にやりたいことをやっておこう!と思って。」と当時を振り返ってくれました。
「とにかく空が好きだったんです。海外であれば、まだ可能性があると思って。ずっと昔からパイロットになりたい!というのが夢でしたからね…」

 

岩谷技研との運命的な出会い

つい最近まで岩谷技研のことを知らなかったという宮嶋さん、初めてその存在を知ったときの衝撃は相当なものだったと語ります。

「今年の3月に出張で東京に行って、羽田空港で帰りの便を待っていたんです。その時たまたまLINEニュースを見たんですよ。普段まったく見ないんですけどね。そしたら岩谷技研のニュースが目に飛び込んできて、ビックリしたんです。」

普段見ないニュースで偶然、岩谷技研の存在を知り、気球のプロジェクトを知ることになります。
そして気球パイロットの募集が行われていることが分かると、「これは受けないと一生後悔するぞ!」と思い、なにも考えず勢いで応募したということでした。

パイロット繋がりのエピソードということで、ここまで自然な流れとして違和感なくお話を聞いていたのですが、話はそう単純ではありませんでした。というのも「以前は宇宙から見た地球になど、興味はなかったんです」と言うのです。

宮嶋さんは、空をかける飛行機には並々ならぬ思いがあるのですが、ほんの数年前まで宇宙には全く興味がなかった!というのですから驚きです。しかも「宇宙から地球を見ることの何がいいんだろう?」という気持ちだったそうです。

「これはちょっと不思議なことなんですが…」そう前置きをして宮嶋さんは話し始めました。

「昔は宇宙から見る地球なんてぜんぜん興味がなくて。でも3、4年前のある時期、なぜか?突然、“宇宙” に引っかかりを感じたんです。なんだろう? それを何日も考えていたら、ある日、まさに宇宙から地球を眺める夢を見たんです。それまでは『はいはい、地球って青いんでしょ』くらいに考えていたんですが、ただ青いんじゃなくて、“地球が青く発光している”。それがものすごく感動的な景色で…。目が覚めてからしばらく、ボーッとその感動に浸りながら『いつか生きてる内に見れたらいいな』って、その日から思い始めたんですよ。」

そんな体験をしていたため、LINEニュースで岩谷技研の話題を見た時には、「これだ!」と反射的に思ったそうです。

「あの夢を見たときから『青く光る地球を見てみたい!』と思っていて、でも実際に見ることはないんだろうなぁとも思っていたんです。そしたら、気球に乗って見られる!って…。こんな凄いことってないですよね」と、ワクワクした表情で語る宮嶋さん。

そんな運命的な出会いから実際にパイロットに選出された時は、人生で一番とも思える大きな喜びを感じました。

最終面接の際に岩谷社長にお会いした時は、ずっと鳥肌が立ちながら会話をしていたと言います。
「岩谷社長の言葉には、なにか響くものがあるんです。言葉自体なのか、聞こえ方なのか。不思議な感覚でした。」

宮嶋さんは岩谷技研に対して「ここしかない!」という感覚だったようですが、岩谷社長もきっと「この人だ!」と思っていたのでしょうね。

 

飛行機の操縦と気球は全然違う世界

宮嶋さんは現在、及川隊長のもとで気球の実験業務に携わっており、気球をロープに繋いで30メートル上空を飛ぶ係留試験を体験しています。

気球に乗ったときの印象を聞いてみると、同じ空でもやはり飛行機と気球は全然違うものだということでした。

「飛行機というのは割と自然と対峙していくというか、風と戦うじゃないですけど、そういう要素が強くあります。対して気球は、大気と一緒に動くから、揺れないんですよね。岩谷社長が仰ってましたけど、『自然と調和する乗り物』なんだなという感覚です。」

飛行機の操縦士だからこそ分かる感覚の違いですね。

「気球に乗るのは圧倒的に楽しいです。逆に気をつけなくてはいけないのは、「楽しい」だけではいけないということ。パイロットは1人でなくお客様と一緒に空を飛ぶことになるので、その気持ちは強く持っておこうと思っています。安全第一ですね。」

 

趣味・休日の楽しみは?

頻繁な飛行実験など大変な毎日を過ごされている宮嶋さんですが、休日の過ごし方も聞いてみました。

「子どもは男の子が二人で、4歳と8歳なんですが、ひたすら彼らと遊んでいますね。今日はどこに連れて行こうかって、いつも楽しみです。」

「この間は大雪山連峰の主峰「旭岳」に行きました。旭岳にはたまたま今年1月に旅行に行ったんですよ。こちらに移住してくる予定は、まだ全くない時です。子どもたちに旭岳の雪山を見せてやろうと思って、ロープウェイに乗って。凄まじい世界ですよね。吹雪とか氷点下十何度とか、それをみんなで体感するっていう。そういう経験をいっぱいさせたいなと思っています。」

冬の旭岳に行くという、道民でもなかなしない体験をされたようですが、北海道に移住してからつい最近また旭岳に行き、雪のない壮大な景色の散策コースを回り、家族で大満足したそうです。

「今度は釣りに行こうか?とか、子どもとどう遊ぶか考えるのが楽しい。北海道のいろいろな場所に行ってみたいですね。」

 

「宇宙の民主化」誰もが宇宙を見ることができる世界へ

みなさんが一所懸命に “気球による宇宙遊覧” の実現に向けて動いている岩谷技研で、宮嶋さんは「この場にいられることは本当にありがたい。貴重なチャンスを頂いたという気持ち。」と、感謝の毎日で過ごされているとのこと。

「今まで見ることができなかった『宇宙の景色』を見ることができるようになる。そんな素晴らしいプロジェクトに加われたっていうことがやっぱり嬉しいですし、実現できるように気合を入れてやっていきたい。やっぱり自分の家族にも見せたいですしね。」

岩谷技研では宇宙をすべての人に開かれたものにしていくという「宇宙の民主化」を掲げています。宮嶋さんもその思いにたいへん共感を抱いているようで、「その意味で、一人でも多くの人に『宇宙の景色』を見てほしいって思います。」と熱い想いを語ってくれました。

岩谷社長がインタビューで「地球を見ると人生観や意識が変わるそうですよ?」と仰っていたことがありましたが、宮嶋さんが夢の中で見たという「青く輝く地球」を、自らがパイロットとして搭乗した気密キャビンから見た時、どんな意識の変化が訪れるのでしょう? その未来は、もう間もなくです。

福島にあった岩谷技研の研究所から北海道へ移り住むことになった福島県出身の研究開発部 松本章さんにインタビューをさせて頂き、現在の心境などをお聞きしました。

 

福島県の研究所から北海道へ

出身が福島県の松本章さんは、大学を機に福島を出て栃木県で就職。その後転職で福島に戻ってきて、特装車というダンプカーやゴミ収集車といったいわゆる「働く車」関係の荷台などを専門に扱うメーカーで働いていました。電気系出身ということもあり、電気機器全般の設計に従事していたということです。

そうした技術を生かせる職場として岩谷技研へ。現在は気球の天頂弁を制御するための基盤設計などを担当されています。また、キャビンに乗せる基盤の設計や、どういう機器を乗せるかという部分も担っています。

「以前あった岩谷技研福島研究所でも、今と同じ仕事をしていました。福島研究所ができて数ヶ月経ったくらいの時期に入社し、今年6月末、福島研究所が江別研究所に統合されることになったのを機に、北海道に来ました。」

そう淡々と語る松本さんでしたが、職場が突然福島から北海道に移ることになった時は、正直、続けるかどうか?かなり悩んだそうです。それでも、せっかく岩谷技研に入って仕事も順調にこなしていけるようになっていたこともあり、北海道へ渡る決心をしたとのこと。

実際に北海道に移り住んでまず感じたのは「涼しくて過ごしやすい!」ということでしたが、「冬は怖いかな…。」と正直な気持ちを告白してくれました。

福島もけっこう雪が降るのでは?と尋ねると、福島県は大別すると3つの地方に分かれており、東側に阿武隈高地が南北に伸び、西側には奥羽山脈や越後山脈が広大な山地帯を形成しており、地域によって降雪量が大きく異なるのだそうです。そして、松本さんが住んでいた南相馬の“浜通り”と言われる海沿いの地域はまったく雪が積もらない!のだそうです。なんと子どもの頃から雪かきをした経験が、1回か2回しかない、というのですから驚きです。

それゆえ、これから迎える北海道の冬生活での雪かきは大いに不安な様子。我々インタビュアーが「大丈夫、すぐ慣れますよ!」と言うと、苦笑いを返す松本さんでした。

 

画面越しで行っていた作業を直接話し合えて作業効率、大幅アップ!

福島研究所で仕事をしていた頃は、北海道にいる社員の方々と画面越しに作業のやり取りを行っており、なかなか大変だったようです。

開発の橋本さんたちと、Webカメラ経由で現物を見せてもらいながらの共同作業。その作業を通して松本さんは、北海道にいる社員の皆さんの負担になっているのではと常々心配していたのだそう。でも今は同じ工場内ですぐに面と向かって話ができるので、その部分はスムーズになったとのこと。

「向こうにいた時は今話をする余裕があるか?タイミングが悪くないか?といった事が全くわからないので、やっぱり同じ工場にいると聞きやすいです。」としみじみ語っていました。

また、キャビンに実装する基盤を製作しているのだけれど、実物のキャビンがない状態だとなかなか実感が伴わなくて苦労したそうですが、こちらには気密キャビンの現物があります。それを確認しながら作業ができるのも、大変やりやすくなったということです。

「岩谷技研は色々と試しながら、毎日試作品を作ってるような気分。ゼロから作り上げていく過程は、他の企業にはない面白さがあります。」と、試行錯誤の毎日の中に楽しみを見出しているようです。

 

趣味・登山の話

普段の気晴らしや趣味についてお聞きすると、「登山が好きです」とのことでした。

「こちらに来てからまだ行けてないんですけど、せっかく北海道に来たので色々な山に登ってみたいなと思っています。とりあえず近場で羊蹄山があるので行ってみたいなと思ってはいるのですが、天気が悪かったり実験とぶつかったりで、日程が合わないんですよね。実は先週も行こうと思っていたのですが、土日とも雨で…。」

行く山も決まっている松本さんですが、なかなかタイミングが合わないようです。

キャンプがお好きなのですか?とお尋ねすると、「キャンプはやりません。山に登って1日で下ってくる、日帰り登山が多いですね。どっちかっていうと、のんびりした雰囲気の、人があまりいなくてボケーっとできるところが好きです。」とのこと。登山好きにもいろいろな嗜好があるのですね。

さらに山登りについて深く聞いていくと、衝撃の発言が!

「登るのは楽しいんですけど、登るたびに二度と山登りはしたくない、と思ってしまいます。」

それはどういう事ですか?と聞くと、「頂上まで登ったところで『これ降りるのか…』と思うと、途端にげんなりしてしまうんです。もちろん一所懸命に登った達成感はあるんですけど、下を見ると、これから帰らなきゃいけないっていう…。」

行くときはワクワク感でテンションが上がるけれど、帰るとなると気持ちが萎えてしまう、という感じでしょうか。「旅は出発前が一番楽しい」とも言いますからね。なんだか分かる気がします、と言うと松本さんも笑っていました。

 

今後に向けて

電子機器の設計が専門の松本さん、今後は設計の現場の整理をしていけたらと語ります。ベンチャー企業である岩谷技研には、大企業の設計室のように整ったマニュアルや設計図は用意されていません。すべてを手探りしながら、ゼロから作り上げていかねばなりません。

今後岩谷技研が大きくなっていくに連れ、まだまだ多くの開発者が入ってくるでしょう。大人数がワンチームとして効率的に開発を進めていけるよう、今から開発の現場の整理を始めておかなくてはと、力強く語る松本さん。

眼の前の仕事だけではなく、未来もしっかり見据えて開発に携わっている、そんな松本さんの広い視野に感銘を受けるのでした。

岩谷技研の技術系正社員の中では最年長という研究開発部 研究課の海藤義彦さんにお話を伺いました。

 

入社のきっかけと不思議なご縁

「7月1日に入社したばかりですが、前職は同じ研究開発部の家弓さんと一緒の会社で働いていたんですよ」とお話ししてくれた海藤さん。お勤めだった会社の突然の経営破綻によって新しい仕事を探さなければ…となった時には、ガックリ落ち込んだそうです。

岩谷技研が2018年に熱帯魚のベタを28kmまで打ち上げて無事帰還させた実験の様子をテレビで偶然に見ていたこともあり、岩谷技研が技術職の人材を探していると聞いた時には「ここで働けるなら、ぜひ働きたい!」と思いました。連絡をとり面接に臨んだ際には、同席されていた棧敷さんから「論文で海藤さんのお名前を拝見しました」と言われ、縁も感じました。

「職を失うことになりどうしようかと思ってから、1週間で岩谷技研の仕事が決まりました」と、決まった時にはご家族で祝杯をあげたのだそうです。ちょうど去年、写真を撮るのが好きだという娘さんが手稲山に登って撮影してきた天の川の写真が素晴らしく美しかったことも、岩谷技研につながるきっかけになったかもしれない、という素敵なエピソードも教えてくれました。

海藤さんの主な仕事は、キャビンに乗せる装置の開発と大学との共同研究です。海藤さんが10年ほど前に一時期通った研究室が、偶然にも岩谷技研と共同研究をすることになり、オンラインの打ち合わせで当時を知る教授が海藤さんの姿を見つけた時には「どうしてそこにいるの?」と大変驚いていたのだとか。これも不思議なご縁というか・・・なにかのお導きですよね!

 

「すべてが絶対必要」なキャビンの設計

機械分野の技術職をずっとやってきた海藤さん。たとえば携帯電話の開発では、便利な機能が無限に用意されているものの実は利用者が知らなくても困らない遊びのような部分が沢山あったりします。ですが岩谷技研の気密キャビンの場合は(もしくは広く宇宙開発では)、ペイロードを抑えるためにギリギリに切り詰めたミニマムな設計が求められる中で、すべての装備が絶対必要!です。どれ一つなくても成立しない装備ばかりなのでプレッシャーも感じるし、気密キャビンは真空の成層圏まで人を乗せて飛ばすものなので、身が引き締まる思いを感じています。

ただ、実際に係留で気球に乗った時には、初めてでしたが怖さはなくキャビンに守られている、と安心感を覚えたそうです。気球の上昇はエレベーターが滑らかに加速していくようで楽しくて快適でした。そして気球がスーッと風と一緒に動くのは新鮮な体感だったそうです。

面接の際に「残業が大変ですよー」と言われていたとのことですが、そしてたしかに実験前の準備期間は超多忙になるものの、普段は大変な残業などもなく安心された、ということも教えていただきました。

 

知らない概念を知ることが好き

海藤さんのお好きなものや趣味についてお聞きすると、週末にはご家族でドライブに出かけたり旅行に行くのが好きだとのこと。また他にも、技術士や工学博士号も取得されていて、技術書を読むのが大好きなのだそうです。プログラミングも好きでゲームやAIを作りたいと思っており、さらには最近ソロギターでの弾き語りも始めて、ジャズっぽく弾きたい♪ ので音楽の理論も勉強中だとか。

どれも好きなだけでなく深く学びにつながっていかれるものばかりで、「勉強するのが好きなのでしょうか?」と尋ねると、「勉強が好きというより、知らない概念を知ることが好きなんでしょうね。知らない世界に足を突っ込むと、まるで異次元世界を覗き込むようなワクワクした気分になります。だから本屋さんにいると、まだ見ぬ世界がたくさん転がっているような感覚になり好きです。」と教えてくれました。

きっと、岩谷技研での新しいお仕事もワクワクした世界に感じていらっしゃるのでしょうね。岩谷技研の若い凄腕エンジニアたちと一緒に楽しくやっていきたいとおっしゃっていました。

 

宇宙の民主化と気球の大いなる可能性

気球による宇宙遊覧体験旅行に注目が集まりますが、海藤さんは高高度気球にはそれ以上に社会貢献ができる可能性があると感じています。

無人の気球を利用して地球の観測や宇宙のデータを取得することも実験できます。新たなネットワークの中継地として、いろいろなものをつなげていけると考えています。

「社会に貢献できる会社に入れたということが嬉しい」とご自身も大学や企業などのつなぎ役になれると思うと話してくれました。

「岩谷技研の技術系の正社員では2番目に年長です」との自己紹介をしながらご登場いただいたのは、7月18日に入社したばかりという、44歳の家弓国広(かゆみくにひろ)さんです。年齢的にはまだ若いと思うのですが、岩谷技研は岩谷社長を中心に20代〜30代の若いエンジニア達が多く働いているため、40代でも年長の部類に入ってしまうんですね。

 

最先端の開発現場で技術を身につけ磨き続けてきた

鹿児島県のご出身でご実家は仏壇屋だという家弓さん。どういう経緯があって北海道の岩谷技研にいらっしゃったのでしょうか?とお聞きすると、波乱万丈な時代の流れの中で転職を経て、泰然とご自身のキャリアを築き上げてきたことが伺えました。

大学卒業後は、エンジニア専門の人材派遣サービスを行う会社に就職した家弓さん。最初は、愛知県で電子機器開発の技術者として働いていました。ところが2008年に、リーマンショックの煽りを受け転職することになります。家弓さんは、そもそも自分は派遣会社に所属しているので別の派遣先に行けばよいだけ、と焦りや不安はなかったご様子。ただ一緒に働いていた正社員のみなさんは会社の状況が突如変わってしまったことで大変そうでした、と言います。

こうした体験から大手企業だから絶対に安定しているなどということはなく、さまざまな会社都合でリストラや部署異動が行われれば、技術があっても自分の希望する仕事ができるわけではないのだと実感したそうです。

家弓さんは設計が好きで、特に全体を見渡しながら装置全体を開発するのが楽しいと言います。身につけた技術は自分を裏切らないのでスキルを磨き続けることを怠らない。そうやって自分に自信を持っていれば、どこに行っても働けると考えておられるそうです。

さて、家弓さんは派遣先が愛知から北海道になり、大手スマートフォンメーカーで携帯端末の開発に携わります。しかしながら、この会社も今年の5月に経営破綻により民事再生法の適用を申請します。またも転職をせざるを得ない状況に・・・

今回は、家弓さんご自身も転職サイトに登録してみたところ、岩谷技研からお声がかかったのだそうです。

家弓さんはシステムや電気回路の開発、機械開発の技術が気密キャビンの設計にも役に立つかな?と思い、岩谷技研への転職を決意しました。

 

小さい単位から大きな開発へ、大きい組織から小さな組織へ

岩谷技研の印象はいかがですか?と聞くと、自分のやりたい最先端の仕事ができる場所だと感じているようで、「ないものをつくること」「設計すること」が好きなので、それをやり続けられそうだと魅力を感じています、と話してくれました。

携帯電話の開発では 0.1ミリとか5/100ミリという単位の、極小の世界でのものづくりをしてきた中、大きなものを設計することは簡単で「1センチもある!」と考えられるのだそうです。

また、今まではずっと大きな会社にいたので、小さいけれど機敏なベンチャー企業である岩谷技研には新鮮味を感じているそうです。大きな組織に比べるとまだ体制が整えてられていない部分がありますが「体制を整えていくことにも尽力できると思います」と心強いです。

「家弓さんがいなければ!と言われる存在になりたい。自分が50歳を過ぎた時にどうしていくかを考えてもいたので、これからはずっと岩谷技研にいたい」と話してくれたことが、とても頼もしく感じました。

 

岩谷技研がもっと働きやすい環境になるために

「昔はバイクにも乗っていましたし、スケボーやスノーボードも好き」と北海道の自然や雪も満喫している様子の家弓さん。札幌市内でも山が近い地域にお住まいで、週末はバーベキューをしたり家族でお出かけするのが楽しみで、お子さん達と一緒に寝ることが一番のストレス解消法かもと教えてくれました。

前職ではコロナ期間中、在宅でお仕事をされていたそうで、今は毎日出社するのが新鮮だし江別気球工場の雰囲気もとても良く、常に音楽が流れているのがすごく好きです!と言います。ただ、冬場は江別が豪雪地域のためJRが運休になることも多いと聞き、「フルリモートで仕事できる環境があってもいいかも知れないですね。」との話題になりました。

いえいえ、家弓さん。岩谷技研では社員間のコミュニケーションを通じたものづくり環境を重視していて、全コロナ期間中ただの一度もリモートワーク期間を設けたことがないんですよ!(それも逆にすごいことですよね)

さて今年の冬はどうなりますことやら!?

岩谷技研がつくる特殊な気球は、江別気球工場で「メイトさん」と呼ばれるパートスタッフが製作しています。メイトのみなさんは、2022年4月に工場が始動した時に12名の方が採用され働き始めました。メイトさんの中には、飯塚工場長が「和食料理店を作ろうと思ったら、なんと道場六三郎さんが働きに来てくれた感じ、幸運でした」と例える熱気球のスペシャリストの方がいて、その方を中心に気球製作が行われています。

「メイトさんに新しい仲間が加わりました」ということで、新しいメイトさんにインタビューを行いました。

 

成長産業である宇宙開発に興味を持った

7月1日に入社した熊谷さゆみさんは、アメリカの航空宇宙メーカーであるスペースXのニュースを見て、宇宙開発や宇宙ビジネスに興味を持ち、宇宙ベンチャーに関する本を読んでみました。そこで「岩谷技研」の名前を知り、求人を見た時に「宇宙開発は遠い世界のことだと思っていたけど、やってみたい」と思い応募したのだそうです。

とはいえ、昔から宇宙が好きで宇宙に詳しいのかといえば、たまに見上げる空をきれいだなと思ったり、プラネタリウムを見たことがあるくらいで詳しくはないので、これを機会に星空のことを学びたいと思い、江別市で開催してる星空観察会に毎月のように申込みをしてるのですが、人気すぎて落選ばかりなんですと教えてくれました。興味を持ったことに対しての行動力と、学びの意識が高いですよね。

 

メイトのみなさん達が凄いんです!

実際に働いてみてどうですか?と聞くと、真剣な表情になって「むずかしいです」と言うので少し驚きました。実は今までに他のメイトさん達にお話しを聞いている限りでは、「アイロンがけのような作業で楽しいですよ」と教えてもらっていたので、インタビュアーの私もできそうだな、やってみたいなと思っていたのです。

熊谷さんもものづくりが好きで、趣味で人形の服やお子さんの幼稚園バックを作ったりしていたので、最初は難しくないかなと思っていましたが、「みなさん当たり前にやってるのですが、溶着の作業が細かく繊細で、集中力もいるし緊張します」と熊谷さん。

まずはイベント展示用の気球を作ったのだそうですが、穴が空いていないことを確認するために試しに膨らませ、しっかりと膨らんだ気球を見た時には、とても嬉しい気持ちになったそうです。

「慣れれば簡単。自分のやり易いやり方を見つけて」とアドバイスされ、メイトの先輩一人ひとりからやり方のコツや技を教えてもらっているのだそうですが、まだ全然慣れないのだそうです。とはいえ、まだ作業を始めて一ヶ月程度なので、難しく感じるのも無理はないかもしれません。

みなさんは、丁寧だけどスピード感があって・・・ 簡単そうに見えるのもメイトさん達が経験を積み、効率やコツがすっかり身についているからなんでしょうね。

わからないことはすぐに聞いてと言ってくれるので、何回も聞いてしまうこともあるげど、その度にきちんと丁寧に教えてくれて、みなさんとても優しいです!と教えてくれました。

「作業はグループで行っていて、いつも二重三重にチェックするし、みなで話し合ったことを各自メモして確認しているのでミスにつながらないのだと思います」と、働くみなさんの様子をよく見ているところに熊谷さんのやる気を感じました。

「メイトさんの中には実験に同行される方もいらっしゃるので、しっかり仕事を覚えて、いつかは自分も実験に立ち会えるようになりたいです。気球にも乗ってみたいです!」と話してくれました。

 

岩谷社長と同じ年齢なんです

話しの中で、自分が岩谷社長と同じ年齢だと教えてくれた熊谷さん。子どもの頃に流行っていたことや、観ていたテレビ番組を尋ねて、どんな時代を過ごしてきたか盛り上がりました。

ダウンタウンのお笑いバラエティー番組が大人気でクラスメイトのみんなが観ていた世代だったのに、岩谷社長が松本人志さんを知らなかったというのは本当なのか?という話題に・・・(2016年の11月に放送された『クレイジージャーニー|風船宇宙撮影の旅 男のロマン!』の放送で、スタジオに登場した岩谷社長が、MCの松本人志さん、設楽統さん、小池栄子さんのことを「ごめんなさい、知らないです」と発言してお茶の間の爆笑を誘ったのは有名な話)。

 

7年の時を経て「クレイジージャーニー」に再出演した岩谷社長

ところで。熊谷さんとのインタビューを終えて数日後、話題に上ったテレビ番組「クレイジージャーニー」2023年8月21日の回に、なんと!岩谷社長が7年ぶりに登場したんです。

スタジオにいる3人と再会され、小池さんから「前回出演していただいた時は松本さんもバナナマンさんも私のことも知らないと仰ってましたけれど、目にする機会はこの7年間で…?」という問いに、岩谷社長は「意識していないので気付かなかったのかなと思うんですけど、見た記憶が…ありません」と返答し、お三方は苦笑い! 研究開発にお忙しい岩谷社長はテレビを見る機会がなかなか無いのかも知れませんね。

番組内では岩谷社長7年の軌跡と、2023年7月に達成した高度6,000メートル越え有人飛行試験の模様が公開され、たいへん感動的な内容でした!

2023年5月末、岩谷技研江別研究所内にて毎年恒例の集合写真撮影がありました。当日の楽しい様子をリポートします。

 

江別研究所で集合写真撮影2023

本日は午後昼過ぎに江別研究所で岩谷技研に所属する全員の集合写真を撮影する日。いつもと違って人数も多く、とても賑やかです。

 

工場内で集合写真の準備が着々と進んでいます。

 

札幌本社の方々も続々と集まってまいりました。いつもと違う雰囲気に本社の皆さんもちょっと戸惑い気味のご様子?

 

今年もヘアメイクの高木さんが東京からわざわざお越しになり、岩谷技研の皆さんの髪の毛をオシャレに整えてくれます。

プロのヘアメイクさんにカットして頂けるなんて、一年に一回の最高のご褒美ですよね。

 

高木さんのカットでサッパリした及川隊長。仲取締役と撮影についての話し合いでしょうか。

 

撮影の準備が進む中でも、江別工場の作業は通常通り進められていました。

いつもとは違う落ち着かない雰囲気にも動じず、淡々と仕事を進めるメイトの皆さん、素晴らしいです。

 

集合写真の撮影を開始します!

いよいよ集合写真の撮影が始まります。皆さん撮影場所に集まって下さ~い。

 

岩谷技研の社員・メイトの皆さんが一堂に会します。あらためて全員が集まると、本当に多くの方が岩谷技研に関わり支え合っているのだなと実感しますね。

 

皆さんの立ち位置はいかがでしょうか?岩谷社長も真剣な表情です。

 

もうちょっと左?後ろのメイトさんたちが見えない?さて、どう解決しましょう?

 

どうしようか悩んでいる間、岩谷社長も皆さんもとっても楽しそうです。そんな和気藹々とした雰囲気の中、撮影準備が進んでいます。

 

 

結局後方に立つ方々が見えないということで、たくさんの土嚢のようなものが運び込まれてきました。岩谷技研には色々なものが用意されていますね。

 

それでは最終チェックです。仲取締役もしっかり確認。

 

それでは撮影に入ります!スマホでのチェックは終了してくださーい。

 

いよいよ撮影の瞬間となり、皆さんの緊張感が高まります。

 

カメラを見つめる皆さんの様子。及川隊長、前を向いてください!

 

ヘアメイク高木さんによる再度の調整が入ります。プロの方々がいると本当に心強いですね。

 

今回は長い三脚と脚立を利用して、上から見下ろす形での撮影となっております。

 

まずは真剣な表情を撮影。

 

では皆さん、一度目を閉じて下さい!目を開けた瞬間、笑顔で撮影します!

 

はい、最高の笑顔で!みなさんとっても良い笑顔です!

このように数パターンの表情を撮影されていましたよ。

この写真( ☝︎ )が最終的にセレクトされて、公式HPのトップページに採用されたカットです!

 

というわけで、撮影終了。お疲れ様でした!みなさんホッとされた感じで、一気に緊張感がゆるみました。

 

それでは力に自信のある男性の皆さんで後片付けです。結構重そうですよね。

 

今回の集合写真で一緒に撮影されたキャビン「T-10 Earther」。この乗り物がもう間もなく皆さんを宇宙へ誘います。

 

そんな「T-10 Earther」さん、大きく重さもあるので工場を出るのも一苦労!傷を付けないように慎重に運び出されます。

 

なんとかドアを抜けられました。皆さん本当にお疲れ様です。

 

集合写真撮影が終わり、そして江別研究所はいつもの状況に戻っていきました。

後片付けのバタバタした中でも、メイトの皆さんは誰に指示されることなく自らの仕事に向かっていきます。メイトの皆さんのプロ意識は本当に素晴らしいなと取材スタッフは毎回感動するのでした。

 

さて、現在岩谷技研はどんどん新たな技術者・メイトさんが加わってきています。来年の集合写真撮影のときはどんな状況になっているのでしょうか?岩谷技研の未来、それに関わる方々、今後の展開にワクワクが止まりません!

我々、編集部が江別気球工場の竣工披露式に参加する際など、最初にコンタクトを取り、それからいつもお世話になっているのが仲取締役です。イケオジでお人柄も素晴らしい方だなと感じていたのですが、「社内では、このオッサン何者?と思われているでしょうね」と仲さん。それならば、我々が仲さんについて深掘りしましょう!と、岩谷社長に初めて会った時の話や、腐れ縁だという飯塚工場長とのエピソードなどを聞かせてもらいました。

 

Blackmagic Cinema Cameraの第一人者

ご自身のデザイン|映像制作の会社を持つ仲さん。グラフィックデザイナーとして写真を使ったコラージュの制作や企業印刷物のデザイン、ディレクションなどを行ってきましたが、やがて世を挙げて動画の時代が到来。Web動画の制作に乗り出す中、本場海外の映像制作術や、カメラ、レンズなどの機材に関する情報をわかりやすく紹介するブログを開設したところ、これが大当たり。一躍、映像業界で有名人に。

そんな時、『札幌の大学生が風船にカメラを付けて宇宙撮影に成功した!』というニュースで岩谷社長のことを知った仲さんは、共通の知り合いを通じて岩谷社長と出会います。初めて会った時の第一印象を、「すこぶる頭の良さそうな、痩せ過ぎの青年でした」と言う仲さん。もっと肥えさせねば!との親心(?)から『肉を食いに行こう!』と食事に誘ったそうです。

岩谷社長は、ふうせん宇宙撮影で確実に宇宙を撮影し回収できる装置を完成させたものの、当時はトイカメラを使用していたため映像の画質には限界と不満がありました。そこで仲さんが “撮影部” として撮影機材の選定を担当し、ご自身の映像ブログを通じて親交のあった豪・Blackmagic社から発売されたばかりの小型シネマカメラ(映画のような高画質で撮影できるカメラ)をバルーンに搭載することを提案します。

こうして制作したのが、2014年に公開した「FUSEN UCYU PROJECT – BMPCC GOES TO SPACE – 世界初、シネマカメラでの宇宙撮影」というドキュメンタリー作品です。

 


▶︎ 上の画像をクリックするとYouTube動画が開きます

 

デジタルシネマカメラによって撮影された宇宙から見る美しい地球の映像は、国内外の映像業界や撮影機器メーカーの間でも大変な話題となりました。

仲さんは、その後も岩谷社長のさまざまなプロジェクトに撮影アドバイザーとして参加し、記録映像を作るなど協力を続けます。…協力というよりも、仲さん自身も宇宙の写真を撮りたい!と、同じ夢を見ていたようです。

当然、2018年6月に宮古島で行われた、あの有名な「ふうせん宇宙撮影 生物プロジェクト」にも参加しました。

 


▶︎ 上の画像をクリックするとYouTube動画が開きます

 

実験の成功を受けて、「次は魚じゃなくてオレを飛ばして欲しい!」とお願いしてから二年。「準備できましたよ。そろそろこちらに来てください」と呼ばれ北海道に来てみると、岩谷技研はいつのまにか岩谷社長の個人事務所から立派な企業になっていました。すごいじゃん岩谷くん!と毎月様子を見に来るうち、今度は「本腰を入れて、このまま協力して欲しい」と言われました。

「気がついたら取締役になっていて。うまくはめられました」と笑います。

「岩谷くんは合理的ですからね、それぞれの専門分野で経験の積み重ねがある、ずっと歳上のぼくらのようなオトナに脇を固めさせることの利点に気がついてしまったんでしょう」なんて、この時は言っていましたが、いつか聞いた仲さんの言葉からは、新しい経験ができることを喜んでいて、超多忙ながらも楽しんでいる様子や、岩谷社長との仲良しぶり、感謝の気持ちが伝わってくるんですよね。

 

「え?雷ちゃん札幌にいるの!? いいなー」

仲さんが、札幌と東京と行ったり来たりしながら忙しくしていると「最近どうしてるの? 全然連絡くれないし」と、大昔からの友人で、ちょくちょく連絡を取り合っていた飯塚さんから電話がありました。

飯塚工場長と仲さんは小中学校の同級生。高校は別々だったものの、大学時代には今度は留学先のニューヨークで再会して、80年代はずっとあちらで一緒に遊んでいたそう。その後も付かず離れず、現在までずっとお付き合いが続いているのだそうですよ。

『岩谷技研の話をしたら飯塚が「そりゃ面白そうだ!いいな〜」と言うので、ちょうど工場長のポストを探してるんだけど、助けてくれんか?って話を振って、岩谷に会わせるいい機会だ、とちょうど出かけるところだった宮古島実験に誘ったんですよ』と笑う仲さんですが、その時に大事件が起こります。実験がうまく行き、全て終了したあと遊びで乗っていた船が大波に突き上げられ、甲板に叩きつけられた衝撃で、仲さんは背骨を折ってしまいました。そのまま現地の病院に緊急入院。

いっぽうの飯塚さんはそのまま札幌の岩谷技研に出入りするようになったものの、知り合いゼロ、周囲は二回りも若い社員たち、頼みの綱の仲さんは当分帰ってこれません。不本意ながら飯塚さんを放っておくことになってしまった仲さんは、身動きもできないベットの上で心配していました。

ところが約1ヶ月後、上半身を固定するコルセットを着けてようやく札幌に戻ってみると、飯塚さんはすっかり皆と打ち解け、頼りにされる存在になっていたそうで、「すげぇなコイツ!」と舌を巻いたそうです。

以前、大手百貨店で大勢の若者を統率して動かしていた経験を活かして江別の気球工場をまとめてほしいと仲さんからオファーし、飯塚さんは単身、北海道に移住して工場長を務めています。

 

自分はずっと一匹狼でやってきたので、今のように組織の中で自分のパートを認識して仕事をする経験は、今さらながら学びになっている、と言う仲さん。

さて、そんな仲さんについて、岩谷社長にこっそり聞いてみたところ「出会って10年くらいになりますか。『この歳まで生きたからもういいんだ、好きなものを食べさせろ!』なんて言ってますけど、健康には気をつけてほしいです」とおっしゃっていましたよ。

 

※仲取締役と腐れ縁?飯塚工場長のインタビューはこちら『北海道に来て本当に良かった!飯塚工場長インタビュー

今回は制作広報部/システム管理の松本大成さんにお話を伺いました。松本さんが担っている主な仕事は、IT・セキュリティ関連の管理。また仲取締役の指導のもとで広報関連のお仕事も担当されています。

 

岩谷技研・草創期にアルバイトをしていた松本さん

松本大成さんの岩谷技研入社は2022年11月ですが、実はそれより2年も前、まだ岩谷技研が岩谷社長と棧敷さんともうひと方の3人体制だった時期にアルバイトをしていたとのこと。岩谷技研草創期の頃を知る数少ない人物の一人!

ですので、しばらく離れていたとはいえ、入社前からどういうことをしている会社なのかは頭の中に入っていました。

草創期のことをお聞きすると、主要メンバー3人の他、松本さん以外にも北大生のアルバイトが何人も働いていたそうです。

「会社で使う備品から実験器具に至るまでいろいろ、岩谷さんが3Dプリンターなども使って作ったりして、会社が動くために必要なものをゼロから自分たちで作っていくのが楽しかった。カオスながらも良い経験でした。」と述懐。

当時の何もないところから作り上げていく過程が楽しくて、その体験をまたしたくて岩谷技研に戻ってきた部分もあったということでした。

 

岩谷技研に戻ってきたのは仲取締役の一言

「他に岩谷技研に戻ってきた理由とか、魅力的なことは何だったんですか?」と尋ねると、松本さんは「宇宙をやってみたかったというのもあるし、大学卒業後に就職した企業にいたときも、アルバイト時代に仲良くなっていた仲さんとはちょくちょく連絡を取っていて。それも戻ってくるキッカケになりました」と。

その戻ってくるキッカケとなった一言について、松本さんは克明に覚えていました。

「仲さんが僕に、『大企業の社員なんて、“パッケージツアーの団体客” じゃん』みたいなことを言ったんです。『松本、旅行と旅の違いがわかるか? 計画通り旅程表に沿って、予め決まっている見学地を粛々と回るのがパッケージ旅行。それに対して、目的地は決まってる、けど決して予定通りにはいかない毎日を楽しみながら進むのが旅だ。いい大学出て大企業に就職できて、おめでとう。だけど、人生の醍醐味は旅だろ!?旅!』って。
まさに大きな組織の中で歯車になりかけていたので、その言葉にグッと来て、よし!戻るかっ!? と決心したんです。

インタビュアーの私も旅行ではなく旅が好きなので、その意味していることにとても共感します。
一人一人が様々な思いをもって岩谷技研の仕事に関わっているのだなと思い、胸が熱くなりました。

 

親の猛反対、不安と涙、そして決意の札幌行き

岩谷技研へ転職してきた松本さんですが、前職は大手企業、実家のある東京に近い場所に住んでいました。その安定した道を捨て、実家から離れた札幌へ向かう際はかなり大変だったとのことです。

松本さんご自身も「前の会社を辞める時はとても怖かった。」そうで、さらには「親には泣かれました。」と当時の苦労話をしてくれました。

大学卒業後に就職で埼玉県浦和に住んで、実家も電車に乗って20分ほどで帰れる近場となったので、親族全員喜んでいたそうです。そんなご家族の喜びもつかの間、松本さんは岩谷技研への転職を決め、会社に退職届を出してからご家族に「来月から札幌に行くから」と伝えたそうです。

突然の転職と実家から遠く離れた札幌へ行ってしまうという話を聞いたお母様に「もう変えられないの?」と泣きつかれ、その後、ご両親と言い争いになり、喧嘩したまま実家を出てきてしまいました。

その後すぐに電話で話し合い、札幌に行く前にご家族で一緒にごはんを食べて仲直りしたそうですが、親御さんのことを考えると泣けてしまいますね。

でも松本さんは「前の会社よりもだんぜん岩谷技研が楽しいので」と、その時の決断は正しかったと教えてくれました。泣いて見送ったご家族のみなさんも、毎日やりがいを持って楽しく働いている松本さんの話を聞いてきっと安心して下さるのではと思います。

 

「たいへんだけど楽しい」入社してから息つく間もない、怒涛の日々と充実感

松本さんは久しぶりに帰省したような感覚で、2022年11月に岩谷技研に入社。晴れて岩谷技研の一員になったと思ったら、いきなりビジネスイベントでの来客対応や新型気密キャビンの製作、東京でのメディア発表会など、毎日が怒涛の忙しさです!と苦労話を聞かせてくれました。

前職で学んだプログラミングの知識を活かしてホームページ制作を勉強したり、上場に向けて大きく動き出した岩谷技研に必要なITセキュリティのシステム構築を担ったり、息つく間もない日々だそうです。

今後は、システムエンジニアとしてセキュリティの向上や、人手不足が解消できるようなITツール等を保守管理していきたい!と意気込みます。

また、「仲さん・唐津さんというスペシャリストの下で働いているので、広報の仕事にも携わっていきたいです。」と未来を見据えた向上心が溢れる松本さんでした。

ちなみに松本さんは北海道大学の恵迪寮出身とのことで(岩谷社長夫人も恵迪寮出身)、北大時代のお話や岩谷技研草創期の更なるエピソードなど、聞きたいことはまだまだ山ほどあります。今後も松本さんから沢山お話を聞いていきたいと思います!

誰でもいける、安心・安全で環境に優しい気球宇宙遊覧の旅を実現するためには、莫大な資金が必要です。ファイナンスの面から岩谷技研を支える取締役CFO 経営企画部の中園利宏部長にお話を聞きました。

 

北海道で働きたいと思いました

宮崎県都城市出身という中園さん。18歳で上京し大学を卒業後、三井住友銀行に就職します。三井住友銀行在職時に出向した会社でIPO(「新規公開株」や「新規上場株式」のこと)を経験されるなど、株式会社ぐるなび取締役IPO、IR担当、株式会社メディアフラッグ(現 インパクトホールディングス株式会社)取締役CFOを経て、2021年9月より岩谷技研に入社されました。

東京から出張で札幌・函館・岩見沢・望来(もうらい)や白老など道内各地に来ていたという中園さん。「少しでもいいから北海道の冬の暮らしをしてみたい」と考えるようになり、札幌に暮らす銀行時代の同期に相談したところ、気球による宇宙遊覧を目指す岩谷技研を紹介され、中園さんは岩谷社長に会うことになりました。

 

メイクセンスを感じた岩谷社長との出会い

北大でロケットについて学んでいたという岩谷社長が、ロケットに比べてパーツが少なく開発コストが低い気球は実現性が高いと、発泡スチロールで出来た手作りの装置を見せながら説明してくれた時に、「理にかなった発想だ! 本物だ、見つけた!ラッキー!!」と思ったのだそうです。

この時は、岩谷社長が「風船宇宙撮影」でテレビ番組等でも取り上げられている有名人だということを知らなかったそうですが、「嘘か本当かわからない金融の世界で生きてきた」という中園さんの経験と直感が即座に見抜いたのでしょう。岩谷社長の誘いに応じ、上場による資金調達やM&Aの経験を活かすことができると、入社を決めました。

 

みんなが幸せになる事業

投資や資金調達などについて全く知識のない我々が「ファイナンスとは何ですか?」と曖昧な質問をしてしまったにもかかわらず、中園さんはとてもわかりやすい言葉で説明してくれました。

金融は環境や時代に左右されるもので、投資の世界では2018年から2020年くらいにかけて宇宙関連ビジネスのブームがきていたそうです。岩谷技研も20年に初めてベンチャーキャピタルからの投資を受け、本格的に気球による宇宙遊覧実現の方向に舵を切りました。現在、資金調達の累計が約11億円となり、開発・実験は順調に進められています。

事業に価値があること、将来性があること、リターンがあること、判断基準は様々ありますが、大切なのは事業の「本質」なのだそうです。岩谷技研が行なっているのは「みんなが幸せになる事業」だと中園さんは言います。

ファイナンスとは、努力し確実にステップアップしているところを投資家のみなさまに見ていただき、理解者や仲間を増やしていくことだ、と教えてくれました。そして今後は事業の収益化と、広く株式を公開していくことを目指しているのだと力強く話してれました。

 

雪の写真をたくさん撮ってはしゃぐ中園さん

最後に「実際に北海道の冬を経験してみていかがでしたか?」と聞くと「雪が積もるところで生活するのが初めてなので、雪の写真をたくさん撮ってはしゃいでます」と笑顔の中園さん。スマホには札幌で撮影した雪の写真がたくさんあるのだそうです。

また、岩谷技研の近くには幼稚園があるのですが、「冬場、お子さんをソリに乗せて幼稚園に登園している親御さんの姿を見て、とても癒やされています」と目を細めていました。慣れない雪でさぞかし苦労されているのかと思いきや、楽しい雪のエピソードが次々と出てきて、本当に北海道の雪が気に入った様子だったので安心しました。

制作広報部の唐津哲也さんは、岩谷技研に転職するまではウェディングの映像づくりなど、長年映像関係のお仕事をされてきたそうです。そして岩谷技研に来る直前までは、福祉施設で映像を教える仕事に従事。

ついつい出来心で?岩谷技研が求人していたクリエイター募集に応募してしまった唐津さんは、履歴書と一緒に提出したこれまでの映像作品を見た取締役 制作広報部長の仲さんが驚いて、その場で採用を即決したという人物。

あっさりと採用通知はいただけてしまったものの、さてどうしたものか? 本当に東京での暮らしを綺麗さっぱり引き払って、札幌に行くのかな? >自分

唐津さんは東京出身ですが、小学生の頃は札幌に住んでいて、街の良さをよく知っていました。岩谷技研の本社が札幌なので、この住みやすい場所で仕事ができると思ったのも転職を決心したキッカケの一つだったようです。

 

宇宙好きのキッカケはスペースシャトル?

また、岩谷技研に来るキッカケはやはり、「もともと宇宙が好きだったから」と話す唐津さん。実は岩谷技研で働く方は機械や技術が好きなエンジニアが多く、意外と宇宙好きが少ない!唐津さんもそれを感じていたようで、「宇宙が好きな人が意外と少ないんですよね~」と苦笑いを浮かべていました。

さらに深く聞いていくと、唐津さんは1973年生まれで、ちょうど小学校の時に最初のスペースシャトルが飛んだ時期だったということでした。「アポロをリアルタイムで見ていない世代としては、スペースシャトルのインパクトはひじょうに大きかった。」と語ります。

「おそらくそのスペースシャトルが、宇宙が好きになる最初のキッカケだったのではと思う。」と、当時の思い出とともに話してくれました。

岩谷技研にはUFOを見たという方もいらっしゃいますし、ぜひ皆さんで宇宙好きを増やしていきたいですね!

 

とにかく仕事が楽しく、毎日新鮮!

岩谷技研に来て約半年ほど経ち、お仕事の方はどうですか?という問いに、「仕事も楽しいし、札幌自体とても住みやすい街なので、今のところ順調です。」というお答えでした。

「もともと映像が好きで、その映像を作る仕事を集中してやらせてもらっているので、とにかく楽しいです!」とのこと。

また、仕事の過程で様々な実験に立ち会ったりするたび、「こんな感じでやっているんだ!という新鮮さがいつもある」と、子供心をくすぐられる感じで本当に楽しいのだそうです。

毎日見たこともないことの連続で、新鮮さと楽しさを感じると同時に、「会社としても今重要な時期で、そういうタイミングにいさせてもらっている。すごく貴重な時期に立ち会っているんじゃないかな」と唐津さんはしみじみと語っていました。

 

岩谷技研のファンを増やしていく!

唐津さんは広報を担当する立場から、岩谷技研を色々な人に知ってもらうことが主な仕事です。

「突き詰めればそれは岩谷技研のファンを増やしていくこと。そのためのお手伝いをさせて頂いている。」

その「ファンを増やしていく」という活動は、社外的にももちろんのこと、社内的にも重要だと語ります。

「やっぱり働いている人間がこの会社はダメだな…と思っていたらマズいじゃないですか。自分たちがやっていることを、オレたち実はこんなスゴイことをしているんだ!と誇りに思ってくれたら良いのだけど。中も外も関係なく、岩谷技研のファンをどんどん増やしていきたいし、そのためにやれることがまだまだあるんじゃないかなと思っている」

岩谷技研を会社の外から見ている一般の方だけでなく、社内で働く社員が全員岩谷技研のファンになってほしい、そう語る唐津さん。今後はSNSなども活用して、どんどん活動の場を広げていきたいと力強く意気込んでいたのが印象的でした。